マガジンのカバー画像

下北沢で会いましょう

16
コワーキングスペース「ロバート下北沢」のオーナー・原 大輔が綴る、ロバート下北沢を作ったワケ。そこにはいろんなものが繋がっているストーリー。
運営しているクリエイター

#下北沢

【第16回】無色透明からカラーになった瞬間

あと30ページ分を印刷に入れて終了というその日の夜、事件は起こった。 作業していたMacの画面が突然ブラックアウト...。 いまでは考えられないかもしれないが、20年前のMacは突然フリーズする「爆弾マーク」というものが出ていた。 グラフィカルに「爆弾」が出て、かわいいね〜なんって言ってる場合じゃない。 30ページ分のデータが一気に吹き飛んでしまったのだ。校了まであと5時間くらい、その時、俺は...。 そばのソファにふて寝してしまった。 もう寝るしかなかった。知り合い

【第15回】溜まり場からクリエイティブ集団の誕生前夜

まるまる1冊をつくるというのは、俺としても初めての試み。 仲間が結集して、編集、撮影を行った。モデル撮影、カタログページ。自分たちの理想をぶつけたのは面白かった。 デザインもアシスタントのコイミーの友人たちを集めてもらって、8畳のボロアパートに寝泊まりしながらあーでもないこーでもないと進めていった。 無事、本も出来上がり、ギャラのすったもんだはあったものの1冊を仕上げた安堵と高揚感はいまだに忘れない。 代々木に屯っていた仲間たちとの共同作業をやり終えて、俺の記憶だとここ

【第11回】デザイナー原大輔のはじまり

俺が再三言っている「原風景」とはなにか。 1999年からの数年間、友人を通して知り合った仲間たちと作ったコミュニティのことだ。 その前に、俺のデザイナーとしての成り立ちから話そうと思う。 大学受験にことごとく失敗した俺は、最後の最後で夜間の大学に滑り込んだ。現役と浪人時代に美大を受験していたのだが全て不合格。高校の最後の時期までラグビー漬けだったので、当然デッサンなんてやってこなかった。小論文には自信があったので、学科と小論文で受けられる大学を探して、受験した。ひとつは学

【第10回】野生の証明〜不器用な男ですから〜

認知、集客のために、なんでもやった。トークイベント、ワークショップ、落語の会、そしてパンマルシェ。特にパンマルシェは好評だった。都内の名だたるパン屋さんを厳選して、夕方までに作ってもらって、そのまま羽田へ。(段ボール50箱!)福岡空港に到着して、レンタカーで店まで運んで夜中に陳列。その日の朝にオープンと、かなりの綱渡りで行っていた。朝にはもうお客さんの長蛇の列。正直ビビった。ここまで反響があるとは。。おおよそ200人くらいは並んだじゃないだろうか。 最初はクレームもいただい

【第4回】会社を壊した。じゃぁ俺は?

ウチの会社に他の人のノイズを混ぜ合わせることで、ここ下北沢での活動が始まった。 古株のスタッフの独立など入れ替わりもあり、会社も若手スタッフの人数も多くなってきた。後輩の編集プロダクションやデザイナーのメンバー、フリーで加わった外からのメンバーたちがいい感じにウチの会社をかき回してくれていた。はじめこそ、みんな戸惑っていたとは思うけど、次第に心が通い合うようになって、若手メンバー同士で飲みに行ったり、スタッフたちは先輩たちに業界のいろはを教えてもらったりしていた。停滞してい

【第2回】街に降りよう!

自分でnoteを始めるにあたって、とにかく1日1記事を目標に書いてみようと思っている。100日でなんちゃらのワ◯みたいなね。 ここでは下北沢に移ってきた経緯やロバート下北沢を始めようとした経緯などをつらつらと語っていきます。 懐かしい「匂い」シモキタに来たのはおおよそ20数年ぶり。デザイナー駆け出しの頃、友人がシモキタに住んでいたりしてよく遊びに行っていた。今だとご飯屋さんの「山角」があるその並びにあった「BEBE」という店なんかに飲みに行っていた。自由な雰囲気でシモキタ

【第1回】はじめました

はじめまして、原 大輔といいます。こんにちは。下北沢でコワーキングスペース「ロバート下北沢」をやってます。代表の原です。カンタンな自己紹介をやっていこうと思います。 本職は雑誌をメインに広告や冊子などの企画、デザインをやっている株式会社スロウを経営してます。 27歳でフリーのデザイナーになって、36歳で法人化して株式会社スロウとして現在に至ります。なんのキャリアもなく無謀にもフリーのデザイナーになって山あり谷あり乗り越えて23年目を迎えます。 このマガジンでは、下北沢に