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新潟市が誇る文化遺産!旧齋藤家別邸の魅力、歴史とは?

新潟県新潟市中央区西大畑、地元民から愛される古町商店街から少し外れた、石畳が敷き詰められた通りに、その建物の入り口はある。その門を潜り、受付を済ませて中に入ったその瞬間、眼前に広がるのは息を呑むほど美しい庭園。この場所の名前は旧齋藤家別邸。嘗て、新潟三代財閥に数えられた豪商、齋藤家の四代、齋藤喜十郎が大正七年(1918)に別邸として造った文化遺産である。今回はそんな、素晴らしい新潟の歴史的建造物の魅力、そしてその旧館を建てた齋藤喜十郎とはどのような豪商だったのかを紹介したい。

旧齋藤家別邸

四季によってその姿を変える美しき庭園

旧齋藤家別邸の魅力と言われ、第一に挙げられるのはやはり、その美しい庭園であろう。約4500平方メートル内の敷地に、格式のある玄関庭、趣のある中庭、そして自然の砂丘地形を上手に活かして築山(つきやま)と見立てた広大な主庭とに区分され、それぞれ園路で結ばれている。そもそも、この旧齋藤家別邸は「庭屋一如」という造りになっており、これは庭園と建物は一体であるという考えである。室内からの展望は正に絶景の一言であり、自然の芸術と言っても過言ではないだろう。

建物から見た庭園

そして、この旧齋藤家別邸の庭園のもう一つの魅力は、四季によって美しさが全く異なるというところにある。春は木々に緑が色付き始め、眼前に広がる柔らかな若草色が目を癒やす。夏には青々とした樹葉が生い茂り、壮大な光景を作り出す。秋には樹葉が黄色や韓紅に色付き、美しい秋の紅葉が完成する。冬には深雪が枝や庭先に降り積もり、汚れを知らない銀世界が生み出される。これ程までに、四季によって美しさを変える庭園は、他にはないだろう。旧齋藤家別邸の庭園の見頃は明確に定まってはいない。いや、定める必要が無い。三六五日、その全てが旧齋藤家別邸の庭園の見頃なのである。

新潟三代財閥・齋藤喜十郎は何者なのか

さて、それではこの素晴らしき庭園を造った、齋藤喜十郎は、どのような存在なのか。

齋藤家四代目・齋藤喜十郎


齋藤喜十郎、幼名は庫之丞。天保元年生まれ。父の名前は喜十郎、性は齋藤。屋号は三国屋、家は代々の清酒問屋であった。齢八歳で父親を亡くし襲名、十四歳で独立し自ら家事を統ぶ。事業を拡大し、北海道に清酒、焼酎を輸出し利権を得る。そこから明治に至るまで、数々の事業の成功を治め、酒造から発展し、新潟でも指折りの廻船問屋にまで登り詰めた。そして海運業で得た利益をもとに、土地の集積と有価証券投資を行い、地域経済の近代化に大きく貢献。沢海の伊藤家など有力地主や商家と姻戚となり、系列企業に親族を配し、地方財閥としての体裁を整えていった。また、明治時代後半から戦前まで、齋藤家が関わった事業は大変に多く、調査が難しいのが現状である。更には政治家としては、大正四年の総選挙で衆議院議員に当選し、次いで多額納税者として貴族院議員に選出された。現在新潟県内では、あまり認知されていないが、新潟において多大な貢献をした、受け継がれるべき存在である。

まとめ

観光客が旧齋藤家別邸に訪れる殆どの理由は、その歴史ある美しい庭園を見たいからである。しかし、我々はこの旧館を始め、多くの歴史的建造物の『歴史』を知らずに訪れている。それだけでは勿体ない。歴史的建造物を楽しみたいのであれば、その歴史を学び、触れることが大切であると考える。その第一歩として、この素晴らしき旧館に足を運んでみては如何だろうか。間違いなく、その景観は大切な記憶として残るであろう。

URL

旧齋藤家別邸公式ホームページ

参考文献
齋藤家が新潟に遺したもの(旧齋藤家別邸物語) 新潟ハイカラ文庫-⑮

新潟ハイカラ文庫ホームページ



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