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0か100かは、もしかして

人事を担当している友人が
20代や30代に入ったばかりくらいの年齢の人たちについて
こんな話をしてくれた

今の若い人は、コミュニケーションについて
できるかできないか、に二分されてる。
LINEやチャットでメッセージを送れば、
返事がなくてもそれ以上は何もしない、わたしは打診はしました、みたいな
自分の枠以上何かするべきとも思わないタイプと、
コミュニケーションおばけといわれるような
どんどんリアルでもネット上の交流でも身につけてやっていくタイプに。

それは、個人の能力、適応力の問題なのだろうか?

前者は、コミュニケーションをとること自体を
『必要と思っていない』
スマホさえあれば、べつに生きていけるし
好きな人たち以外の
他者との交流を必要だと思わない 

後者はどうだろう?
すぐ打ち解けて話せるし
たいていの人とうまくやっていける

0か、100か、みたいになってはいないか?

100の方はできてるからいいじゃん?と考えがちだけど
実は同じ穴のムジナなのではないだろうか?
つまりは、現れ方が逆なだけで
根っこのところはおんなじなんじゃないかと

その根っこは
これは仮説だけれど
『自分が存在していいのだという安心感』
の欠如なのではないだろうか?

否定されたくないから、行動しない
否定されないように、完璧にやる

0か、100か。

ここには、20とか、40になっちゃって、
失格と思われたら、わたしという存在そのものが脅かされるような
恐怖と不安があるんじゃないのかな、と感じる

実際には、0か100かの間で
面倒だけど、やんなきゃなとか
よくわかんないけど、いいかもなとか
揺れ動きながら
できたりできなかったりしながら
過ごしていく

20とか40とか60のわたしでも
別にいいんだとまずは思えて
そこからどうしていくのがいいのかな、と
工夫したり、考えたりできるようになると
なんというか、生きていくのが楽しくなるのかもなぁ

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