破滅その1 千葉

目が覚めるとそこは千葉駅だった。見上げると大きな光る文字でJR千葉駅と書いてある。私は一瞬で悟った。「ああ、またやってしまったな」と。

千葉は寒かった。信じられないくらい寒かった。寒風吹きすさぶとまではいかないが、冷たい風が時折吹き付けて頬を撫でてどこかへ去っていく。終電はとっくに行ってしまった。もう帰れない。そういえば過去に何度か用事で千葉へ来た事があった。そう思い出し、記憶の片隅からあの時歩いた道のりを引っ張り出して、おぼつかない足取りでとぼとぼと歩いていく。

冒頭で目が覚めると、と書いたが、そもそもとっくに目は覚めていた。既に電車を降りて、駅のエスカレーターを下りていた訳だから。駅の長いエスカレーターを下りて見上げると、JR千葉駅という大きな光る文字があった。そこでようやく我に返ったという訳だ。

今日、いや、日付が変わって昨日は三鷹でライブだった。三鷹へいたというのに私はなぜ今千葉にいるのか。完全なる酩酊状態。酔っ払っていたのである。
電車内で寝ていたのか寝ていなかったのかもわからない。不幸中の幸いだったのは、財布も携帯もカバンもギターも何も無くしていなかった事だ。

「くっ!ギターなんか無くしてしまえば良かったのに!」

出た!己の失敗をすぐさまギターに責任転嫁する奴。つまりロックのせいにする。これが私の悪い癖。ロックをやるからいろいろと問題が起こる。ギターさえ無ければ、バンドさえやってなければ、こんな事にはならなかったのに。酩酊するのは決まってギターを持っている時。何なら自分が呑んでいるのかギターが呑んでいるのかよくわからないくらいだ。いや、それは言い過ぎだった。呑んでいるのはいつだって私。呑まれているのもいつだって私。ギターも濡れ衣を着せられちゃたまったもんじゃない。全ては言いがかりなのである。そしてギターを持っていない時でもお前は酩酊しているじゃないか。全くギターのせいではない。ロックのせいでもない。バンドをやっていると確かにたくさん問題が起こるが、問題が起こる以上に楽しい事が多いからいまだにバンドを続けているのだ。

ともかくここにいてはいけない。寒すぎる。どこかで暖を取らなければならない。だがそこはやはり県庁所在地。千葉の街が眠る訳がない。ほら、ネオンが煌々と輝いて、行くところには困らないんだぞ…と楽観視していた自分がバカだった。見ると千葉の街がもう眠り始めている。とにかく暗い。見渡す限り暗い。明かりがポツリポツリとしかない。これはどうした事だ。終電を逃した者にとっては今はまだまだ宵の口。しかし千葉の野郎はもうウトウトしちゃってるではないか。起きてこい、県庁所在地。

結局行くところは見つからず、酔いも相まって足取りが徐々に重くなっていく。
はて、ファミレスぐらいないものなのだろうか。
県庁所在地ではない川口(自宅がある)でさえ駅前にファミレスがあるのに何故ここにはないのだ?
「千葉!もっと来いよ!」
XのToshiばりの謎の煽りを心の中で唱えながら昔の記憶を頼りに歩いていく。
当てもなく歩いているようで目的地はあるのだ、一応。
どこかと言うと千葉ルック。
バンドマンの聖地である、老舗のライブハウス。
何度か訪れた事があり、そこまでの道のりは何となくわかっていた。
しかし用事があるかと言えばない。知り合いがいるかと言えばいない。
辿り着いたとて、閉まっているだろうから寒さが凌げる訳でもなし。
それでもつい足が向いてしまうのがバンドマンの性というやつか。

千葉ルック前に到着。
深夜の千葉ルック詣も、当然ながら店は閉まっている。
「はあ〜。一体、俺は何をしに来たんだ?」
いや、最初からわかってただろ。
歩き始める前から答えは出ていた癖に何をか言わんや、である。
千葉ルックの閉じられたドアにぶつぶつと文句を言う。
さすが酔っ払い。感じ悪い。
大体ドアが開いていたとして、知り合いもいないのにどうする気だったのか。
酔っ払いというのは何も考えずに行動するから本当に怖い。

さあ、困った。辺りは真っ暗。どこへ行こう。
そうだ!
昔スキップカウズの打ち上げで寿司屋に行ったな!
あそこ、割と朝までやってたな!

もう凍え死ぬレベルで寒い。
千葉が北極か南極かにしか思えない。
フードを被る。ピューピュー。吹雪の音が聞こえてくる。
おお、ついに幻聴まで聞こえてきたな。
何だ、ここは雪山か。
ははは、そりゃあ寒い訳だ。
つまり遭難したんだな。遭難しよう。そうしよう。
坂道を上っていくと目の前に小さな明かりが見えてきた。
ビバークしている人がいるようだ。
おーい、そのテントに俺も入れてくれー。お願いだー。

「いらっしゃいませー」

あ、ここ、例の寿司屋か。

ようやく寒さを凌げる場所に辿り着く事が出来た。
ここに辿り着くまで正味1時間ほどだろうか。
あれ?千葉ルックって駅から歩いて10分くらいじゃなかったっけ?
一体どうやって1時間もかけられたのか。
無意識に牛歩戦術で始発までの時間を稼いでいたのかもしれない。

席に通される。ギターを置く。財布を見る。
残金3000円。
1000円は電車賃のために取っておく。
残りは2000円。
寿司屋で手持ちが2000円というのは非常に心許ない。
庶民の味方のスシロー、くら寿司ならそりゃあ2000円で事足りるが、この寿司屋は違う。
朝までやってるからと言って財布に優しい訳はなく値段はしっかり庶民の敵価格なのである。
しめ鯖1貫、まぐろ1貫、かっぱ巻き、ビールにお茶割りで、はい、予算終了。
1貫300円の寿司を食うなんて豪遊としか言いようがない。
しかし予算が終了したとて、私はおいそれと外に放り出される訳にはいかないのである。
外に放り出されればまた凍てつくような寒さが待っている。
ここからが腕の見せどころ。
チビチビと酒を飲み、チビチビと寿司を食う。
シャリを一粒ずつ摘み、酒のアテにする。
始発まで得意の牛歩戦術という訳だ。

すると、どこからともなく魔物が現れた。そう、睡魔である。この魔物は厄介だ。ラリホーという魔法が使える。一気に私を夢の中へと引きずり込んでいく。視界がぼやけ、身体が前後左右に動いているような感覚に襲われたが、それからは夢うつつ。完全にラリホーがキマってしまった。しかしうつらうつらとする度に天の声が聞こえてくるのだ。

「お客様!」

ん?

「お客様!閉店のお時間です!」

結果、無事始発に乗って川口まで帰れた訳だが、帰りの電車で思った。
わざわざ千葉まで行って寿司3皿だけ食って帰ってきたのは広い世の中見渡しても俺ぐらいのもんだろうな、と。
我が酒クズ人生、ついに前人未到の域まで達してしまったのである。
ふふん、やってやったぜ。
何の自慢にもならない、むしろ恥の上塗りのような出来事を誇らしげに胸に仕舞う残念な男。
尚、後日談になるが、さぶろう(我が弟であり太陽民芸ギタリスト)もこの日のライブの帰りに道で転んで肋骨にヒビが入ったそうだ。
もう何があろうと終電でちゃんと家に帰ろうと思った。

(が、この後もまたやってしまうのである。人間だもの。酒クズだもの。嗚呼。)


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