和歌山 みかん 2023/12/16

20:01。和歌山市内の映画館にいる。和歌山のみかん農家に住み込みバイトに来て三週間くらい時間が経った。ついこないだきたばっかりなような気がしているのに、神奈川を出発したのは遥か大昔なように思える。住んでいるのはシェアハウスで一番多い時は9人くらい住んでいた。昔は何かの保養所だったらしい。家と呼ぶには公民館に似過ぎている。リビング、というより一階の広間には大きな、28歳健康な男性が一人で動かすのにも精一杯な、やたら重厚感のある、1.5畳ほどの大きさのローテーブルが4つ。中央にできたスペースにこたつが二つ。一つはこたつ自体は壊れていて下に敷いているホットカーペットが出す熱をなんとか閉じ込めることで暖を取っているもので、もともとはこれしかなかった。のだが二日目くらいでこのバイトを色々斡旋しているおじさんが新しい普通の暖かいこたつを持ってきてくれて、それら二つが並んでいる。なのに、最初の二日間の伝統主義者たち(俺たち)はなぜか今でも壊れているこたつに入ってご飯を食べる。

家は全体的に古く汚く、たぶん人によっては発狂すると思う。トイレは汲み取り式で、昨日一ヶ月ぶりに汲み取りにきてもらうまで家全体が下水の匂いで充満していた。男子トイレの小便器は水洗式ではないので終わったら蛇口からジョウロに水を注いで、それを便器にかけて使用する。たまに誰かが蛇口からジョウロに注ぐタイミング、あるいはジョウロから便器に注ぐタイミングで水をスプラッターしているから床は水分でビショビショだしスリッパも濡れている。ので靴下でトイレに行かない方が良い。まあ要は謎の水分なのだが、誰かの小便だと思うと生きていけないからこういう時こそ信じる力が必要となるわけだ。風呂は大きいがシャワーが一つとカランが二口。風呂場は誰かが入った直後でなければ寒々としていて床のタイルはこれでもかというくらい冷え切っている。誰がこの風呂場でカランと洗面器で満足できるだろうか。つまり、広いのに結局は一人以上で入れたものではない。蛇口は赤と青があってうまく調整しないと熱すぎるか冷たすぎる(これは神奈川の俺の家も同様)。朝風呂派の自分にとっては、これをいかに素早く適温に出来るかが遅刻野郎に成り下がるかどうかの分かれ道である。これまで三週間住む中で二回ガスが止まったが、そのうちの一回は朝止まったので、朝、震えながら全裸で冷水を足の甲に10分ほど流すだけ流して出勤が遅れた。その日、昼にスーパーの弁当を二個食べていなければ一日中不機嫌が治ることはなかったろう。食べることは偉大だ。

出勤には農家さんが貸してくれた原付を使う。普段バイクに乗っていても原付に乗る機会はあまりない。人生で唯一乗ったのは今年のゴールデンウィークにベトナムに行った時だ。今回人生二度目の原付に乗って思った。「ベトナムの原付めっちゃ乗るんむず!壊れとんちゃうか!」とか言ってごめん。日本の原付も大して変わりませんでした。オートマチックにギアを変えてくれるのはありがたいが加速していきたい時にやたらエンジンブレーキがかかったり、坂道で3速か4速が入って全然スピードが出なかったり、良し悪しを思う。きわめつけには原付は軽い。国道に出て左を自動車が追い抜いていくときにフラフラしてしまう。大きな川の橋なんかまっすぐ走れたものではない。オートバイ、自動車というより自転車にエンジンが搭載されているくらいの気持ちで取り回す方が安全だろう。交通状況によってはあるタイミングではスピードを出す方が安全なことも多々あるが、原付は(俺が貸してもらっている原付は)フルスロットルでもせいぜい60キロくらいしか出ないし、たぶんそれはとても燃費の悪い状況なので、燃料費を思って(あと道路交通法を思って)40キロくらいしか出さないわけだが、数車線ある幹線道路を走りながら、道路上の強風になびかれながら、頭しか保護していない、あの、意味のなさそうなヘルメットが後ろにずれていくのを感じながら、メガネの向こうからやってくる強烈な向かい風にドライアイを悪化させながら、それらの状況に「こうしたふとした瞬間に人は事故を起こし、命を落としたり手足を失ったりするのかもしれない」と冷静な自分を意識しながら、思った。ああ〜だから原付は二段階右折が必要なんだなあ、って。

あくまでこれは余談だが一週間ほど前に自動車で事故を起こした。この文章前段で述べた家に行くには国道から山道に入ってまたその脇道に入り込んで、最初に連れて行かれたときはこのまま自分の遺体を遺棄する場所まで行儀よく、あまつさえありがたがりながら連れて行かれている間抜けなんじゃないかと不安になったような道を進んでいく必要があるのだが、そんな、車一台がなんとか右側の崖からみかんを薙ぎ倒しながら転落しないように気を張っていくような道を登っていく時にあろうことか対向車と鉢合わせてしまってバックしていたら脱輪した。運転手は俺、助手席と後部座席に一人ずつ、二人の命を預かっていた最中の出来事であった。ここで頑張って事故の様子を描写する気が起こらないので割愛するが助手席側のドアが開いていたことで車自体が左に横転せずに済んで、人の上に落ちていかずに済んだ。一時間くらいJAFを待って一時間くらいレッカー作業を見守って、結果的に手元には助手席の扉が完全に閉まらないが問題なく自走できる車が残った。俺にとってさらに不幸だったのはその車がまさにその日から一ヶ月ほど借りる予定だったおじさんの車だったことで、脱輪して左に傾いた車を、出来る訳がないのに力ずくで道路に戻そうとしていた時は心の中がもうその事ばかりでどうしようもなかった。事故は人生で4回目?5回目? 左に傾いた車から離れて1分ほど経ったら徐々に頭が冷静になり始めた。「今ここから出来ることは?」「今一番気をつけないといけないことは?」「それは二次災害を絶対に防ぐこと」人生最初の事故は6年前くらいに神奈川の(忘れもしない)藤沢バイパスで追突した時だったがこの時はもうどうしようもないくらいに憔悴して、もう本当にどうしようもなかった。どうしようもなさすぎて親に電話した。情けない。それから、人生で、やらかした!となる瞬間がいくつもいくつもあって、さすがにちょっと慣れた。慣れて良いことかは分からないけれども。
10分くらいして車を貸してくれていたおじさんが車で飛んできてくれた。俺はもうどうやってごめんなさいをすれば良いのか分からず来て欲しいような来ないで欲しいような、試験の合格発表を待つような気持ちだった。車でやってきたそのおじさんがドアガラスから顔を出して縁に右肘を乗せながら言った言葉は俺のこれからの人生に大きな影響をもたらすと思う。

「アッハッハッハ!派手にやったねえー!」


みなさま、どうか安全運転を・・・。


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