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最期の音 ――たとえ意識がなくなろうとも

先日の朝、この時期に珍しく鶯が鳴いていた。

随分近くから聞こえるので驚いていたら、庭師さんが落ち葉掃除をしながら鶯の鳴き声に呼応するようにホーホケキョと口笛で真似る。すると鶯は、更に鳴き返してきた。そのやり取りの応酬が何度か続き、庭師さんの口笛の上手くなさがこれまた絶妙だったのも相まって、大変に微笑ましい光景だった。(下手なわけでもないが本当に絶妙に上手くなかったのだ)

この体験をした日、敬愛する作家・梨木香歩のことを思い出した。彼女は数年前にある病が発覚し、片耳が聞こえなくなってしまった。特定の周波数の音域が極端に聞こえにくくなったり、絶え間ない耳鳴りに悩まされながらも「日常生活が少し不便になった」という範囲でやり過ごす工夫をしていた。しかしある日、愕然とする出来事が起こる。

それは、森のなかに入って鳥の声を聞いたときだった。明らかに鳴いているのに、耳が不自由になってしまったが故にどこで鳴いているのか方向がわからない。そのことが彼女を打ちのめした。

自分の拠って立つところのものがガラガラと崩れ落ちていくようなショックで、愕然とした。自分がいかに、鳥や動物や植物の存在から、自分が自分である由縁のものを紡ぎ出してきたか、薄々は自覚していたつもりにもかかわらず、このときはじめて知ったかのように思い知らされたのだった。(中略)残りの一生、ずっとこれが続くのか。鳥が鳴き交わす森のなかで、ただ呆然と立ち尽くした。(中略)自分が得た病に関しては、耳が聞こえないなどまだまだ序の口で、もっと絶望的になっていい瞬間も、それから幾度かあったけれど、あのときほど、五感含む自分の存在すべてで、絶望したことはなかった。(梨木香歩著『炉辺の風おと』より抜粋)

これを読んだ時に、なるほどいかにも梨木さんらしいと思ってしまった。彼女の小説やエッセイを愛読している者なら、彼女がどれほど鳥や動物や植物の存在を大事にしてきているか、綴られた文章から深く身に染みているはずだ。この「鳥の鳴き声」の瞬間が彼女に一番の絶望を与える場面となったというのは、ある意味では彼女を象徴する出来事のように感じた。

たとえば私が彼女と同じ境遇に置かれたとしたら、最も愕然とする瞬間は「鳥の鳴き声」ではないであろうことは想像に容易い。恐らく私は、音楽が思うように聴けなくなることが一番堪えるはずだ。こういった時こそ、それぞれが人生で拠り所として大事にしてきたものが浮き彫りになるのだなと感じ入る。

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何年か前に目にした、聴覚に関するツイートがずっと心の中に残っている。

意識がないのに好きな曲だけは反応がある、というところに私は大きな衝撃を受けた。それと同時に、もし私がその状況になった時に反応する音楽とは一体何になるのだろうと思いを馳せてしまった。思い入れのある特別な曲の中でも、意外と反応する曲/しない曲に分かれるのではないだろうか。その違いは何に所以するのか。あれこれ考えながら自分の中で候補曲を色々と挙げてみたが、検証のしようがなく、もどかしさを覚えた。だが候補曲のリストを眺めていると、これだけ様々な曲に私は生かされてきたのだな…と胸を打たれるものがあった。

この「死の間際にあっても聴覚は最後まで残る」という話を時々耳にするが、これはどういった論拠に基づいたものなのだろう?不思議に思い、調べてみたのだが、いまいちこれといった成果は得られなかった。一番この通説に肉薄したものは2020年6月「Scientific Reports」に掲載された論文で、これは死の直前まで耳は聞こえているという見解を裏付ける脳活動のエビデンスが得られるものであった。この論文の筆頭著者Elizabeth Blundon氏(研究当時ブリティッシュ・コロンビア大学(カナダ)所属)は、「自然死の直前の数時間は、多くの人が反応のない状態となるが、この研究から、たとえ意識がなくても、脳は最後まで音に反応することが示された」と述べているが「未解決の疑問はたくさん残っている」とも言っている。

それでも「死の間際にあっても聴覚は最後まで残る」という話がこれだけ流布しているということは、実体験ベースではこのような傾向が世界的に多くみられているということなのだろう。まだ解明されていないだけで、事実としては存在していると考えるのが良さそうだ。

無意識の中で聴く音とは一体どんなものなのだろう。すでに意識との接続が切れたはずの肉体が思わず反応してしまうほどの音とは、一体何なのだろう。意識がなくなっても残る音の記憶と、その人自身の深い部分との強い結びつきについて。

そういったことを時々考えてしまう。

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実は十年ほど前から右耳の調子が悪く、聞こえないことが時々ある。医学的には問題が見られず原因不明なので、ちょっと困っている。もともとAPD(聴覚情報処理障害)のきらいがある上に声そのものも聞き取り辛くなってしまい、人と対面で話すのが更に苦手になってしまった。体調の加減やストレスで悪化するのだが、このご時世で人と会話する機会が減ったことは想像以上に気が楽だったらしく、コロナ以降はかなり調子が良い。(ただ「普通に聞こえる」状態だと生来の聴覚過敏の身に戻ってしまうので、どちらにせよ大変ではあったりするのだが…。)

最近また少し右耳の違和感が出始めたので、念のために耳鼻咽喉科へ行ってきた。そして有難いことに、検査結果に問題ないというお墨付きをいただく。それはそれで一体何なのか…と釈然としない部分はありつつも、医学的に異常がないことは安心材料の一つになっている。今は聞こえないところまでは行っていないので、大事にしながら様子を見ていきたい。

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昔、右耳に関して以下のような文章を残したのを思い出し、せっかくなので話のついでに少し手直しを入れつつ引っ張り出してきた。

(2015/11/9)
静まり返った暗闇の中では耳鳴りがあまりにも明瞭過ぎて、眠れないまま午前四時を迎えた。五年前から調子を乱すことの多い右耳、今年の夏以降加速的に悪い状態が増えていっている。時々正気を保てなくなって叫び出しそうになるのを堪え、何食わぬ顔をして人々に紛れる。そして、部屋で一人のたうち回る。

必要な時に必要な音が聞こえなくなっているのに、音自体は鳴っている…まったくもって意味が分からないな。とりあえず耳の音が不愉快で、その音と向き合いたくなくて、気を紛らわすための「別の音」を求めてベッドサイドのラジオをつける。息をしたら消えてしまいそうなくらい小さな音量で。

太平洋の向こう側から配信されるニュース、コマーシャル、それに続く彼の地のヒットソングの数々。こういう時に異国にいる場合は母語を求めるのだけど、こうして日本にいると何故かアメリカ英語の中に包まれることで安心感を求めてしまう。子供に戻った気分にでもなるのだろうか。

ラジオの音の振動を感じ始めると、私はあっという間に眠りについてしまったようだ。ラジオから漏れる音の中で目覚めた時に、そのことに気付いた。ベッドの上であんなに苦しんで転げまわっていた割に、解決法はこんなにも簡単なことだった。しばらくは、これでいこうとおもう。

こうした試行錯誤を色々と積み重ねながら、この時よりは自分の右耳と上手く付き合っていると思う。いつもはあまり気にしたことなかったが、こうして振り返ると色んな変遷があったなぁと、一人しみじみしてしまった。

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音、聴覚、言語、音楽…この辺りのことには興味がつきない。もっと色々と楽しみながらnoteにも残していけるといいな。

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