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通信:草戸峠に残る鎧装ケーブルとケーブルハット

戦前の長距離電話のケーブルが埋設状態のまま残っていると聞いて、見に行ってきた。

ルートはこんな感じで、町田市の相原から登って草戸峠を越えて八王子市の南浅川(梅の木平)に降りるルート。高低差100mの峠越えで、ちょっとした運動にはなるだろう。途中にケーブルとケーブルハットと呼ばれる小屋が残っているので、その2つは見逃さないようにするつもりだ。

町田市の相原からのアプローチだが、JR中央線の西八王子駅からバスに乗って終点の法政大学・多摩キャンパスで降りた。大学は春休みの時期の、しかも土曜日で、車内はガラガラだったが、それでもバスの便は1時間に5本あって有難い。
法政大学のキャンパスから峠道の入口までは少し距離があるのだが、最寄りの「ネイチャーファクトリー東京町田」バス停まで行くバスは横浜線の橋本駅から出る系統になっていて、橋本駅まで行く手間を考えると、こっちの方が良い。

法政大学・多摩キャンパスから少し歩いて、峠道の入口にたどり着いた。ここからはNature Factory 東京町田という青少年研修施設の敷地になっていて、車両通行止めになっている。元は大地沢青少年センターだったのが、2023年4月に指定管理者制度を導入してそれに合わせてネーミングも変更したようだ。
途中、研修棟や炊飯場の横を通るけど、草戸峠へ通じる峠道は誰でも通行することが可能だ。

そのNature Factory 東京町田の敷地内に、ケーブルが埋まっている。研修施設だけあって説明板が立ててあって、よほど不注意でなければ見落とすことはないだろう。
露出場所が杉の木の根元なことから、説明板には「木の根のように見えますがケーブルです」とわざわざ注意書きがしてあった。確かに見た目は、木の根のようにも見えるし、場合によってはヘビに見えてしまうかもしれない。くねっているので柔らかい素材のように見えてしまう。
でも実際には鎧装ケーブルという鋼鉄を外に巻いたケーブルで、非常に頑丈にできている。そのまま土の中に埋設すること(直埋)が可能なケーブルだ。見た目にはサポーティングテープを巻いたようだが、試しに爪先で叩いてみるとカチカチという硬い金属音が響いた。確かに鋼鉄製だった。
そして、両脇に境界杭が打ってあるものいい。ここは冒頭に書いたように町田市の施設なので土地は基本的には市有地になっているはずだ。そこに、境界杭が打ってあるということは、市有地とは別の土地所有が細く入っていることになる。旧逓信省はケーブル敷設の幅分だけ細長く土地取得していたのだろうか。

写真右手の擁壁の上に道路がある。車が通れる幅があるが、おそらく境川の砂防工事用に作業車両の進入路として付けたように思われる。
当初から道の脇に設置されていたのか、それとも写真に写っている犬走りのようなところが元は峠道だったのか、もし後者だったら、この境界標は里道の敷地を意味している可能性もあるが、そのあたりはよくわからない。

わずか1m程のケーブルの露出だが、想像していた以上に感激してしまった。今日の目的はこれで半分ぐらい果たしたのではないかと思ってしまうが、実はこの後もいろいろなアイテムがこの峠道には潜んでいた。

砂利道をそのまま進んでいくと境川の源流に至って、そこから草戸山の頂上に抜けるルートになるのだが、今回は途中で草戸峠を越える道に入る。ここからが登攀区間になる。

草戸峠への登り坂、足元にコンクリートの塊を踏みつけて、ふと気になったので土や杉葉を払ってみたら、なんと逓信省マークが出てきた。思わず「出たっ!」って声が出てしまった。
このコンクリート標の下にケーブルが埋設されているのだろう。今歩いている峠道こそがケーブル敷設ルートで間違いない。これはテンションが上がる。

続いて出てきたアイテムが「東名」と刻んである標石。現地で見た時は、何で「東名」?と思ってしまった。というのも、今の地理感覚で東名と言えば東名高速道路が思い浮かんでしまったからで、逆にここらは中央自動車道のテリトリーになる。もしかして東電(東京電力)の何かの標石じゃないかとさえ思ってしまったが、家に帰ってからきちんと調べてみると、これは「東名」で合っていた。

今回探索している草戸峠の長距離電話のケーブルについては2つのことが言われている。
一つ目は無装荷ケーブルであること。二つ目は日本と満州とを結ぶ日満連絡回線のために敷設されたということ。
一つ目は一旦置いておいて、二つ目についてまず補足をしておく。戦前に構築された日満連絡回線の一部であることは確かだが、別に日満の専用回線ではなかった。もっと言うと、国内の長距離電話網における東京~名古屋の回線増備を目的として敷設されたものであった。
当時、東京~名古屋間には、昭和3年に東京~神戸間で整備された装荷ケーブルによる既に回線があったが、通話量が増えるに従って回線増備が必要になっていた。その回線増備の際に地理的冗長性を高めるために従来の東海道ルートではなく、甲府・茅野を経由する中央ルートが選ばれることになった。

その新ケーブル回線について逓信省工務局では「東京名古屋間第二市外ケーブル」「東名間新ケーブル」と呼称していた(逓信省工務局、「日滿連絡無裝荷ケーブルの完成に就て」『ワット』1939年11月)ようである。
一方で、先にも書いたように日満連絡回線は全てが無装荷ケーブルで新しく敷設されたわけではなかった。元よりそのような経済的な余裕もなかった。昭和14年時点で、大阪~小郡(山口県)の区間は既設の装荷ケーブル回線がそのまま使用されることになった。

さて話を元に戻すと、標石の「東名」の文字と「東名間新ケーブル」という部内呼称が一致している。なお電電マークが付いていることから、この標石自体は戦後、昭和24年9月に電気通信省ができて以降に設置されたものである。
昭和24年ならケーブル敷設から10年、まだ現役で使われていて、逓信省からの引継ぎの際に財産確認して標石を設置したというストーリーも成り立つ。

「逓信省マーク」と「東名」のアイテムを拾いながら峠道を登り、草戸峠にたどり着いた。峠で小休憩をして、ここからは梅ノ木平林道を目指して下っていく。
今思えば草戸山まで往復しても良かったかなと思う。草戸山は標高364mの山で、その数字が1年間の日数364日と一致しているので、「1年間の山」と呼ばれたりもしているそうだ。
だが、この時は、早くケーブルハットに会いたくてたまらなかったので目的地にすぐに向かった。

それが、峠道を下って行っても、お目当てのケーブルハットはなかなか出てこなかった。だいぶん下って、そろそろ麓の梅ノ木平林道が見えかかった頃に、これまた、峠道とは沢を挟んだ茂みの向こうにコンクリート製の小屋が見えてきた。
沢を挟んでいるので直接行くのは難しそうだったので、一旦林道との合流点近くまで下ると、果たして沢向かいに登っていく細い道があった。このケーブルハットだけ行くのであれば梅ノ木平林道からアプローチするのが断然近い。

青いホウロウのプレートが掲げられていて、そこにはまぎれもない逓信省マークが記してある。
このケーブルハットについては草戸峠のルート上に位置していて逓信省マークが入っていることから、「東名」回線のなんらかの施設であるとしても間違いではないだろう。
扉の上部、目のように見える部分は、電電マークの跡だ。

これで、お目当ての鎧装ケーブルとケーブルハットを回収して、加えて逓信省マークと「東名」標石もゲットできて、満足して峠道を降りることができた。

さて、峠を降りた先の梅ノ木平林道がどこに通じているかというと、料亭の「うかい鳥山」の前に出た。確かここには越中五箇山から移築してきた合掌造りの建物もあり、知り合いの結婚式で来たことを思い出した。

甲州街道(国道20号)に出る。京王線・高尾山口駅までは1.6kmと案内標識に書いてあった。高尾山ICの高架下をくぐって行く。

京王線・高尾山口駅に到着。

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