見出し画像

戦跡:旧陸軍・清洲飛行場跡(愛知県あま市・清須市)

太平洋戦争末期、本土決戦に備えて軍用飛行場(航空基地)が日本各地に急遽建設されることになった。愛知県の名古屋西郊、今のあま市と清須市にまたがって建設された清洲飛行場もその一つである。当時の町名を採って甚目寺飛行場とも呼ばれたそうである。1944年(昭和19年)3月に建設が発表され、そのわずか7ヶ月後の10月に完成している。翌年の8月には終戦を迎えるから、稼働していた期間も10ヶ月あるかどうかである。
終戦後、飛行場の跡地は農地に戻されることになった。よっぽど軍による土地収用が強引だったのだろう、土地を取り戻した農家は、二度と田んぼを手放すまいと心に誓ったようだ。その後、経済成長を遂げ、名古屋の市街地が膨張する中にあっても飛行場跡は水田のまま残されている。都市計画上も市街化調整区域として開発に制限がかけられている。
ただ、一部開発が行なわれている所もあって、目立つのは長方形の敷地を斜めに横切る高速道路=名古屋第二環状自動車道(名二環)である。
その様子は地理院地図を見てもはっきりとわかる。

水田地帯を斜めに横切る名古屋第二環状自動車道(名二環)の高架橋。
中央には工事現場も写っている。また新しく開発が行なわれるようだ。

地上から見た高架橋。環境に配慮して街路樹が植えられていて、目立たなくしている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?