心が揺れ動くとき。


本や映画、音楽などは出逢うタイミングがかなり重要であると私は深く思う。



著名な作家達が勧める小説を最後まで読みきれなかった時や、映画評論家や映画好きからの評価が高い映画が自分には刺さらなかった時、自分の感性がズレていると感じ、悲しくなったことが幾度もある。


しかし、最近気付いた。小説や映画の感じ方は、売り出し方や受け取る側が持つその作品へのハードルの高さ、当人が今置かれている環境であったり、鑑賞する時間帯や天気、その時の心情にもとても左右されやすいのだ。作品が、売り出し方が、はたまた受け取る側が良い悪いではなく、その時の当人の空いている部分を埋める作品、つまりはパズルのように人と作品が合致して初めて"良い作品に出逢えた"になる。それが理解できるようになってからというもの、皆が評価している作品をいいと思えなかった時、自分を「世間からズレている」などと無意識に自分を責めることがなくなった。

自分に合わなかったものに落ち込むことがなくなってからは、数を観るようになったし、前よりもっとどんなものでも観たいと思うようになった。



様々な映画を見漁っていたある日、その映画で1番の山場であろう 主人公ともうひとりの登場人物の感情が複雑に交差し合うシーンに出逢った。代わり映えしないカメラワークであるのに主人公の目が圧倒的で、一瞬でグッと惹かれた。

洋画は日本に馴染みのない設定(薬物絡みのストーリーなど)が多く、日本人が物語を評価する際に重きを置いている"共感"という部分で興味を引くには、あまりにも不利であるように思う。にも拘らず、昔からずっと洋画は日本人に支持され続けている。何故かと考えていると、たとえ言語は違えど、本能的な部分(例えば、感動した時や動揺した時の目や眉の動きや仕草など)は万国共通であることに気づいた。国が違い言葉が分からなくとも彼らの目や仕草で、自分が経験したことない感情も丁寧にこちらに届き 同じ経験をしたような気持ちになるのだ。


上記で話していた圧倒的な目に惹かれた映画というのが、昨年9月に鑑賞した「summer of 85」。この映画の主人公•フェリックスくんの演技には何度も狼狽えた。自分の人生の中では出会うことのなかったであろう感情を、フェリックスくんは国と画面を超えて大事に届けてくれた。あまりにも自然と入り込みすぎて夢か現実か曖昧で。終幕後、映画の中から抜け出せなくてしばらくぼーっとした感覚に陥った。

良いお芝居を目にすると、役者でもないのに悔しくなってしまう。まるで私の心を写したかのような文章を見つけた時も、著者に嫉妬してしまう。伝えることに長けている人は本当に羨ましいし、そういう人たちを活力に勉強を惜しまず、これからもずっと誰かの才能や努力に触れ続けて自分の感性を伸ばし続けていたい。

私自身いろんな方のたくさんの言葉に人生何度も救われてきた経験があるので、いつか私の言葉も、何気なく読んでくれた誰かの心の救いや人生の軸になればいいなと思いながら今日もまた綺麗な文章を読み漁り、自分の蓄えにする。

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Filmarksというアプリに2022.1.1〜ひとつひとつ観た作品のレビューを書いています!気になった方は是非に。☺︎

( 休日何を観ようかなぁと迷っている方にも是非活用いただきたいです!)

皆さんの好きな映画やおすすめの映画も知りたいです‎𓅯𓂂𓏸 


🎧 エイリアンズ / キリンジ

眠りにつくのにぴったりです。
眠れない夜にのお供に是非 *・゚


エッセイにお時間をいただき、ありがとうございました🌕

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