2022/01/27

仕事のやっていき力が萎えた。生活資金を稼ぐためと割り切って働いていたけれど、仕事の裁量権が以前より増してきても依然として仕事に関心が持てないし、年次が上がるにつれて高難易度かつ責任が重い業務も振られるようになるかと思うと、ただでさえモチベーションが低いのに今後どうなってしまうんだろうという不安感が肥大化している。バルーン・アートみたいな感じで、私の不安感も可愛らしいプードルに化けてくれればいいのになと思う。子供さえ喜んでくれればそれでいいのだ。

この仕事をあと2年続けたら多分もう限界が来るような気がしてしょうがなくなったので、帰宅後、友人に何となく「最近仕事どうよ」とLINEを飛ばしてみたら、「ちいかわ」のスタンプと共に転職を検討している旨の回答が返ってきた。「ちいかわ」スタンプを添えて雑なメッセージを投げ交わしているうちに、気付けば友人は夢の中で自分が放尿した話をし始めた。きっとストレスが溜まっているんだろう。セックスフレンドも最近激務のせいか、尿を飲ませてくれとか云々言い出すようになった。みんな疲れているんだろう。だからLINEで「ちいかわ」を酷使するんだと思う。畢竟するに、社会全体が「ちいかわ」を欲しているという事である。ちいかわ化するポストモダン。

放尿と言えば、カン(CAN)というドイツのロックバンドの曲にOh Yeahという曲があるのだけれど、私はこの曲が滅茶苦茶好きである。カンの曲の中で一曲選ばないとお前を刺すぞと言われたら、間違いなくこの曲を挙げると思う。曲の後半で、ダモ鈴木が「虹の上から小便」と日本語で歌うフェーズがあるのだけれど、初めてこの歌詞を耳にした時は、なんて詩的な表現なんだろうと感じた。高みと低みが同じ平面上に肩を並べた稀有な瞬間を、見事シャッターに収める事に成功した表現だと思う。ダモ鈴木は凄い。

話が酷く脱線した。申し訳ない。結局のところ、もういい年齢なのにキャリアとか結婚といった数多の事象が全く腑に落ちてくれない事に対して、たまに猛烈な焦りを感じているという事が言いたい。社会が提供するお利巧な自己実現モデルを蛇のように丸呑み出来たらこんな事は考えずに済むのだろうけれど、そういった試みは自分の体質にはどうしても合わないらしい。おそらく花粉症みたいなものだ。何事にも個人差がある。舌下免疫療法みたいな感じでアレルゲンとしての「社会み」を体内に取り込み続ける努力は継続しているが、やはりある程度の所で拒絶反応が生じてしまう。単刀直入に言って隠遁したい。おわり。

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