夢の中のような。
私は音楽を聴くことが好きなのだが、必ずと言っていいほど好きなアーティストができると、その人達に会いに行きたくなる。理由はふたつあって、本当にその声とその人自身が存在するのかを自分の目と耳で確かめたい、というのと、音楽と言葉で私の人生に、平坦な日常に彩りを与えてくれてありがとうという気持ちを伝えたい、という思いがあるからだ。
後者においては、自己満足と捉えられてしまえばそれまでだけれど、いつも誰かに会いに行く時には意識せずとも、そんなような心持ちでいる。
それこそライブや、他で言えば"旅行"などといった非日常空間が私はとても好きで、だけれど非日常という名前なだけあって、当たり前だけれどその空気や時間は1度しか経験することができない。
楽しかったり嬉しかったり気分がハイになっていたりで、どんなことよりも今日を覚えていたいのに、どれだけ「今日起こる全てのこと覚えていよう」と意識してその空間に臨んでも断片的にしか記憶がなかったり、確かにあの場にいて経験したはずなのだけど、夢のように遠く、きちんとその場にいるのになんだかぼんやりと感じたりすることが多い。
1番最近では、藤井風くんのライブに行った時、もうすでに目の前にいるのに全く信じられず、現実だと分かっているけれどそんな状況に戸惑っている私を、私の心がどこからか客観視しているように感じたりしてなんだか不思議な感覚に襲われた。
物事を深く考えることを意識的にやめたということも要因のひとつであるかもしれないけれど、特に最近の私は起こること全て夢を見ているような感覚で捉えてしまうことが多い。
安倍元総理が亡くなられた事件も、SNSでは追悼する文章であったり、"今日は1日やる気が起こらない"などといった文章をたくさん目にしたけれど、私の感情を司る心の大半がそれを現実と捉えておらず、悲しみや絶望などという感情まで辿り着かせてくれなかった。
人生は長い夢だと、どこかで耳にしたことがある。
タイトルにもしているし、最近私が感じている世界は夢のようだとは言ったけど、それはあくまで比喩表現であってしっかりと生きている自負はある。生きている間に出来ることは全てしたいし、会える人には会いたいし、後悔をとても嫌うので出来るだけアクティブに楽しみたいとも思っている。
私が思うに夢のように感じる理由として、ここまでのんびりと生きていた分、急にアクティブかつポジティブなマインドになったために身の回りで起こる出来事の量が知らず知らずのうちに増えて、情報過多で頭がぼんやりしているのかなと。
いつか生きていることすらもあれは夢だったのかな、と、思うほど遠くまで行けたら、それは私が今目指す幸せだとおもう。自分が経験したことを整理できないくらい、覚えていないくらいたくさんの人と時間と空間に出会い、思い出が多すぎて持ちきれないから全て離して行こう、と思えるくらいになりたい。
最期を人に奪われるなんてことは絶対にされたくないけれど、どうなるかなんて誰にもわからないし、どんな結末であれそれは私の人生だったんだ。
大切な人のために、も、大変素晴らしいけど、したいことや信念というものは全て己のためにあることを第一に。1番自分が喜ばせてあげるべきは自分。
それを念頭に日々を大切にみんなで手を繋いで生きよう。
心削られるニュースばかりですが、皆様くれぐれもご自愛くださいね。
国民全員を楽自分の家族のように大切に想ってくれてありがとうございました。どうか安らかに。
🎧 旅路 / 藤井風
気づいたらそばにいて、やさしすぎるから自ずとこちらもやさしくなれる。今回はそんな1曲です🚶♂️
エッセイにお時間をいただき、ありがとうございました🌕
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