寒さはひとを寄らせるらしい

冬の寒さを具体的に感じなくなった。
高校まで公立のところへ通っていたから、教室にエアコンはなくて、廊下はきんきんと冷えてた。
通学は自転車で、冷たい空気が体中に張り付いて、ぶるぶる震えながら、強張る首が痛くなった。 

冬の具体的な寒さを感じるたび、大人が羨ましかった。エアコンがあるところで活動して、車でどこへでも行ける大人になるのが待ち遠しかった。

いま、文明の利器に存分に浸かれるようになって、季節の候を感じなくなった。快適だ。非常に快適。やはり、体温の変化は生命にかかわるので、快適に越したことはないと、改めて感じる。

でも、冬にある、ひとの風物詩みたいなのはおもしろかったなと思う。

職員室にだけヒーターがあって、そこだけひとが溜まって、生徒もなにかと理由をつけてそこに集まるって、ひとが増えると追い払われた。
いま思っても理不尽で、教室にもヒーター置いてあげてもいいと思うけれど。学生時代に先生と共感するのは難しかったから、寒さに負けてる先生が、いやに人間らしくて、ニヤニヤしていた気がする。


高校のときに、毎日一緒に通学していた友達との会話が好きだった。寒さに凍えていると、夏がよかったって言いたくなる、それをわがままだって、刺してくる友達が好きだった。

「やっぱ夏の方が好き」
「それ夏の時にも言ってた。冬のほうがいいって」
「寒いもん」

寒いから夏のほうがいいって、あのとき言ったけど、本当は早く日が暮れるから嫌だった気がする。
日が落ちる前に帰らないといけないから、駄弁る時間が短くなって嫌だった。部活が終わったあとの、ふたりでいるときが楽しかった。駐輪場で、一生くだらない話をしていたかった。ジャージは貸してくれたけど、カイロ貸してくれなかったのは恨んでるけど。寒いから、早く帰りたいもあったけど。

冬の具体的な寒さに、具体的な思い出があって良かったなあと思う。特にひとの。
いま、具体的に寒さを感じるのは、追い焚き機能がない風呂に浸かって、冷めていくお湯と体温に隙間風が追い討ちをかけてくる、この瞬間。
こんなnote書いてないて、早く風呂から出たほうが良い。追い焚き機能を得られるには、もう少し大人にならないといけない。エアコンは手に入れられる歳にはなれたので、文明の利器のありがたみを肌で感じに行く。いや出る。もう寒い。

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