2023/07/28

転職用の履歴書に貼る証明写真を撮ろうと、スタジオを訪れた。駅によくありがちな証明写真のボックスで写真を撮ると、いつも人相が悪く映る。いや、元々人相が悪いので、現実が写実されただけと言えば元も子もないのだが、少しはマシな写真を撮られたくて、試しにスタジオを予約してみた。

雑居ビルの5階を訪れると、木村カエラみたいな雰囲気の少し尖ったカメラマンに出迎えられる。身支度を整え、カメラの前に座ると、ふわっと笑ってください、と彼女は言う。「ふわっ」と言われても「ふわっ」と微笑みをこぼすぐらいに他者に感知されるぐらいの笑顔を顔面に浮かべるためには、一体どの程度表情筋を動かせばよいのだろうか。そんな事を考えながら、レンズに向かって表情を作る。ぎこちなく表情が強張り、笑顔と思しきものを自分の内から表出する。いいよ、その調子、と彼女は言う。彼女がいいよと言ってくれるなら、多分6割ぐらいは大丈夫なんだろうと思い、そのままセメントで固められたみたいに表情を硬直させる。そうしたら、彼女から、もっとふわっと、顎を引いて、そして口角を上げて、と指示が出される。ふわっと、ふわっと、顎を引く。そして、とにかく笑う。筋肉を弛緩させ、歪な顔のパーツを何とか上手くまとめようと、レンズに向かって表情を作る。そうしたら、オッケー、おしまいです、と彼女は言う。これでおしまい。全部おしまい。虚実も現実も、全て一枚の写真として収められる。ちょっとした画像加工を経て。つるつるとした、皺のない顔。スクリーンに投影された映像が、映像作家によって構築されたものであるように、私たちが日々見ている現実も、ありのままの現実が網膜に映されているようで、実は少し、カレーに隠し味のソースをかけるぐらいの気軽さで改変されているのだと思う。こっそりと。

無理矢理笑顔を作ること。簡単なようで、これはとても難しい。毎日無理矢理笑顔を作っているけれど、その不格好さも、マスクのお陰で辛うじて隠せているのかもしれない。いっそ、『パール』のラストシーンのミア・ゴスや、DCコミックスのジョーカーや、コープスペイント(同日、新宿でSIGHの単独公演を観たが、若井氏のペイントは無慈悲に口角が吊り上げられた感じで、ホアキン版のジョーカーじゃないが、何処となく泣いているようで笑っているような、どちらとも取れる顔だった。)みたいな感じで、顔面自体を暴力的に「笑顔」に矯正してしまえたら楽なのかもしれないのに、とよく思う。とにかく笑い、場を収める。笑いを、本人の内心を差し置いて敵対心の無さを公に表明する営為として捉えた場合、それは猛烈なグロテスクさをもってこの身に迫ってくる。

とにかく笑う。笑顔を他者に表明することで、この私の敵対心を無化し、安全な人間であることをアピールする。こうした試みへの違和感と、職務経歴書に記入する業績アピールへの違和感は同根だと思う。言明、もしくは表情だけなら他者を裏切る事なんて日常的であって、私たちは他者を裏切る事に対して、要は自分の内心を曝け出さずに他者を欺いている事にいちいち罪悪感なんて抱いていられないわけだが、ふとした瞬間に、現に今この文章をタイプしている「私」が、言明・表情、社会的な視線を意識して加工したシロモノとしての私に向かって巨大な疑問符を投げかけてくる。

演じる事が人生であるとしたら、ふとした瞬間にボッと表出する自己演技に対する気味の悪さは、きっと私自身の内奥にある希死念慮が希釈されて唐突に飛び出してきた「何か」なのだろう。ゲーセンのワニワニパニックのように小気味良く私を襲うこの「何か」を必死に叩き潰す事で、今の私は精一杯だ。もう遊びたくない。ハンマーを捨てたい。ハンマーを手に持たなければ、ワニが無尽蔵に増殖して、きっと私はワニに喰われるだろう。この文章を読む貴方も、私が退治し損ねたワニによって喰われ、世界はいずれワニの惑星と化すだろう。そんな妄想をしながら、今日も私は無理矢理笑顔を作る。ワニによって沼に引き摺り込まれ、バラバラに解体される自分への憧れとともに。

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