それでも生きている。


※ 戦争に関するお話をしています。
  苦手な方はここで閉じてください。※


戦争が、始まった。
紛争でも内戦でもなく、国と国との戦いだ。


2022年になった今でも、戦争じゃないと解決できないことって何だ?
戦争だと解決するのか?
国民に人権を与えずコマのように使ってでも、尊い未来ある命を奪ってでも、膨大な時間と莫大なお金を無駄にしてでも手に入れたいものに、本当に価値はあるのか?

戦争が始まったというのに、私は平穏に食事と睡眠をとっている。悔しくて、納得ができない。


祖父が唯一、身内の中で戦争経験者だ。
その影響もあり、戦争に関することは知れば知るほど悲しく苦しい気持ちになるけれど、それでも"知っておかなければ"という使命感に駆られ、映画やドキュメンタリー映像などは昔から積極的に観るようにしていた。

私たちの世代は戦争を経験したことがないので、戦争に対して漠然と"怖い"という印象しかないが、経験した方たちの話を聞いていると、道端に死体が転がっているのは当たり前、家族は皆焼け死んだ、自分も生きてはいるが手足がない、など、生きのびた方も命が助かった自分を責めたり、亡くなった家族を思い出しては生きているのが辛く、何度も自らの命を経ちたいと思っていたり。戦争に対して想像を遥かに超える経験や感情を持った方が沢山だった。

そういう方々が、口を揃えて言うのが"自分たち以外にこういう思いをする人がもういないでほしい"ということ。もちろん、戦争を経験したことがない我々も戦争が永遠にこの国から無くなることは心底願っていることだが、それ以上に彼らの言葉には重み、戦争への憎悪、平和への切実な願いがこもっていて、その方々に2度も同じ思いなんてさせられないだろう政府。このままだと、"この世界はもう大丈夫だね"と言って安心して眠ってもらえないだろう。

一体いつになったら賢くなるんだ人間。

本当にただ、早く終わりを告げてくれることを祈るばかり。


そして先程出てきた祖父の話になるのだが、
2022年2月26日にこの世を去った。

生まれた時からずっと可愛がってくれて
四六時中 膝の上に置いてくれて
周りから怒られてしまうくらい甘やかしてくれて
離れて暮らしていても
ずっと気にかけ健康を願ってくれて
いつでも幸せを祈ってくれて
私は本当に、自信を持って言えるほどに
いっぱいいっぱい愛してもらった。


貴方の孫に生まれてこれて本当に幸せだった。
輪廻転生があるとすれば、生まれ変わった後も貴方となんらかの縁がある子に生まれてきたい。


頑張ってる自分を見せて空からパワーを貰えるように、繋いでくれた人生を限界まで輝かせることができるように、大切に生きる。

たくさん抱っこしてくれて本当にありがとう。
愛しています。

いつかまた会えた時には、じいちゃんが茹でたうどんを2人で食べたいな。

いなくなってしまったことは確かで、亡くなったと知らされた瞬間から今日の今この瞬間まで、おじいちゃんのことを思い出すたびにしくしくと泣いている。
けれど、遠くに行ってしまったとか悲しさの感情は不思議となく、感じているのは感謝や寂しさ、あとは少しの後悔だ。

とても形容し難いが、おじいちゃんは星になったのではなく、私の心に来てくれた気がする。私をどんなことからも守ってくれて、何をするにも1番の活力になるような、そんなお守りが心の中にひとつ増えたような感覚がしている。

おじいちゃんが最後に贈ってくれた大切なお守りを持って、これからの人生を丁寧に歩んでいく。

いつか私もそっちに行った時「すみちゃん、よう頑張ったな ☺️ これからまた一緒にこっちでおいしいもの食べよう ☺️ 」とあの優しく穏やかな笑顔で言ってもらえるように。私は正しい努力をして、真っ当に生きていくことをおじいちゃんに誓う。


🎧 花束を君に / 宇多田ヒカル

今回の1曲はおじいちゃんに向けて。

" どんな言葉を並べても
君を讃えるには足りないから
今日は贈ろう 涙色の花束を "

💐


エッセイにお時間をいただき、ありがとうございました🌕


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