2022/02/11

一週間を倒した。今日は祝日だ。建国記念日。私は国粋主義者ではないが、労働拒絶主義者なので、休暇がもらえるのであれば理由は正直何でもいい。私が欲しいのは、愛でも死でもない。休暇と酒である。

朝から気分がとても晴れやかだったので、風呂場のシャワーで植物達に水をやりながら、私もシャワーを浴びた。植物の葉に滴る水滴が、残雪の反射によって輝きを増した太陽光に照らされ、瑞々しい美しさを醸し出していた。生命礼賛。裸の付き合い。水やり後は、急いで彼らを部屋に引き上げ、サーキュレーターを回して余計な水分を飛ばした。植物と共存するためには、太陽光と水ばかりに焦点が当てられがちだが、風も同じぐらい重要である。屋内で植物を管理している場合は尚更そうだ。といっても植物に直接風を当てるのはよろしくないので、私の場合、部屋の空気が常に循環している状態を作るイメージで、部屋の天井に向けて風が当たるようにサーキュレーターの置き場を調節している。サーキュレーターは空気の入れ替えや冷暖房の効きの効率化にも役立つので、植物栽培云々関係なく、万人の日々の生活にはマストな製品だと思う。

この一週間は正直辛かった。直属の上司が結婚休暇の関係で丸々不在だった分、業務量がおかしかったが、泣き言を言っている暇はないので粛々とタスクを処理した。理不尽さへの苛立ちをいちいち感情に落とし込むだけで体力を使うので、自分の感情には蓋をし、コンピュータに転生したつもりで仕事に励んだ結果、お陰様で何とか乗り越えた。コンピュータ人間。先日上司も仕事に復帰したのだが、復帰早々コロナ感染疑いが生じたため、引き続き数週間は業務量がおかしいままの状態から解放してもらえないらしい。人生ゲーム、50マス戻る。

昨日、労働からの解放感のあまり、半年ぶりに髪を切り、デジタルパーマをかけ直した。和製ボーイ・ジョージみたいな雰囲気の美容師がいる行きつけの美容院はあいにく空きがなかったため、仕事終わりに通える範囲で新規開拓した。髪に負担が重いパーマをかけ続けている上に、コロナ禍で通いづらくなった結果、美容院という空間にはめっきりご無沙汰になっていた。髪が痛んでいる部分だけカットする予定だったが、美容師と会話をした結果、気付けばボブまで断髪する流れが形成されていた。会話とは一種のイリュージョンなのかもしれない。俺には破壊しかないんですよ。

施術中は、美容院の備え付けのタブレットで好き勝手に『美術手帖』や『Casa BRUTUS』や『WIRED』をダラダラ読んでいた。電子書籍提供型の美容院に行くのは初体験だったため、タブレットから好きな雑誌を読める旨を美容師から伝えられた時は驚いた。一般的な美容院に行くと、大抵は客の性別や年齢層に見合った雑誌を美容師が持ってきてくれる流れになっているかと思う。私の場合、席の前には2,30代の女性ファッション誌(これはこれで読んでみるとエイジズムやジェンダー的観点から気になる点が多過ぎるので、様々な意味で面白い)が置かれている事がほとんどである。この状況に遭遇する度に、美容師の目に映る自分の姿は、一応戸籍に即した存在になって「くれている」事が間接的に理解できたような気がして、変な安堵感に包まれたものだった。

いざタブレットを渡され、好きな雑誌を読む自由を提供されると最初は戸惑ったが、よくよく考えるとこのようなサービスのニーズは結構大きいのではないかという気がしている。「不快さの感度は人それぞれである」という事を前提にサービスを提供する場合、サービスの質を低下させないカギは「客自身に行動を選択させる」という点にあり得るからだ。それにしても、男性の大きな手で髪を乾かしてもらっている時は、どうして毎度あれほどに心地が良い気分になるのだろうか。小型犬になったような気分になる。くだらない人間のコスプレをやるよりも、小型犬になり、生の主導権を全面的に男性性に委任して「ちいかわ」として膝元で呑気に可愛がられたいのだが、来週もまたコンピュータ人間をやらねばならないのかと思うと辟易する。

愚痴を言ってもしょうがないので、適度に酒を飲み、来週もやっていきたい。これはどうでもよい話だが、先日飲んだ小正醸造の『小鶴theBanana』という焼酎は本当にバナナの香りがして怖かった。ワイン酵母を使用して発酵させると、あのようなフルーティな香味が生み出されるらしい。濱田酒造 の『だいやめ』を皮切りに、ソーダ割りに合うようなフルーティ路線の焼酎の波が来ているのだろうか。酒のトレンドに乗り、グアム辺りまで逃避したい。疲れた。優しい恋人が欲しいのに、女の出来損ないなので何も上手くいかない。おわり。

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