見出し画像

画面演出の明暗からFF16の炎に思うところ語ってもよろしいですかな

そういえばFF16は体験版からノルヴァーン砦が暗い暗い違うそうじゃない言われたらしいですが、何言ってるんですか暗いからいいんじゃないか。

ドラゴンズドグマでの暗い森の探索とランタンの愛すべき不便さと油補充を愛する勢としてはそうなんです。
ドラゴンズドグマでは暗さゆえの臨場感と冒険感で『そこ』にいる実感が高まったものです。
何(主にキマイラ)が襲ってくるかわからない、移動しなくてはならない。早く夜が明けろ…と歩を進める。というのはドラゴンズドグマ初見あるあるの楽しみ方でした。

話はFF16のノルヴァーン砦の暗さに戻りますが、暗さにはいくつもの演出意図があったと思います。

◆中世ヨーロッパ時代の表現
モデルが中世ヨーロッパですから、魔法以外のテクノロジー光源はなく、あるのは星明かりや蝋燭、篝火くらいなものです。
堅牢な砦の構造として窓は小さく、室内が暗いのは妥当で、リアリティの表現として堅実です。

◆明暗、黒トーンの繊細な描画レベル、PS5スペックのパフォーマンス
◆天に煌めく星空の美しさ
◆月とメティアの暗示
◆暗闇のクライヴにさす光明の演出

これらを際立たせるに暗闇は欠かせない要素ですね。

【ノルヴァーン砦は暗中に在るクライヴがかすかな炎を頼りに光明を得る始まりの場所】この時点ではクライヴは復讐心に突き動かされているわけですが、物語としては、この場所は自己の運命とジョシュアという光明を辿る道のはじまりです。

クライヴがフェニックスの炎を頭上に灯し暗闇を照らし、炎のドミナント(ジョシュアと自ら)に向かっていく。

クライヴにただ一つだけ宿った、弟から贈られたフェニックスの祝福の炎によって。
ジョシュアから贈られた祝福とは、消えることのないクライヴに灯る力と、愛。

【何も見えない行く先を照らす表現。クライヴを進ませたのは炎の力と愛】
FF16は炎を象徴的に表現し示しています。炎の兄弟のクライヴとジョシュア。
はじまりに炎ありと言いますが、炎は力と破壊であり、復活と再生であり、人を人たらんとする叡知であり、受け継がれる想いの熱でもあります。

【FF16の炎の演出って本当にいい】
特筆したいのはエピローグです。
子供が母から頼まれて、薪に火をおこすシーン。『息を吹き込んで』だんだんと火は大きくなっていく。
ここのカメラもゆっくりと子供と炎にフォーカスします。
火が大きくなるにつれて、温かな熱が穏やかにこちらに伝わるようで、人の人による営みがヴァリスゼアの地に根付き広がっていったこと、ヴァリスゼアの地が息を吹き返していったことを表すとても象徴的なシーンです。

子供が庭に出て兄弟と犬と遊ぶシーンに移り、兄弟たちの遊びがかつて起こった物語を思わせます。
米津玄師さんの『月を見ていた』の詞が表す
情景。
『まるで何もかもがなかったかのように この火は消えたりしない きっと』

『月を見ていた』は
詞を読み返すほど、こちらの心情が象られて、物語の解釈を新たに引き出してくれるこれ以上ないFF16のテーマソングですね。

米津玄師さんについて。吉田直樹プロデューサーとの対談で語る姿を目にして、それまでアーティストとして好き、くらいな印象でしたが、深く作品に身を投じて理解し、言語化していく姿勢とセンスにリスペクトも感じるようになりました。
対談場所の暖炉に燃える焚き火の組み方もFF16のはじまりにクライヴの目に映る焚き火とシナジー生ませる凝りようだった。そういうの好きよ。
対談で米津玄師さんがFF12ファン、それもかなりディープなファンだと知って親近感わいてしまった。
FF12は私のFF特異点ですので。

ゲーム画面演出の暗さについて軽く語ろうとしたらFF16の炎に思うところを語ってもよろしいですかな爺になっちまったわ。

こうなったら『月を見ていた』の歌詞についてもう少し語ってもよろしいですかな。
炎の比喩だと感じる箇所についてです。
『ただひとつ そうただひとつ 語り得ぬ声で叫ぶ』
クライヴから放たれるイフリートの炎、クライヴの心の激情、使命との間に在る葛藤、苦境から解放される意志、理からの解放、とも読めます。
『語り得ぬ』の言葉一つだけでクライヴ・ロズフィールドの物語と彼の心情が伺えます。
決して表立っては全ては語られない、明かされない。

とりとめなくて終わりませんので
今回はここまで。

ロビタ