2022/02/25

疲れた。煙が吸いたくなったので、シーシャ屋に行った。禁煙して3年弱だ。何だかもう我慢も限界かもしれないと思い、部屋を出る前にオレンジ色のライターをカバンの奥に押し込んでから出勤してきたけれど、何とか紙巻煙草を買いにコンビニに寄らずに済んだ。煙草への衝動を思い出す度に、酒より煙草の方が身体への害は少ないでしょう、と言いながらバナナミルクを肴に煙草を延々と吸い続ける昔の恋人の姿が脳裏を過る。賢いのか馬鹿なのかよく分からない天才バカボンみたいな人間だった。相応の数の男と寝てみても彼らの名前は微塵も記憶に残らないのに、寝ずに別れた彼の名前だけは未だに頭から消えない。皮肉なもんだなと思う。

ロシアが本格的にウクライナ侵攻に手を出し始めた。キエフもまもなく陥落してしまうのかもしれない。眉間に皺を寄せながらウクライナ侵攻の正当性を訴えるプーチンの様子が、シーシャ屋に備え付けのテレビのモニターに幾度も映し出される。シーシャ屋のどこかあどけない顔をした店員が「実はこの機材も、ウクライナから輸入したものなんですよ」と話を振ってくる。ああ、もう戦争だ、と思った。日本は米国の傀儡だから、所詮は傀儡として相応の行動しか取らないだろう。この国というシステムは、傀儡である事がこの国の総意であるというタテマエを利用し、ギリギリの状態で長年回転を続けているのだと思う。近頃仕事をしていると、サイバーテロ関係の情報が変に飛び込んでくる(サイバー空間は国境が存在しないがゆえに、国境の問題に敏感である)ので、何らかの調律が崩れてきている予感はしていたが、平和ボケしているせいか、ここまで政情が酷くなるとは全く予想していなかった。

究極的に力の強い者に世界を動かす決定権があるとしたら、人間が法を編み出そうとする営為に固執する意味をどう咀嚼すればよいのだろうか。煙を吐き出しながら、この問いに苛まれていた学生時代の自分の姿をふと思い出した。自分なりに答えを見出そうともがいてみても、先に答えを出すのはいつも現実の非情さの方だった。ルールが現実を作るのではない。現実がルールを作るのだ。私が出来る事と言えば、相変わらずテレビのモニター越しにウクライナが爆撃される様子を黙って眺める事ぐらいしかない。いつも傍観者だ。世界との接点の持ち方が分からない。おわり。

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