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冷たい風と、あたたかいラテ

私には、定期的に訪れるところがある。

そこへはいつも、行き先を決めていないときにフラっと歩いて向かってしまう。
たとえば甘いものが食べたくてコンビニに行った帰り。
たとえば暗い気持ちで部屋にいられなくなったとき。
たとえばただ歩きたくなったとき。

今日は9月下旬らしい涼しさだった。
夜ご飯を食べ終えて、あたたかいラテが飲みたくなった。
家からすぐ近くの、最近できたコーヒースタンドへ向かい、大きなサイズのラテを買った。
私はいつもそこでコーヒー豆を買って焙煎してもらい、ペーパーフィルター用に挽いてもらう。今日は焙煎時間が過ぎてしまったので、テイクアウトにした。

その帰り、寒い中でのむあたたかいラテはなんて幸せなんだろうと感じた。
このまま家に帰るのではなくて、ちょっと味わっていこうと思い、向かった先はあの場所だった。
いつもはライトがあまり当たらない、暗いベンチに座る。
以前来たときは、気持ちが暗く、涙が勝手に出てきた。
家では家族がいるから、もう心配をかけないように涙を堪えている。

今日は本を読もうと思い、明るいベンチを選んだ。
風が冷たい。ラテはぬるくなってきた。それでも幸せに浸っていた。
自分で作った、Chillというプレイリストに入っている音楽を聴きながら、ただぼーっとしたり、虫の音を聴いたり、こうやって文章を書く。
ああなんて幸せなんだろう。
やっぱり私は都会向きではないなーと思ったり。
でも近くにコーヒースタンドがあるところに住んでいたいと思ったり。

この年にして、公園のベンチでひとりぼーっと座る人なんているのだろうかとも考える。
いなくても構わないが。
これは私の幸せの一部と言えるから。
私ってほかの人とちがうのだろうか。

ちがうことが嬉しいタイプだが、ときどき心配になる。
本当は会話が難しい。精神が病んでから、以前と同じような会話をできなくなったのだ。それに薄々気づいていたが、周りから言われたことはないので、気づかれていないのだろうと思っている。
しかし本当に思考や会話が難しくなった。
今は転職先でうまくやっているが、今の私が基準だから、なにも思われていないだろう。それでいい。

すべてのことが今まで通り適当にこなせるわけではないが、こうやって幸せを感じることができているのは大きな一歩なのだ。だから私は人より倍幸せを感じられる。傷を負った分、幸せになれるってどこかで聞いたことがあるけど。

寒いなあ、ラテもなくなる。さあー帰ろっと

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