空撮:競馬場跡
日本各地に廃止になった競馬場跡がたくさん残されている。その数、ざっと100以上。
廃止の経緯はいろいろあるが、その中でも多いのが、戦前各産馬地で畜産組合が開催していた「地方競馬」が、軍用馬確保と戦時統制を目的とした昭和14年(1939年)の軍馬資源保護法によって廃止に追い込まれたというもの。2024年時点で、廃止から85年も経過している。それでも、くっきりと痕跡が残っている競馬場跡がいくつもある。競馬場の長円を描くトラックの跡が地割として残されているのだ。コーナーの曲線に沿って家が立ち並んでいて、痕跡を残している所もある。
それ以外の理由による廃止もあるが、それなりに年月を重ねて痕跡が残っていることに変わりはない。
競馬場のトラックは、一周が1,600mや1,000mもあるので、地上から全体を見渡すことは難しい。何十年の間に家が建ったり木が生えたりして見通しが効かなくなっているので、なおさらである。そこで、ドローンを使って空から眺めてみる。ドローンが高度を徐々に上げていって地上からは見えない競馬場跡の「オーバル」が見えてくる瞬間は、感動モノである。
そんな廃競馬場跡を訪ね歩いてみた。
芦野(金木)競馬場跡
【昭和11年当時の所在地表記】青森県北津軽郡金木町蘆野
【現在の所在地表記】青森県五所川原市
大正4年に競馬場が整備され、昭和12年まで競馬が開催された。昭和14年に軍馬資源保護法を受けて正式に廃止となった。
金木競馬場とも呼ばれていた。
今も家の並びでトラック跡を確認できる。
芦野競馬場の開設年について、現地の案内板は白川兼五郎『金木今昔物語』(昭和56年)を引いて「大正5年(中略)西洋式の芦野競馬場が開設」としているが、大正9年に町が出版した『金木 町制記念』には「大正4年津軽地方代表的競馬場を建設」とある。着工/竣工/営業開始年の差異だろうか。
一周1,600m、幅21m
正門の門柱が残っている。
後三年競馬場跡
【昭和11年当時の所在地表記】秋田県仙北郡飯詰村後三年
【現在の所在地表記】秋田県美郷町
後三年という名称は、この地が平安時代後期に起きた後三年の役の古戦場であることに由来している。
後三年の役という歴史ロマンに便乗して、大正時代に娯楽地としての開発が進められる。大正3年(1914年)に後三年顕勝会が結成されて運動母体となるが、大正10年(1921年)に国鉄奥羽本線が開通して近傍に設置された駅の名称が後三年駅になってから本格的に動き始める。大正12年(1923年)には、当時公園設計の第一人者であった長岡安平に設計を依頼して、山本公園(現・雁の里山本公園)が整備され、公園には競馬場が併設された。後三年を含む仙北郡には、郡内に3か所の競馬場が既にあったが、それらを統合して、本格的なトラック一周1,600mの競馬場が作られた。競馬場以外に、スキー場も作られて、娯楽地となった。
そんな後三年競馬場だったが、昭和14年に軍馬資源保護法を受けて正式に廃止となった。
一周1,600m、幅22m
大上競馬場跡
【昭和11年当時の所在地表記】秋田県平鹿郡阿気村
【現在の所在地表記】秋田県横手市
大上競馬場は、地元の素封家・土田荘助(地主でもあり実業家でもあり衆議院議員を務めた政治家でもある)が自費で開設した競馬場である。自ら競馬場を造るぐらいだから、土田の競馬への情熱は半端なく、自ら農場を経営し、東京競馬場・東京優駿(現在の日本ダービー)優勝馬のフレーモア、阪神競馬場・阪神優駿牝馬(現在のオークス)優勝馬のアステリモアを生産している。そうした戦前競馬史を知る人にとって、この大上競馬場跡は聖地とも言ってよい場所である。
昭和14年に軍馬資源保護法を受けて廃止された。
雄物川の河川敷に作られたため、後の河川改修で作られた堤防が敷地跡を横切っているが、トラックの跡はまだはっきりと確認できる。
一周1,600m、幅21m
奈良競馬場跡
【昭和14年当時の所在地表記】奈良県生駒郡平城村秋篠
【現在の所在地表記】奈良県奈良市
奈良競馬場は昭和4年(1929年)に尼ヶ辻に1周1,000mのコースで開設されたのがはじまりで、昭和14年(1939年)に現在地に移設して、コースも1,600mに拡張された。この年、軍馬資源保護法が施行されて多くの地方競馬が廃止に追い込まれたが、奈良競馬場は軍用保護馬鍛錬競走の開催競馬場として存続した。戦後の昭和25年(1950年)に休止となり、そのまま昭和29年(1954年)に廃止となった。
一周1,600m、幅30m
南薩競馬場跡
【昭和11年当時の所在地表記】鹿児島県川辺郡勝目村
【現在の所在地表記】鹿児島県南九州市
昭和14年に軍馬資源保護法を受けて廃止された。
トラックの跡は杉林になっている。列を成しているので人為的に植林したのかもしれない。植林だとすると「跡地」を明確な目的をもって再利用したことになり、競馬場跡としては珍しいケースだ。
一周1,000m、幅21m
ホームストレッチ部分の林の中に入ってみると、コンクリートで縁止めされた壇状の地形があった。厳密な検証はできないが、観客席の段の跡と考えるのが普通だろう。
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