続 奈良の夜は凄かった〜おん祭り編〜

奈良の夜の表情に魅了されて、春日若宮おん祭りの遷幸の儀を見に行った。
おん祭の中でも秘儀中の秘儀とされる遷幸の儀は、写真撮影、懐中電灯、私語は一切禁止。(詳しいことは調べてください。)日の変わる深夜に始まる。

 12月の夜の春日大社の鳥居をくぐった途端に夜の暗さに圧倒される。夜は人より鹿のほうが数が多いことに気がつく。日中は人間と自然が共存していると思い込んでいたが、夜の闇は自然の中に人間がいることを気がつかせてくれる。ほんとお邪魔しますって感じ。

暗闇で嗅覚が鋭くなり、獣の匂いが充満していることにうろたえる。
時折光った目の存在に気がつく。夜の鹿は堂々としている。日中せんべいにお辞儀してるなんだなんてとても思えない。
風の音がしっかり聞こえる。
夜の春日大社は明らかに人間中心の世界ではないのを肌で感じとる。

人通りがあまりない中、暗闇を進むと目的地周辺にはすでに大勢の人がいた。明かりも少しあった。順番に道の両脇に並んでいるので列に加わった。後からも少しずつ行列がのびてゆく。大きな声をあげている人はいない。みんなじっと日が変わるのを待っている。

消灯とともにあたりが一斉に暗闇に包まれた。まだ20分ほどある。いよいよだと心はやる。ざわめきの後ろに低いゆっくりとしたリズムがかすかに聞こえてきた。気がついていない人もいるかもしれない。途方もなく大きな太鼓を紙で包んだようなバチで優しく撫でるような音だ。それはゆっくり目覚め始める巨大な生き物の心音のようだった。心臓のペースメーカーってそういうことか。「そういうこと」が「どういうこと」かわからないのけど納得した。

行列がやってきた。皆が緊張して静まりかえるとその心音はよりはっきり聞こえてきた。先頭の松明が道を清める。道は広くて離れているのに露出した肌は熱を感じ火によって清められるのを感じる。次に香がやってきた。鹿のにおいを消し去る。闇のせいか鼻が敏感で、香りを強く感じるが不快ではない。肺の中まで浄化された感じだ。いよいよ100人ともいわれる神職の「ヲーヲー」という声に取り囲まれて若宮様が近づいて来た。見ることはならないので頭を下げる。通り過ぎた後にみると、神職達は榊か何か木の枝を持っている。「ヲー」という音で、そして木の枝で、そして人であらゆる技を用いてあらゆる穢れから守るよう大切に取り囲んでいる。「人垣」という言葉が脳に浮かんだ。

この後御旅所では暁祭が行われる。まずご飯を差し上げるそうだ。ご飯の間に鳴る大太鼓は、先ほど聞こえた太鼓の音よりしっかりと鳴り響いた。近いからかもしれないが、ご飯を召し上がってより一層心音が安定したかのようにも感じた。

深い意味は全くわからないまま参列したが、神秘的な世界だった。
夜の闇は私達の感覚を研ぎ澄ます。
嗅覚、聴覚、皮膚感覚
見えない中で見えるもの
見てはならない時に感じるもの。

LED普及のおかげで最近夜が明るすぎないか?

一種のトランス状態だったような気がする。日本のトランスは引き算の美学だと思った。少ない音、少ない香、少ない照明…。
皆が感覚を研ぎ澄ますことで、その空間が現れる。全く見事だと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?