「クセの強い人が多い」という組織が大抵、寧ろアクがない理由を考えてみた

「クセの強い人が多い」と自分の属する集団を称することを耳にすることがありますが、そういう集団に限って大概はごくありふれた人たちの集まりだったりします。

こういう人たちの飲み会を近くの席からそば耳立てて聞いていると、LLMで生成されたかのような予測可能な展開のトーク披瀝合戦が行われていることがわかります。曰く、「クセが強い」と。

何故こういうことになるのでしょうか。

これはきっと、「定規ズームアップ機能」を人が持っているからではないかと思います。

たとえば、人間の目が皮膚のわずかな色の違いを見分け、他者の顔色を窺う能力に極めて優れていることが知られていますが、これは基準となる「肌色」を中心とし、色のスペクトルの中で客観的な数値としてはごく細かな違いにしか過ぎない「肌色」の帯域にググッとズームアップして鋭敏にチューニングできるからです。

同じように「体温」に関しても、36℃を中心とした2℃前後の帯域に敏感となるような人間の設計があるため、他人のデコに手を当てると微熱でさえなんとなしにそれを感じ取ることができます。
60℃のお湯と62℃のお湯に手を突っ込んだのでは、そういうわけにはいかないことは言うまでもありません。

きっと、「クセ強い集団」の中の人はズームアップ機能によって集団の閾値が低く設定されており、客観的には取るに足らない違いが大それたものに感じてしまう原理があるのだと思います。

こうした均質化の中にのみ自分の居場所を置いてしまうと、変化に対する耐性も下がってしまう気がします。
そして恐ろしいことに、人間は馴染んだものに惹かれてしまう性向をもつので、意図的に逸脱する機会を自ら躾けていかなければ、どんどんタコツボ化してしまうわけです。

そんなわけで、旅でも本でも、あるいは人との語らいでも、馴染みを感じにくく、むしろ居心地の悪い思いをする舞台を次々と準備しておこうと思います。

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