見出し画像

土木:変位拘束構造による連続高架橋

塩津中高架橋と壁式ラーメン高架橋

湖西線、滋賀県長浜市 1974年(昭和49年)
琵琶湖北岸の塩津にとても印象的な高架橋がかかっている。橋脚が薄っぺらくて、しかも中をくり抜いてある。それで高さが20m以上ある。所々に土台を挟んでいるが、見ていて不安になるような細さだ。
もちろんそうなるように設計して造っているわけで、壁式ラーメン高架橋という形式だ。建設当時は壁式高架橋とも呼ばれていたらしい。

真横から見ると中間の橋脚の細さが際立っている。長さ74mの橋桁を4本の薄っぺらい橋脚が支えている。それが1セットで、同じ規格のものを繰り返すことで高架橋を構成している。

工事を担当した日本鉄道建設公団の湖西線第二課長が専門誌に報文を載せていた。一般図があったので、現地で撮ってきた真横からのアングルと比較してほしい。

壁式ラーメン高架橋を構造的に解析していくと、途中に水平方向の変位を引き留める土台を挟むことで、他の区間は極端に細い橋脚で済ますことができるようになっている。これは変位拘束構造と呼ばれる構造形式だ。
細い橋脚で済ますことができるということは、コンクリートや鉄筋などの材料を節約することができるということなので、壁式ラーメン高架橋は経済的な形式として注目された。特に塩津中高架橋のように高さが20mを超えるような場合は、従来の櫓式のラーメン構造と比べて節約効果は大きいとされたようだ。

構造計算の際に配慮しないといけない「変位」に着目すると「変位拘束」構造という名称になるのだろうが、見た目的には、両端を土台でしっかり支持することで中間は桁が折れない程度に支柱を建てておけば十分ということなんだろう(そのことを構造計算をしてきちんと理論化できたというのが土木的な功績だ)。
下の写真は従来の分散構造の高架橋(山陽新幹線・姫路駅付近、兵庫県姫路市)。壁式ラーメン高架橋が全く異なる形式だということがわかる。

東海道新幹線高架橋

東京都品川区 1964年(昭和39年)
壁式ラーメン高架橋は、東海道新幹線の建設時に試験的に何か所かに導入されている。下の写真は東京の目黒川付近のもの。橋脚高が低く、塩津中高架橋ほどの迫力(というか、ひょろひょろ感)はない。

Unstruttal高架橋

ドイツで変位拘束構造を採用した橋梁が新しく建設されていると聞いて見に行ってきた。
なだらかに起伏をしているドイツ中部の平原地帯で、高速新線の高架橋として建設されたものだ。連続する高架橋で所々にアーチが入っている。この部分が「壁」に相当する部分で、同じ構造であっても、国が違えばずいぶんとスタイリッシュなデザインになるものだ。

Gänsebachtal高架橋

こちらも同様に高速新線の高架橋。V字形状の部分が「壁」で、中間の橋脚も丸い棒が2本。どこまで削り取ることができるか技術的に楽しみながら設計している様子が伝わってくる(地震がない上に、そこまで精緻に構造計算ができるように進歩しているということもあるのだろうが)。

Oschütztal高架橋

Oschütztalviadukt
ドイツ国内をドライブしていて、これも極端に細い橋脚が気になった高架橋。長さ185m、高さ28mで、1884年に建設された。橋桁はラティストラスで、橋脚もレーシングしてあって、極力鋼材を節約して製作したことが伺える。
現地で見かけた時は19世紀の鉄橋だから「貧弱」なものしか作れなかったのかと思っていたが、発想が逆で、構造計算が今ほど精緻にできなかった時代は重厚に造るのが普通だった。むしろ、ここまで華奢な見映えで十分な強度を出すことの方が先端技術だった。

変位拘束構造のことを知って改めて調べてみると、一般図が出てきたのだけど、両端を煉瓦造りの重厚な土台で支持して中間は極端に節約するということをやっていて、まさに変位拘束構造である。
こんなふうにものの理解が深まっていくのは楽しい。

本記事での技術的な理解については、竹田知樹、関文夫「設計思想から見た鉄道高架橋の構造形態の変遷に関する一考察」(景観・デザイン研究講演集 No.13 December 2017)に拠った。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?