BFC2 感想

Aグループ

「青紙」竹花一乃
「寿命申告制」なるものが採用された世界の話。設定の妙はあると思うが、それよりも作者の、過度な表現が抑えられた、というのか淡々とした書きっぷりが作品世界の強度を高めていて、良い意味で色気を抑えた文章で好きだった。そこへ最後に差し込まれる「俺たち」という表現が残す不穏と余韻がまたすごくいい。バシッと決まった感じ。

「浅田と下田」阿部2
読み進めていく中に、ことごとくずれがあり、それが心地よい。私たちが思い浮かべるストーリー的なものを嘲笑うかのよう。タイプは違うがこれもまた竹花さんと同じくあっけらかんとした文章で好みだった。カーナビをどんどん無視して狭い道に入っていくような、そういう作り方なのかなと思った。到着したところも目的地とは全然違って、だけど景色がきれい。みたいな。著者の他の作品も読みたくなる。

「新しい生活」十波一
面白かった。「新しい日常の~」「あなたからみる~」「得るものはないけど~」「町中の~」「そういえば~」「広告が消えて~」「奪うものはいなくても~」どれも甲乙つけがたいんだけど、この辺がとくにお気に入り。

「兄を守る」峯岸可弥
一回目に読むのと二回目に読むので印象が変わる。三回目読んだらまた変わるかも。弟(それとも妹?言及あったっけ?)の視点で話が進み。途中鳩が話し始めたり、ケルベロスが出てきたりして話が突飛になるが、そのあと意識が現実に戻される。事故か病気か(兄が守ったとあるから事故か?)、意識を失っていた弟が見ていた幻覚がケルベロスとかだったのかな。自分がどこまで読めているか分からないけど、そういった部分も含めて惹き込まれてしまう力があった。うん、力強い。「でも自分がいなくなったら~」からの、ここにきての素直な文章にぐっとくる。他にもときおり入るこういうシンプルな文章があるからメリハリもあるのかも。

「孵るの子」笛宮エリ子
読んでいてはじめに思ったのは、モチーフ、語り口から川上未映子の初期作品に通ずるものを感じだ。作者が影響を受けているかいないかは分からないからそこを問うのは野暮だとも思うし、それはどちらでもよいかも。反対にすぐそういうイメージが湧いてしまった自分を疑った方がいいかもしれない。人が変われば思うことも変わる。作者にしかない鋭敏な感覚が、方言特有の心地よいリズムで書かれ、テーマは重たいが言葉が身体にすっと入ってくる。

Aグループ、優劣でどれか一作を選ぶのが難しい、というかどのグループもそうなると思うが、ブンゲイファイトクラブの趣向を考えて、僕が推すとするなら「兄を守る」にしたい。得体の知れないものが出てくる予感と、スケール感。

Bグループ
「今すぐ食べられたい」仲原佳
自分が食べられることを切望する牛の奇妙な話。不運にも牛の悲願は達成されない。ワンアイデアからどんどんイメージを膨らませていった作品だと思うが、意外にも着地は安定していて、それがむしろ良い。奇妙でありながら丁寧で、齟齬がないからこのような読後感になるのかもと思った。

「液体金属の背景 Chapter1」六〇五
はじめどうして「私」が逃げなければいけないのかと、「男」が追いかけてくるのかが分からなかったが、最後にそれが分かってすっきりする。冒頭の引用の後、「人がはねられた」という始まりに一気に惹き込まれ、緊張感があり面白かった。ただ最後の部分、自分の力不足ゆえ読み切れない部分があり、誰かに教えてもらいたい。でもその部分も面白く読んだ。

「えっちゃんの言う通り」首都大学留一
二回目読んで、より面白くなった。まず一回目はスルーしてしまっていたが「埋立坂」ってなんなんだ、さりげなくボケてる。あと繰り返し停まる駅が「おかちまち~」なのも語感的にもこれが山手線の中でベストだと思われ、面白さが増す。掛声が始まって、車内が活気づいていくところなんかは痛快で爽やか。かなり好きかもしれない。

「靴下とコスモス」馳平啓樹
靴下に向けられる執着と、そこに漂う悲しみに胸がしめつけられた。たぶん靴下であることが重要だったというよりも、損なわれてしまったものに対する執着だったのかもしれない。と言いながら、やっぱり靴下以外ではこの感覚は表現できなかったかもと思い始めている。損なわれてしまったものとは、靴下そのものと自分の感情だった気がする。「どうして僕に僕に訊ねてくれなかったんだろう」という言葉が強かった。「僕」は靴下を眺めつづけることで、空虚で満ち足りた、と言っていたように靴下が「そこにあってもよかった」ものとして扱われたか、自分がそうしたことで同じ結末であれ清々しい気もちをおぼえる。しかし最後にはまるで祝祭みたいな出来事が起きる。まさに「口に含みもする」ほどの喜び。色んな要素があり、一言では語れないかも。自分のそのときの状況や感情にも左右されそうな作品で、また読み返したい。

「カナメくんは死ぬ」
僕の作品。面白い。最高。一等賞!といいつつ、少し真面目な話をすると、この作品でやりたかったのは、カナメくんじゃなくても誰でも普通にありきたりに考えてしまうことを(たとえばそれこそ僕みたいな人たちが普通に考えてしまうような本当に普通のこと)、極力作為的な負荷をかけずにそのまま置くことだった。文章自体は少しこねたけど、かなり平易な文章になっていると思うし、言っていること自体には真新しさも独自性もないと思う。でもこの作品が、自分がこれからやりたいことのベースになっていくと感じている(これはちょっと色物だけど)。改名したのもそういう心境の変化があった。でもそれもまたいつか変わるかも。分からない。もしかしたらどんどん賞レースや表舞台みたいなものから遠ざかってしまうかもしれない(というか何かに応募はもうできないかも)けど、気長に。でもこれを推してくれた人が予選でいたというのが、驚きと同時に素直に嬉しい。

Bグループ、こうやって感想を書くとやっぱりどれも良かったなと思った。どのグループの感想を書いても僕は結局こんな感じになっちゃうかも。自分が推すとしたら「靴下とコスモス」。僕の作品を抜きにしてとかじゃなく、自分を含めた上でこれ。今までまったく読んだことのない作品と思った。ここまで書いて、なんども読み返したくなるというのが自分の選ぶ基準っぽい、と思う。

Cグループ
和泉真弓「おつきみ」
どうしても分からない部分があって五回くらい読み返した。「ほんとうのおかあさんとは」というわたしの問いにより大きな種明かしとなるのだが、じゃあ「私」はどういった関係性で子供を育てていたのかというのがどうにも私には分からず、想像すらできなかった。
本作の二人称を用い、さらにそこへ敬体が加わると作られたドラマチックという感じがして本来の自分の好みからは離れるのだが、この作品においては子供とのやり取りの中に「生」というのか、あるいは「生きている匂い」が濃く感じられる描写があるために、確かな実感を伴って「あなた」を見ているうちに、その手が緩んだときの悲しみが自分の悲しみのように思えて辛かった。それがそのままこの作品を評価するに値する魅力的な部分だと思った。

「神様」
 言わずと知れた北野作品である。なんだけども、その先入観をまったく排除して読んでみてもこれ、めちゃめちゃ面白くないですか? 自分は前回の勝ち上がっていった作品よりもこの「神様」の方が好みだった。
 さきほどの和泉さんの作品が、身体に訴えかけてくるような「匂い」のある作品だとすれば、こちらは「文字」がそのまま自分の脳みそに訴えかけてくるような面白さがある。なんというか、あくまで個人的な感覚でいうならば、北野さんの作品は抽象的で、その風景が想像しにくい。唯一、「関係者立ち入り禁止~」のプレートが実体を持っている部分とみえるが、そのプレートのついたフェンスの中がじゃあどこなんだというと分からない。しかしそこは重要でなくて、そのプレートの文言の違和自体の面白さなどが肝であり、実際めちゃくちゃ面白い。
話がそれるが、句点が少なく読点を巧みに使った饒舌体。これは自分のスタイルも大きな枠組みの中に嵌めるとするならば北野さんと同じところに入るんじゃないかという気がしていて、余計にその手腕に脱帽し、畏怖の念を抱いた。

「空華の日」今村空車
いや、めちゃくちゃ面白い。なんというか、何が面白いのかは、あんまり語る必要がない作品かもしれない。冷静に話がずれにずれていき、ここまで飛ばしておきながら、差し出された手に、何の迷いもなく静かによじのぼるというラストは可笑しすぎて最高だった。唐突なゴリラ。服部さんの豹変。神社のトランスフォーム。そのすべての突飛な出来事を、予定調和のように受け入れる「私」がユーモラスを増幅していた。これはたしかに多くの人が問題作だと反応しているのも頷ける。不条理、ナンセンスが好きな人にはたまらない。それから細かいところでも、服部さんとのやりとりで、声をかけるがいなかったり、声をかけようと思ったが憚られてやめてみたりという部分にも、笑いとリアリティを付与する才覚を感じる。語りやモチーフの毛色は違いつつも、木下古栗作品や小山田浩子作品に見られる微細なコミュニケーションの齟齬によって生まれるユーモアが好きな人たちにも間違いなくはまるのではないか。それはまさに自分なんだけども。

「叫び声」倉数茂
たったの一回きり、それでいて限りなく低い可能性ではあれ誰にでも起こりえる出来事が、人の見ている風景を変えてしまうことがある。怖い作品だった。
トラウマを抱えた彼は、同じ境遇の彼女と話をするようになる。そこには自分たちが同じ悪夢を抱えているのを共有したい気持ちが見えるが、あえてそれを話すことはない。それでも連帯していたいという気持ちが、なぜだか想像できてしまう。自分はそんな経験ないのに。なぜかと考えるが、それはこの作品の冒頭を読んでいる段階で、手に汗握る描写や彼らの行動に、自分も追体験したような感覚になっているからに他ならず、その感覚は彼女が引越しをする場面にも引き継がれ、ラストの一文で、彼と同じようにまた冒頭の一文をフラッシュバックしてしまうことへと繋がる。鮮やかな作品。

「聡子の帰国」小林かをる
胸糞悪さ満点の作品だった。まず、自由奔放で家族を省みない聡子のうらで、夫と息子の生活は壊滅的になっている様が描かれて一つ。ボストンでの生活をひけらかすように話すのが一つ。主人公の夫の大学の講師の惨めさをからかう場面が一つ。定かではないが、隣の席にいた泣いてしまう娘が高田教授の娘なのかあるいは同じような境遇にいてたまたま居合わせた人物だったのか、分からないがこの場面でもデリカシーのなさだったり人の痛みに無遠慮な部分というのも一つ。それから銀座に行こうとするときの描き方が一つ。というように、聡子という人物がどれだけ性悪なのかがひたすらに描かれる。
しかしながら最後のシーン、私と夫に暗に拒否され、自分の決意表明をする聡子に、なぜだか空虚を感じて、見る目が変わる。これは白状すると、他の人の感想がちらっと眼に入っていたしまっていたからかもしれない(ちゃんとは読めてないが)。なぜだか聡子に対して憐憫の目で見てしまう。いや、でも「聡子はすごく楽しそうだった」とまで書いてある。それなのに、その目的に彼女を駆り立てたものがなんだったのか、という疑問、もしかするとそうでもしなければ解消できなかった大きな抵抗があったのかもしれないと思わされて、聡子の胸糞悪さ、不憫さ、の向こう側にあるものに対して消化しきれない読後感を覚えた。

Cグループ、色んな人が言及している通り激戦区だった。本当に迷う。隙の無さでいったら「叫び声」、好みでいったら「神様」。だけれども、たとえばラップバトルみたいにここにオーディエンスがいたら、一番喝采を浴びるのは「空華の日」なんじゃないかとも思って、迷って迷って、私は「空華の日」を推したい。次の作品をみたいという純粋な興味。

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