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【音楽】私とライブハウス

今はもっぱらお笑い好きの私は、学生時代バンドを追いかけてライブハウスに通っていた。

言葉通り「なりふり構わず」。
生きる=ライブに行くこと であり、居場所の一つだった。

そんな青春の記憶を文章に残そうと思う。

1.きっかけ

忘れもしない2011年11月13日。高校一年生の秋。

"中学の同級生がライブをするらしい" というmixiの情報を元に、初めて地元のライブハウスに行った。
同級生がバンドを組んでライブをするということ自体が初めてだったので、憧れを抱いて思わず出向いた次第だ。

小箱も小箱。100人も入れば密集状態になるほど小さく、よく言えばアットホームなライブハウス。
受付やドリンクカウンターの周りでは、演者もスタッフも客も関係なく 仲良さげに談笑している。
 
アットホームであればあるほど、外の人間は得てしてアウェイを感じるもの。
ワンオクや9mmのような有名バンドが出るデカい箱しか知らなかった私にとってそこはもう、正直恐怖でしかなかった。

その日のブッキングは、ゲストバンド以外の全バンドが初ステージという学生ライブ。
ハチャメチャな演奏を自信満々で披露する高校生バンドに、友達がすげぇすげぇと集るような対バンライブだった。
これはディスってるわけではない。バンドマンの誰もが通る道なのだ。

今思えば聞けたもんじゃないレベルの演奏。
しかし、その時の私には全員が輝きに満ちた天才に見えた。ついでに全く知らない他校のベーシストに一目惚れした(これが何よりデカい)。

この日を境に、アウェイだと思っていたそのライブハウスに入り浸ることになる。
 

2.バンドマンと恋をした

前述の "全く知らない他校のベーシスト" が頭から離れなかった私は、mixiで彼を探した。

執念の捜索…と言いたいところだが、ライブハウスに行くきっかけとなった同級生と同じ高校だったということもあり即発見。
すかさず「昨日のライブかっこよかったです!」的なメッセージを送った。今の私では想像もつかないほど積極的なJKである。

それからというもの、好きなバンドの話で大盛り上がり。mixi上のやり取りを飛び出しメアドもゲット。
実際に会ってお茶しちゃったりなんかして、あれよあれよといううちにお付き合いがスタートした。

彼は同じライブハウスに出ていた同世代バンドマンの中でも特出してベースが上手で、所属していたバンドもまた 同世代の中で一位二位を争う人気を誇っていた(と言っても小さなライブハウスの中での話)。

そんなわけで、彼氏のバンドが好きすぎて めちゃめちゃライブに通うようになった。単純明快!


売れる前のバンドっていうのは大抵めちゃめちゃライブに出ている。週一、二ペース。多い時はもっとある。

でも行く。地元のライブハウスでも、少し遠い都内のライブハウスでも、なりふり構わず出向いていた。

私の彼氏すげーだろ!とお恥ずかしながらも鼻高々と、ほぼ毎回ライブに足を運ぶ私。
さながらホストの営業彼女だが、紆余曲折ありながらも4年は付き合っていたので許してほしい。こう見えてもただライブが見たくて足を運んでいただけの音楽好きなのだ。
 

3.小箱という世界に居場所を見つけた

彼氏のバンドを追っかける私には、通えば通うほど必然的に友達が出来ていった。
同じバンドを好きな仲間はもちろん、対バンで好きなバンドがどんどんと増えていき、打ち上げも参加させてもらったりして、あまりにも通うもんだから ライブハウスのスタッフさんやバンドマンとも仲良くなっていった。

通っていたライブハウスには 練習用スタジオも併設されていたため、ライブがある日もない日も誰かしらと会える場所だった。
好きなバンドを見に行ったら 練習で入っていた彼氏とばったり、なんてこともしばしば。不意打ちの登場にキュンとしてしまったりなんてして(やかましい)。

当時高校生の私は 学校に友達がおらず、そんな状態がよりライブハウスへの依存に繋がっていったのだと思う。
そしてなんといっても、初めて出来たカメラマンとしての居場所でもあった。

4.ライブカメラマンとしての私

ライブハウスに通い詰める中である存在を知った。それがライブカメラマン。

私が通っていたライブハウスには、バンドマンみんなから重宝されるカメラマンさんがいた。
ライブの様子を撮影したライブフォトはもちろん、バンドのアーティスト写真 いわゆるアー写を撮ったり、バンドマンをモデルにしてポートレート撮影なんかもしていた。

mixiやブログにアップされる写真たちを見て甚く憧れを持った私は、早速行動に移した。JKに怖いものなどない。

まずは彼氏のバンドのアー写を撮らせてもらうことに。
人気モデルに憧れて買ってもらったOLYMPUS PENを引っ張り出し、機能も設定もわからないままとにかく撮った。もちろん仕上がりは酷いものだった。

上手く撮れない悔しさも相まって そこから完全にスイッチオン。
本やネットで一から勉強を始め、培った交友関係を活かして撮影の練習をさせてもらい、だんだんと撮影の依頼をもらえるようになった。

この辺りから 写真の楽しさと同時に承認欲求も満たされ始め、欲のままに写真の専門学校に進学。
お恥ずかしながら私の原動力は大抵承認欲求から来るのだ。

 
ずっと撮っていたバンドが売れていったということもあり、専門に進んでからはより様々なライブ撮影の機会をもらえるようになった。

下記の記事は特に思い出深いイベント。こんなにもたくさんナタリーに自分の写真が上がる日が来るとは思わなかった。全然下手だけど。

が、同時にライブカメラマンとしてやっていく厳しさも知っていった。
シンプルにライブの写真が全然上達せず、売れていくバンドに自分のレベルがついていかなくなったり。コミュ障が故に撮らせてもらえる界隈を広げられず 地元でずっとくすぶっていたり。

そんなこんなで、私のライブカメラマン人生は 学生のうちに早くも終止符が打たれた。

その後も幸い 写真を仕事にしたい という気持ちが途絶えることはなく、今は別業界でカメラを握っている。
音楽業界は離れたが、ライブハウスは写真と出会えた大事な場所なのだ。
 

6.まとめ

専門2年生の時に彼氏がバンドを脱退し、その一年後には彼氏と別れ、地元を離れて一人暮らしを始めた私は 自然とライブハウスに行くこともなくなった。
 
あんなに音楽漬けだった毎日も 終わりはあっさりしていた。
ライブハウスで味わった青春は、綺麗さっぱり学生時代に置いてきたという感じ。

 
文中にも書いた通り、私はライブハウスに依存していたと思う。
でも、悪い依存ではなかったと胸を張って言える。
 
最高な音楽をたくさん知れたこと。素敵な人たちに出会えたこと。趣味で心が満たされるという幸せも、夢を追う楽しさも苦しさも、ライブハウスが教えてくれた。

 
青春が存在するのは学校の中だけではないことも知った。
居場所だって、学校や職場や家庭だけじゃない。

一つのコミュニティでうまくいかなくても 自分に合う環境や息抜きを見つければいい、というのを高校生で身をもって体験出来たことは、社会人になった今でも糧になっている。

ちなみに現在の私は、お笑いライブが息抜きの逃げ場だ。
学生時代に知った "生で観る良さ" が違う趣味でも活きているなーと実感している今日この頃。音楽もお笑いも生に限る。

これからも恥じず趣味に生きる人間でいたい。ちゃんちゃん。

 


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