「魂の光」(ヨーガ・スートラの解説書)を先生から直接教わることの価値
私は現在、アリス・ベイリーさんのご著書である「魂の光」(ジュワル・クール大師に英訳してもらったヨガ経典「ヨーガ・スートラ」について注釈を施した本)をテキストとしてラージャ・ヨーガの講座を受けています。
独学という手段もありますが、わざわざ時間とお金をかけて「魂の光」の講座を受けにいくことにどのような意味を感じているのでしょうか。
心を躾ける機会
インドではお師匠さんのお宅に弟子たちがお邪魔してヨーガの勉強をするそうで、私たちも同じように先生のお宅に伺ってヨーガを学んでいます。
会社員×主婦の私ですが、ヨーガの日の前日に「ヨーガもいいけど、休みの日はゆっくり起きたい。遊びに行きたい。」といった気持ちがふっと出てくることがあります。しかし、「明日はヨーガ(講座)だから」と夜更かしをせずに布団に入ります。
当日は、神社にお参りに行くような気持ちで、上から下まで、下着も含めていつも同じ白い服を身に着け(ヨーガを学びに行く、というスイッチをONにするため)、電車が遅れても遅刻しないように、自主的に早めに家を出ます。
そして、電車の中では背筋を伸ばして「魂の光」を読み、早めに着いたら喫茶店で「礼儀正しく」を心掛けてお店の人に注文をし、「魂の光」を読んで時間調整をします。
お教室に入ってから出るまでの間も緊張しながら、姿勢は崩れていないか、言葉遣いや所作は?と自分を観察しています。
自分の雰囲気、姿勢、表情、所作、言葉づかいを先生が観られているからです。
このように書くと「不思議な人」「おかしな人」と見られるかもしれませんが、実際にやってみると自分を律する上で効果が出ていることを感じています。
先生によりますと、インドのアシュラムでは決められたスケジュールや規律通りに生活することが求められており、その目的のひとつに「自由気ままにさせてきた揺れ動く心を躾けること」があるからだそうです。
確かに、ヨーガに通うときの心持ちは日常生活とは異なるもので緊張しますが、インドのアシュラムに行かずに、日常生活と異なることを自分に強いることで自分を律する訓練をしているような感覚を得ています。
お教室の空気、先生の存在が精神世界の学びの場を整える
先生は毎朝、講義を行う和室やヨーガを行うお教室の窓や床を丁寧に拭き清めておられるそうです。講義が行われる和室はテーブルと座布団だけの空間で、足を踏み入れると神聖な、凛とした空気を感じます。
また、先生が「魂の光」を読み上げるときの声の抑揚や息づかい、そして先生の凛とした佇まい、力強い波動など「その場に行かなければ感じられないこと」を全身で感じられます。
厳かな透明感のある空間と先生の存在が、お教室に"日常"を入り込ませる隙を阻み、日常モードの頭では理解することが難しい精神世界の知識を脳に入りやすい場を仕立て上げています。
実際、お教室の外で「魂の光」を読むと、お教室で読んだときと比べて理解度が違うように感じます。
その他の恩恵
それに加え、実際に講座に足を運ぶことで、このような恩恵があると思いました。
・「今まで考えたことのない、全く知らない次元の智慧を、それを想像できない頭で学ぶ」というパラドックスを踏まえて、私たちが知っている世界の言葉で、具体例を示しながら、私たちが理解できるようにかみ砕いて説明していただけること。
・本には書いていないこと、行間の意味を教えていただけること。
・間違った解釈で実践すると自分に危害を与える可能性があることについて、繰り返し注意をしていただけること。
・誤って解釈しやすい部分を示して、間違った解釈をしないよう丁寧に教えていただけること。
・本の内容を実生活においてどのように活用するのか教えていただけること。
・先生の質問について考えることで、これまで使ってきた思考パターンでなく、新たな思考パターンで使う脳の筋肉を鍛えることができること。
etc…
まとめ
こうして先生のところで精神世界の学びを始めてからの2年を振り返ってみると、実に様々な恩恵を受けてきたことに気がつきました。
その中で特に印象に残ったことは、「先生のお教室にいなくても、そこに自分の意識をワープさせると、そこで体感した空気感や先生の佇まい、そこでの自分の心がよみがえり、すくっと心と体を律するモードに切り替わって、そのときの心になれる」ということでした。
いつでも、どこでも、自らを「心を律した落ち着いた自分」に切り替えることができれば、感情の波にさらわれずに、しっかりと生きていけるような気がします。