破滅その2 はたけさん

川口に引っ越してきた頃、よく焼き鳥屋のハシゴをしていた。この辺には安くて美味い焼き鳥屋がたくさんあるのだ。始めに駅前のやきとりJへ、その次に線路沿いのKへ、最後に住宅街の中にあるNへ行くのがお決まりのパターンだった。

やきとりJは当時、西川口の西口にも東口にもあり、オートレース帰りのおじさんで賑わう、西川口のシンボル的な店だった(今でも東口店は営業中)。立ち飲みスタイルでカウンターしかない狭い店。小汚い…いや、昔ながらの味わい深い店内は、その雰囲気も相まってそこで飲んでいる知らない誰かと仲良くなるにはちょうどいい広さであった。

余談だがここの店のウーロンハイの作り方は凄い。通常ウーロンハイと言えばコップに氷を入れ、焼酎をコップに三分の一ほど注ぎ、あとはウーロン茶をなみなみと注ぐ。個人的には甲類の粗悪な焼酎を使っていてもらえると満点なのであるが、やきとりJもこっそりラベルを見る限り訳のわからない粗悪な焼酎を使っていた(こっちとしてはもうそれだけで謎のワクワク感。ウホ!と喜んでしまうのは何故だろう)。

店員が、四角い段ボールに蛇口の付いている、3リットルは入っていそうな業務用の焼酎の箱から蛇口をひねって焼酎を注ぐ。箱の焼酎がだんだんと量が減ってくると店員はそこにウーロン茶を大量に流し込んでいく。最後の仕上げにありったけの力を込めての大撹拌だ。こうして3リットルの焼酎が3リットルの大ウーロンハイへと変貌する訳だ。つまりちまちま1杯ずつ作っていては注文が間に合わないから一気に大量に作ってしまおうという算段である。やはりウーロンハイが市井の酒飲みの大きな支持を得ているという大きな証であろう。

その日はさぶろう(弟)たちが西川口まで遊びに来た。西川口に来て最初に入るならやはりやきとりJだろうという事でみんなで入った。話も弾んで一軒目にも関わらずしこたま呑んだ。ここの店はまあ酒が濃い。数杯呑んだだけでもう完全に仕上がってしまう。酔った勢いで思わず後ろで呑んでいた外国人に話しかける。とても日本語が達者で「どこから来たの?」と尋ねるとトルコから来たとの事。モンさんという名前だった。

モンさんとひとしきり盛り上がり、一緒にもう1軒行こうという話になった。2軒目も焼き鳥屋のS。この店には初めて入ったが、かなり上質な焼き鳥を安価で提供してくれる。美味い。もう幸せ一杯である。すると向こうのテーブルに座っている二人組が目に入った。何か見覚えのある顔だ。誰だっけ?

あ!はたけさんじゃないか!

はたけさんと言うと、苗字が畠さんとか畑山さんとか、そういう身近な知り合いを思い浮かべるだろう。しかし私が言っているのはそういう身近なはたけさんではない。あの大プロデューサー、つんく率いるシャ乱Qのギタリスト、はたけさんである。ロン毛に金髪、切れ長の目、色白の肌と、遠目ではあるがこれがどこからどう見てもはたけさんなのである。何故はたけさんが西川口にいるのか。何故こんな場末の町で酒を呑み呑み、焼き鳥に舌鼓を打っているのか。いろいろな疑問が頭をよぎった。

よし!話しかけてみよう!

酔っ払いとは後先考えずに行動する、つくづく怖い生き物である。

はたけさんのいるテーブルまで歩いていく。はたけさんはお友達の方と二人で呑んでいた。お友達の方はドカジャンにニッカポッカというまさに現場スタイル、一方のはたけさんもドカジャンにニッカポッカという同じスタイルであった。ははあ、昨今のミュージシャンは収入面でなかなかに厳しいと聞く。はたけさんも時折現場に出て小銭を稼がなければならない厳しい状況なのかもしれない。勝手な妄想を働かせながらはたけさんに近付いていく。

「シャ乱Qのはたけさんですか?」

思い切って声をかけたところ、返事はこうだ。

「違います。」

またまたー。絶対はたけさんでしょ。これだけ顔バレしといて今更正体を隠すなんて無理だよ。

「はたけさん、せっかくなんで一緒に呑ませてください。」

はたけさんは自分ははたけではないと否定したにも関わらず、勝手にはたけさんという事にして図々しくも同席させてもらう私。何という暴挙。酔っ払いとはつくづく恐ろしい生き物である。

話を聞いてみるとはたけさんは西川口の隣の駅、蕨に住んでいるらしい。奥さんの実家に住んでいるとの事だった。当時、私も奥さんの実家住まいだったのでその話でひとしきり盛り上がった。はたけさんに実は自分もバンドをやっているという話をして、バンドマンはやっぱり一度は嫁の実家に住むもんですよね、なんて話をしてみたらはたけさんは怪訝な顔をする。あれ?だってあなた、シャ乱Qというバンドのギタリストのはたけさんですよね?

「違います。」

またまたー。謙遜しちゃって。どこからどう見てもはたけさんじゃないですか。またもはたけさんの否定の言葉には耳を貸さず話を進める私。

はたけさんのお友達の方に二人はどういったご関係なのかを伺ってみる。どうやら職場の同僚らしい。職場という事は音楽関係?まさかこのお友達の方もシャ乱Q?つんくではないにしろ、まことかたいせいか、はたまた幻のメンバーとなってしまったしゅうなのか?お友達の顔をマジマジと見る。ちょっと誰とも当てはまらない。どうやらそっちの職場ではないようだ。思った通り、はたけさんには世を忍ぶ仮の姿があるという事か。服装から察してきっと現場系の職場であろう。はたけさんもいよいよ斜陽の音楽業界からは足を洗おうとしているのかもしれない。思い切って聞いてみる。

「ギターの仕事はやってないんですか?」

「やってません。」

何と!あの名ギタリストのはたけさんがもうギターの仕事をやっていないとは!そんな事があるのか!だとしたら音楽業界にとって大きな損失だ。確かに音楽業界とは実に世知辛い業界だ。人気商売なだけあって、一度大きな波に乗ってもいずれはバチャーンと弾けてしまう。某レジェンドバンドのボーカルがフラッと現場に現れ、日銭を稼いで帰って行ったという話もどこかで耳にした事がある。音楽業界とは実に世知辛い。

はたけさんさんとお友達の方とひとしきり話をして席を離れた。自分の席に戻るとモンさんは先に帰っていた。2軒目に連れてきておいてほったらかしにするとは本当にとんでもない。さぶろう(弟)に叱られた。ただ、モンさんには申し訳ないが目の前にはたけさんがいるという事実に、私は目を背けられなかった。行かずにはいられなかったのである。その成果としてはたけさんが蕨に住んでいるという事もわかった。シャ乱Qがグッと身近になった。連絡先を聞いておけば良かったな。私はその日はたけさんのツイッターをフォローして寝た。

その数日後、シラフの時に西川口駅前を歩いていたらまたはたけさんを見かけた。例のお友達の方も一緒だった。また二人で呑んでいたのだろう。服装も先日と同じドカジャンにニッカポッカ。声をかけようと思ったが、違和感を感じて直前で声をかけるのをやめた。

あれ?はたけさん…じゃない?

今目の前にいるのは先日出会ったはたけさんには間違いない。しかし自分が全くシラフの状態で改めて見たところ、はたけさんはたけさんではなかった。はたけさんはシャ乱Qのはたけさんによく似た、現場仕事を生業としているおじさんであった。はたけさんだと思っていた人ははたけさんではなく、はたけさんによく似た全くの別人だったのである。そうこうしているうちに、はたけさんはどこかへ行ってしまった。

はたけさんに申し訳がない。はたけさんに申し訳がない。そんな思いが交錯する。ここで言うはたけさんとは現場仕事を生業としているはたけさんと、シャ乱Qのギタリストのはたけさん、どちらもだ。あっちのはたけさんとこっちのはたけさん。二人のはたけさんに本当に申し訳がない。はたけさんはたけさんはたけさんはたけさんはたけさんはたけ。はたけさんを言い過ぎて呼び捨てになってしまった。大混乱である。人としての非礼を詫びたいが詫びる術もない。私に出来る事はただ一つ、二人の目の前から消える事だった。

私はその日、はたけさんのツイッターのフォローをそっと外した。

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