2022/03/01

3月に突入した。年度末。今月さえ乗り切れば3年の職歴が獲得出来る。要は新たに転職時のネタが出来るというそれだけの話だが、あんなに組織勤めに不安感を抱いていたのに、実際やればどうとでもなる事を痛感している。なんとなくだが、来月か6月には人事異動で他部署に飛ばされる予感がしている。全部飽きたので、厄介な激務部署に飛ばされない限り、どこかに飛ばされても特段憎みはしないと思うが、ここに居続けても曖昧なスキルしか身に付かないので、どうせ中途半端にリセットされるぐらいなら職場ごと大きくリセットした方が健全なのかもしれないという気もしている。が、今月中は今の職場で律儀に頑張りたいし、今年は重めの試験を受ける予定なので、あまり仕事に余計な負荷はかけたくないという気持ちもある。最低限、今月中は死なないように気を付けたい。

今日、初めて飲酒した状態でCBDを吸ってみた。はっきり言って、普段よりも効いた。私と世界の間に常時あるギスギスとした感覚が、コーンポタージュみたいにドロドロと融解していって、段々と世界がまろやかになっていく感じがあった。〈寂しさ、孤独感、厭世感〉といういつものスリーコンボが「まあ、なんとでもなるでしょ」という一言で雑に包摂され、気付くと射精後の精子みたいな感じで、部屋の角に置いてある緑色のゴミ箱に放り投げられていた。無惨な生命体。

博打魂と興味半分で米国の大麻株に投資してみようかと情報収集をしていた時もあったが、実際にこの類いの製品を自ら使用して強いメリットが感じられるのであれば、投資に関しても積極的に検討する余地があるように思えてきた。だが同時に、こうした「良いものを他者に広めたい」という心理が資本金の収集という動きにリンクしていくのは、それこそまさに「坊主精神」に他ならないのではないかとも思った。町中に突っ立っているエホヴァの証人の信者の顔に浮かぶ、あの柔和な微笑みを思い出してほしい。私はこうしていつまでも地面に這いつくばっているけれど、彼らはもう飛べているのだと思う。

近所に露出狂が出没した。露出狂は春の到来を告げる風物詩である。仕事でストレスが溜まった時には、公然猥褻をして懲戒解雇される自分の姿を妄想してよく気を紛らわせているので、正直な所、私には露出に走る人々を非難する勇気なんてない。いざとなったら交番の前で全裸になるか、自殺してしまえば全部破壊出来ると思うと、それだけで随分と気が楽になる。持ち得る選択の数は多い方がいいと思う。どこかでダメージを受けても他でカバー出来るシステムを構築すべきだし、システム自体がお陀仏になってきたら、システムごと破壊するボタンを手中で管理しておくべきだ。

もうすぐ春が来る。脱皮、露出、解放の季節だ。露出狂のみならず、家の植物達も一斉にウズウズと新芽を動かし始めている。彼らには自我なんてない。増殖するリゾームの勢いのままに、彼らは枝葉を太陽に向かって伸ばしているだけである。ああ、なんてシンプルなのだろう。人間は惨めだ。おわり。

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