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ビーフの旅?(I like T-Born)

”人生は食って寝て、少し働いて食って、寝るだけのものだ”と父は呑気なことを言っていた。思い起こしてみると、父が言っていたように人生は食って寝て過ぎたような気もする。若いころは、あまりに食うので”Gavage Disposal” と言うニックネームを拝命していた頃がある。

国際線の機内食やアメリカのパーティーでは 必ず(いまは不明だが?)Chicken or Beefと尋ねられた。当時"私は "Beef Please " と決めていた。
今では、健康に関する情報が多く、肥満、カロリー、長生きなどアドバイスはありがたいが、どうゆうわけか、Beefを食べる機会が激減した。

以下、ロベルトのBeef との出会いの旅の歴史である。

1978年南米視察旅行に同行し、アルゼンチンのカーボーイ、ガウチョの牧場でBeefとの付き合いが始まった。肉の塊が焚火のせいで黒く変色し旨そうな匂いが漂ってきた。本場のBBQには驚かされた。

1978年アルジェンチンのBBQ

今でも南米では大量の肉が消費されている。

1:ウルグアイ(61Kg) 2:アルゼンチン (54Kg) 3:ブラジル  (39Kg)4:USA (38Kg) 5:パラグアイ(36Kg)
日本は28位 (9Kg)、ブラジルの6分の一しか日本人は肉を食べてない。

アメリカでT-Born ステーキをご馳走になった時も驚いた。その大きさはもとより サーロインとフィレを選択しなくていいことをはじめて知った。1983年のことだ。テネシーの田舎のレストラン”イザベラ”での出会いだ。

T-Born の部位
イザベラさん

米BSE牛問題のころ 日本産の「Tボーンステーキ」が販売禁止にになった。BSE(牛海綿状脳症、いわゆる狂牛病)が取り上げられた時期だ。

Beef 好きの日本人はアメリカではT-Born をオーダーした。脂身が好きな者は、フィレが少なめの L-Born ステーキがあることを知ったのはこの頃だ。わざわざNYまでT-borを食べに来ていた。

ニューヨークのステーキハウス

リブロースが美味いことを知ったのはずっと後になってからだ、鎌倉の専門店で食べて以来好きになった。アメリカでも頻繁に食卓に乗ったがソースが強くて口に合わなかったが、嫌いにならなくてよかった。

リブロース


ブラジルの友人(キャプテン)はステーキを食べると必ずパパイヤを食べていた。キャプテンがパパイヤの効能について教えてくれた。ワールドカップの準備の頃だ。

ブラジルでは、毎日のようにシュラスカリアに出かけて行った。おかげで体重があっという間に7Kg増、心臓の負担も増えた。(のちに入院)

シュラスカリアの店内には必ずビュッフェテーブルがあり、サラダやチーズが並んでいる。サラダバーには、キュウリまき、鉄火巻き、巻き寿司も並んでいる。これは、ブラジルに移民した日本人のおかげだ。サラダは新鮮でぱりぱりと張りがあるし、油断するとメインの肉にたどり着く前に、満腹状態となる。ダイエットで肉を控えめにするか、肉をたらふく食べるか事前に決めて出かけていった。テーブルの上には表と裏が緑と赤で色分けられたカードが置かれている。緑は“もっと運んで来い”。赤は“もう満腹なので勘弁願いたい”と言う印だが、カードにお構いなく、次から次へと部位の説明会が始まる。ブラジルの牛はインドから渡ってきたコブ牛。コブ牛のコブの部分はクピンと呼ばれ、これは美味しかった。



日本の上手い肉を開発、育てようとする情熱と努力べた者には 和牛には、鉄板焼きが適していると思っている。目の前で焼かれるBeef を見ているとMouth wartering してくる。
 
 

サーロインステーキ


Chicken or  Beef ,そんなロベルトも今では鶏肉を頼むようになった。年と健康のためだが、今は鶏肉と魚を食べ、めったに牛肉を食べえることがない(焼肉は少々)
牛肉探しの世界旅行をしたいが、”見るだけ”の旅になるかもしれない。
ヒッチコックは死ぬまで食べたいものは、時にはNYからLAの職場までデリバリーさせていた。細く、やせた、ヒッチコックの写真を見たことがない。彼も肉好きだったに違いない。(卵嫌いで有名)身長171㎝、体重85㎏ ロベルトもヒッチコックに近づいてきた。



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