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[悩みその2]人の気持ちがわからないなぁ|李せんみのお悩み暴露室

30歳前の悩みおおき年頃。自分の抱える悩みは、みんなの悩みでもあるのでは? という仮説のもと、ガチの悩みとそれを経験して得た知見を綴っていく連載です。みんながどんなことで悩んでいるのかも知りたい。【どうでもいい近況:毎晩ポテトを揚げていたら、体重の絶対防衛ラインをやすやすと突破されたので、プランク運動をはじめました。】


嫌味が通じない子供だった。
「ほんと、マイペースな子やねえ」の意味が、「もっと他の子と一緒にちゃきちゃき動きや!」だなんて、知らなかった。
嫌味を、その言葉の意味のままに受け取ったなら、嫌味を言った本人はさらにイラっとするものだけど、なんで機嫌が悪くなっているのかが、わからなかった。


かわいいと思った時にしか、かわいいと言わなかったし、
おもしろいと思った時にしか、おもしろいと言わなかった。

でも、かわいくないと思っててもかわいいと言うものだし、おもしろくないと思っててもおもしろいと言うことは、いくらでもあるんだなと、大人になるにつれて知っていった。
それは嘘をつくというよりも、人間関係をうまく進めるための、潤滑油みたいなものだった。


「人の気持ちを考えなさい」
と、よく言われたものだった。

公式があって、絶対的な答えが存在する数学の点数はよかったけど、国語の点数はよくなかった。主人公の気持ちなんて、わからないからだ。
この時の主人公の気持ちを答えなさいという問題文に、果たして正解はあるのだろうか?
怒っている時に優しく微笑む人もいるし、嬉しいのにぶすっとしている人もいる。その表情だけで、その言葉尻りだけで、その人の気持ちがわかることなんて、あるのだろうか?


人の気持ちがわからなくて、無意識に人のことを傷つけてしまうことに悩んでいると、こんなアドバイスをもらうことがある。

「自分がされて嫌なことは他人にはしないこと」

なるほど。「人の気持ちを考えなさい」というのは、言葉の通りに人の気持ちを考えるのではなく(人の気持ちなんて本当にはわからないから)人のことを傷つけないこと、という意味なのかもしれない。

たぶんわたしは、自分がされて嫌なことに対して鈍感だ。大抵の人が嫌だと思うことにも、わたしは心を鈍くして、嫌だと思わないように回避をしてきた。それが、人に嫌なことを言われることが多かった自分が、傷つかないための、自分を守るための方法だったからだ。

だから、他人に失礼なことをしてしまう時、失礼なことを言ってしまう時は無意識に、わたしもこれくらい我慢してるんだから、あなたもなんともないでしょう?と、自分の基準を前提としていた気がする。
自分の心を鈍感にしたように、相手の心も鈍感であることを望んでいた。
ただの不幸の連鎖だから、よくない。本当によくない。

対人関係でよく言われている「自分を愛せないと、人を愛せない」とは、まさにこのことかもしれない。
自分を舐めてかかる人の、失礼なことを言う人の言葉に、きちんと傷つくこと。
そして、傷ついたということをしっかり訴えること。自分の気持ちに蓋をしないで、何を感じたのかをそのまま受け止めること。それが、自分を大切にするということなんだと思った。
そうすることで、嫌なこととは、自分にとってはどういうことなのだろうか?から、
それは他人にとっては、どういうことなのだろうか?への視点の転換が可能になる。

わたしは、自分の存在が軽んじられた時、他人と比較された時、自分の大切に思う人が貶められた時に、強い怒りを感じることを最近自覚した。それが、わたしにとっての嫌なこと。
つまりは人と人との関係において、相手を尊重することが、この人も誰かにとっては大切な人なんだという想像力が、人に嫌な思いをさせないための、大事なことなのかもしれないと思い至った。

人の気持ちを知ることは難しいけど、自分の気持ちを知ることはできる。

自分の気持ちをわかってあげられたなら、少しずつでも、他人を気遣っていくことができるのかもしれない。
自分はひとりだけど、自分の境界を広げてみると、そこには他人も入ってくるんだし。

人の気持ちがわからないことは、それとして受け止めて、他人を傷つけないことについて、もう少し考えてみようと思う。


[お悩みその1では、愛想が悪いことに悩んでいます]


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