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空撮:鉄道:廃線跡:山野線・大川ループと途中立ち寄り

山野線は鹿児島本線・水俣駅と肥薩線・栗野駅の間、55.7kmを結んでいたローカル線で、昭和12年(1937年)12月に全線が開通、昭和63年(1988年)2月に廃止となった。北薩の山地を越えるルートで、33‰の急勾配が続くのに加えて、高度を稼ぐのにループ線があることでも知られていた。
廃線後、線路こそ剝がされてしまったが、山間部の土木構造物はそのまま残されている。白眉であるループ線もほぼそのまま残っていて、一度見に行きたいと思っていた。
今回、鹿児島に行く用事があったので、それに合わせて山野線のループ線跡にまで足を伸ばすことにした。

大川ループとその周辺

山野線のループ線、所在地の地名から、大川ループと呼ぶことにする。
まずはドローンを飛ばして空から全体を見下ろしてみた。ドローンの高度は対地140m程だが、ループ線をほぼアングルに収めることができた。
そう、この光景が見たかった。

空から見るといろいろ気が付くことがある。
まず、存在感のある大築堤がある。これは土木量が大きい。築堤がぐるっと囲んで、その中に、棚田とか民家とかが取り残されている。この窪地になっていて出口のないスリバチ状の地形は、山野線の建設によって人工的に作られたのだ。お盆のようにも見える。
ループ線の中の棚田も魅力的な存在だ。棚田の一番上に溜池が見える。つまり、この溜池の水を利用して稲作が行なわれているわけで、ここだけの「閉じられた」系を形成している(実際は空が開かれているが)。こういうのも魅力的だ。
ここだけを取り出して、ジオラマとして再現したくなる。

少し「引いた」アングルで。
ループ線を構成している掘割、トンネル、築堤という土木を一目で見渡せる。

空から全景を眺めることができたので大満足だが、地理院地図の陰影起伏図でも地形を確認しておく。突き出た尾根に鉢巻を巻くようにループ線が建設されているのがわかる。

先程空から見た大築堤を地上からも眺める。
集落の向こうに壁のようにそびえている。この光景も迫力がある。

大築堤のすぐそばまで近寄ってみた。
築堤に登っていく杣道があるが、その手前に郵便受けがある。ループ線の内側にある民家はこの築堤の建設によって集落から切り離されてしまったので、その補償として、行き来するための道が付けられたようだ。

大川ループの路盤を歩いてみる。30‰の勾配は、歩いていても坂を登っている/下っているという感覚がはっきりわかる勾配だ。写真では奥に向かって坂を下っている。

第一大川隧道の薩摩布計駅側坑口。

大川ループは山野線の中の白眉だが、水俣側からそこに至るまでの区間も大規模な築堤が残っている。写真で見えているのは菜ノ木橋梁と築堤で、このあたりは最急勾配に近い32‰の勾配になっている。

久木野川の谷とそこを登ってくる山野線の廃線跡。山裾に沿って築堤を築いている様子がわかる。

薩摩布計駅跡

県境越えの久木野トンネルを抜けてすぐ、150mの位置に薩摩布計駅がある。標高439.5m、薩摩布計駅が山野線のサミットになっていて、駅の両側区間、久木野駅~薩摩布計駅間、薩摩布計駅~西山野駅間ともに平均勾配33‰の急勾配になっている。大川ループも、ここに至るために高度を稼ぐための工夫だったのだ。
駅の跡には、ホームの遺構が残されているほか、駅名標、石碑、記念物として車軸が置かれている。

薩摩布計駅の駅名標。

ホーム跡から久木野トンネルの坑口方面を望む。この先150mで坑口にたどり着けるのだが、現地に行った時はそのことを知らず、荒れた様子を見て足を踏み入れることなく帰ってしまった。

今はバスも廃止されて事前予約制の「のりあいタクシー」に転換されているが、その乗り場には布計駅前の名前が残っている。
この「のりあいタクシー」、伊佐市のサイトを見てみると居住者に限るなどの利用制限はないようだが、午前中に市街地方面の上りが2便、午後は布計方面の下りが3便という設定で、外部からの旅行者が利用するのは事実上不可能なダイヤになっている(2024年1月時点)。

薩摩大口駅跡

今は伊佐市になっているが、大口市の中心地にあった駅で、山野線沿線では随一の都市だった。またここから川内駅(薩摩川内市)に通じる宮之城線の分岐していた。そうしたことから、蒸気機関車や気動車を停めておいたり日常の整備をする車庫(機関支区)が併設されていて、広い敷地を持っていた。
駅跡に建てられた大口歴史民俗鉄道記念資料館には薩摩大口駅で使われていたポイント切替装置が移設・保存されているそうだが、訪れた時は残念ながら長期閉館中で見ることができなかった。今回は、同じ駅跡に作られた小公園を眺めるだけで我慢。

貨物列車に連結されていた車掌車・ヨ8000が展示されている。山野線や宮之城線で使われていたものかどうかは、特に触れられてはいなかった。

肥薩線合流地点(栗野駅へのアプローチ)

山野線は栗野駅で肥薩線と接続しているが、栗野駅へのアプローチは大きなカーブを描いている。
この部分の廃線跡は道路に転用されていて、大カーブも残っている。これは空から見るとよくわかる。

撮影日=2023.02.03

栗野駅

肥薩線・栗野駅。ここが山野線の終着駅だった。
今回はつまみ食い的に何か所か立ち寄っただけだったが、区切りとして栗野駅まで行ってみた。

山野線の廃線跡は、一部が国道の敷地に転用されてしまっているところもあるが、多くの部分は遊歩道や自転車道に転用されながらかつての鉄道だった頃の風情を残している。
次回はもう少し時間を取って、廃線跡めぐりをしてみたい。


【更新履歴】
2024.02.06 栗野駅へのアプローチを追記

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