【親密感への怖れ】の裏にある「私は利用される」という感情、そして裏の裏にある「無力感」「劣等感」「無価値感」~深層心理を癒やすワーク~
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【ご相談ここから】
送信者:りりさん
Ryutaさん、こんにちは。
私は、30代の独身女性です。恋愛経験は無いけれど、自己肯定感や自分軸など、Ryutaさんの記事と皆さんからの質問には自分の心が重なるところが多くあり、少しずつ記事を読んでいます。
私は自分から人間関係を作るのが苦手です。
①親密回避を和らげるには、どのようなワークや行動をしていくのが良いでしょうか。
②人に干渉されたくない気持ちを和らげたい時、どのようなワークや行動をしていくのが良いでしょうか。
③自立系女子の皆さんは、人に頼る部分と自分でやる部分、どんなふうに決めているのでしょうか?
どうしてこのような質問をするのか、経緯を書きます。
私は生まれつき体に障害があり、車椅子で生活しています。3人兄弟の末っ子です。両親はもともと不仲で、特に私の障害に関してはいつも揉めていました。(中略)私は、障害のない人のようにならなければならないんだ、そのために頑張らなければならないんだと思うようになりました。
学校では、クラスの中で障害のある子供が私1人だけだったので、障害のないクラスメートに合わせて行動しなければならないのだと言う思いが強く、いつも『みんなが‥』と『みんな軸』でした。
友達に「手伝って」と頼み事をするのも下手で、友達に鬱陶しいって思われたらどうしよう、断られたらどうしよう、内心嫌だって思われてたらどうしよう、友達の負担になるんじゃないかと思うと頼めなくて、何でも自分でやるようになりました。
こうした経緯が積み重なって、自立系女子のようになっていきました。
家族、先生、友達の前で明るく振る舞っていても、心の中はいつも不安定でした。
家族、学校の先生、病院のリハビリの先生たち、気にかけてくれる大人はたくさんいましたが、大人から注目されることが多かったからか、小さい頃から何かと他人軸でした。みんな軸、親軸、兄弟軸、先生軸‥特に大変だったのは病院での生活です。人生の中で1番病院にいた時間が長かったのが、小学校高学年から高校卒業までです。
病院では自分の気持ちをわかってもらえなかったという思いになったり、不安になったりすることが多く、思春期だったこともあって、いっそう心が不安定になりました。
高校生になると、ますます不安定になり、自分に自信がなくなり、病院と言う場で生き延びていくには先生たちの指示に従うんだ、とにかく環境に合わせなければと必死でした。
特に強く親密回避をするようになったのは高校生の頃です。当時の私は学校の友達関係でも悩んでいました。
クラスの中で浮いている子や嫌われている子とばかり、友達になってしまうのです。私が「手伝って」と頼んでいなくても、磁石のように寄ってくるのです。その子たちは、車椅子で介助の必要な私のサポートをすることで、クラス内での居場所ができ、浮かずに済むのだと思います。(もちろん、友達本人はそれに気づいていません。友達の介助をしてるって素敵なこと!と思っているのです。)
人に手伝ってもらう立場でありながらこのようなことを言うのはすごく失礼だとは思うのですが、友達に『クラスの中で浮かないようにするための道具として利用されている』と感じることもありました。(このような状況になったのは、現在よりも他人軸が強かった、当時の自分の責任でもあると思います。)
高校、大学とこのような経験を繰り返しました。「自分は対等な人間関係を作れない」「頼んでもないのに、苦手な子ばかり寄ってくる」と自信をなくしました。「道具として利用されている」と感じるととても辛くなり、人間関係を一気に切ってしまいます。
「自分に近づいてくる人には利用される」「私の邪魔はしないでほしい、干渉しないで!!」という思いが強く、親密回避がどんどん強くなっていきました。
こうした事情を知って助けてくれた学生時代の恩師や、私の性格を知りながらも助けてくれる職場の上司、同僚のおかげで何とか社会人として働くことができています。職場では、業務(働く上での役割)を通して、少しずつ周りの人に心を開き、少しだけ雑談もできるようになってきました。
心を開いて話せる友人は何人かいますが、いずれも小学校からの幼なじみたちです。
家族と幼なじみ以外の人間関係、友達関係を自分から作れるようになりたいと思うようになりました。
いずれは信頼しあえるパートナーシップを作り、結婚して家庭を持ちたいと思えるようにもなりました。
でも、親密回避のブロックが強く出ていて、『また変な人が寄ってきた、また利用される。自分は、一緒にいて対等に楽しいと思える人間関係を作れないんだ』と落ち込みたくない。傷つきたくない。だから近づきたくない、と避けてしまいます。(何かと他人軸な部分があるのにも関わらず我が強くて、道具にされた、干渉された、嫌だ!、と思ったら徹底的に遮断してしまいます。‥友達だけでなく家族に対してもそうしてしまいます。)
自分が体が不自由な分人に頼み事をすることもありますから、『相手を自分の道具として利用してしまっているのではないか』と思うと、自分がされたくないことを相手にしてしまっていると思い、つらくなって、周りの人と関わるのをやめようと思います。
(Ryutaさんは、別記事で、与える姿勢が大事とおっしゃっていましたが、私は、与えるってどうすること?与えても利用されるんじゃないのと思ってしまいます。いろいろ考えすぎだなと自分でも思うのですが、うまい落としどころを見つけられてなくて‥)
一方で、時間がかかっても心を開いた人には、頼ることもあって、時に頼りすぎかなと思うこともあります。
頼りすぎて、相手の負担になるのではないかと思うと、気になって頼れないしうまく話せなくなります。
最近「課題の分離」の考え方を知りました。時々思い出して、自分の課題を意識するようにしています。でも、体が不自由な分どうしても相手に手伝ってもらう場面や、自分1人でやるには時間がかかりすぎるために相手に頼まないといけない時もあり、頼むところと自分でやるところを決めるのが難しいです。
まとまりなく長々と書いてしまいましたが、これが初めの質問の経緯、理由です。
対等で温かな人間関係を作れるようになるために、行動を起こしたいと思っています。
Ryuta さんのご意見をいただけませんか。
よろしくお願いします。
【ご相談ここまで】
人間関係、パートナーシップについての質問をいただきました。りりさん、ありがとうございます!
質問の要点を一気に3つに絞ると、「他人軸」「親密回避」「自立性」ということになりますか。
そのそれぞれについてりりさんは悩んでいるし、あるいは複合的なものについても悩んでいます。そもそも「親密回避は他人軸心理の表れ」ということができますし、「他人軸は自立性の表れ」ということもできますし、これらの三者は独立したものではなく相互に影響を与え合うものです。
りりさんの人格形成には親子関係や思春期の関係、そして病院の先生との関係など色々な人が影響を与えていまして、そして生まれつきの身体障害という事情から周囲は何かとセンシティブな感じでりりさんに接してきたでしょうし、りりさんも少なからず孤独や不安を抱えてきたと思います。
そういった周囲との関わりが強く影響して、りりさんの心には親密感への怖れや強い他人軸などの「こじれ」が生まれてしまったということですね。
でもそんな風に幼少期から思春期、そして今にいたるまで「不安」「孤独」「自己肯定感の低さ」を抱えつつも腐らずに、
「心から信頼できる友人関係をつくりたい」「ゆくゆくは幸せなパートナーシップを築きたい」と自分をドライブしていく姿勢は必ずりりさんの人生を良い方向に進ませていきますし、応援してくれる人は必ずこの先もたくさん現れますし、もちろん私だってりりさんの人生を全力で応援したいです。
RKメンバーに覚えておいて欲しいのは、人生で最も大切なのは「腐らないこと」です。
時にはネガティブになってもいいし、自分責めしてもいいし、落ち込んだっていい。でも、どこまで落ち込んだとしても腐らないことが大切です。
言い換えるなら「自分を幸せにする」を放棄しないことが大切です。
大切なのは、どんなにネガティブになってどんなに落ち込んだとしても、心の奥隅では自分を幸せにしてあげることを諦めないことです。そこを投げてしまったら、究極の話、生きている意味がなくなってしまいます。
私たちは幸せになるためにここにいるのですから。
そういう意味で、りりさんは芯がとても強い女性だと思います。不安でも孤独でも落ち込んでもネガティブになっても自分を放棄していません。
自分の幸せにフォーカスを当てているからこそこうして質問を送ってきてくれています。
「幸せを放棄しないこと」なんて、何だか基本中の基本というか、生きる上での前提中の前提みたいな話をしてしまいましたが、たまにはこういうところに立ち返るのも悪くないですよね。
それでは質問に入っていきましょうか。
りりさんがまとめてくれている質問は以下の3点です。
ーー
①親密回避を和らげるには、どのようなワークや行動をしていくのが良いでしょうか。
②人に干渉されたくない気持ちを和らげたい時、どのようなワークや行動をしていくのが良いでしょうか。
③自立系女子の皆さんは、人に頼る部分と自分でやる部分、どんなふうに決めているのでしょうか?
ーー
加えて、質問としては明言されていませんが、相談文中にあったこちらにも回答したいなと思います。
ーー
④Ryutaさんは、別記事で、与える姿勢が大事とおっしゃっていましたが、私は、「与えるってどうすること?与えても利用されるんじゃないの?」と思ってしまいます。
いろいろ考えすぎだなと自分でも思うのですが、うまい落としどころを見つけられてなくて‥
ーー
いやぁ、今回の記事も長くなりそうですね。
張り切ってお答えしていきます!
ーー①親密回避を和らげるには、どのようなワークや行動をしていくのが良いでしょうか。ーー
ーー②人に干渉されたくない気持ちを和らげたい時、どのようなワークや行動をしていくのが良いでしょうか。ーー
親密回避、、親密感への怖れとよく呼んでいますが、りりさんの大きな原体験として、
ーー友達に『クラスの中で浮かないようにするための道具として利用されている』と感じることもありましたーー
という高校時代に感じた心理的なダメージがあります。すなわち、「近づいてくる人は私を利用してくるに違いない」という信念ですね。
「人に干渉されているように感じてしまう」「人が私の領域に土足で踏み込んできているように感じてしまう」というのも、(もちろん相手が本当に過干渉でお節介焼きな場合だってありますが)「干渉されたくない」「踏み込まれたくない」…もっと言えば、「近づいてこないでほしい」というりりさんの怖れの部分もけっこう大きいわけです。
よって、「親密感への怖れ」と「過干渉への怖れ」は同根の問題である可能性が高いわけです。
ましてやりりさんは幼少期、思春期の繊細な時期を通して、「親切という面を被ったお節介」にたびたび晒されてきたわけで(もちろん、相手はかなりの割合親切心でその行動を行っていますが、りりさんとしては「その行動は重い」と感じる機会も多かったんですもんね)、
「相手と不用意に近づきたくない」「近い関係になりたくない」「ほどほどにバリアを張っておきたい」と考えるようになるのも当たり前だと思います。
そしてそれはもちろん、たびたび他の記事でも書いていてりりさんもご存知なように、人間関係やパートナーシップのあらゆる問題に繋がっていきます。
人間関係で言えば、「どの人も私を利用するに違いない」「どの人も誠実じゃないに違いない」「つながったところでどうせ裏切られる」などの色眼鏡で関係を見ることに繋がり、相手とフラットで親密な関係をつくることが非常に困難になります。
パートナーシップで言えば、意図せずともあえて自分が傷つくような関係性に踏み込んでしまう可能性が高くなったり、もっと具体的な話で言えば例えば「交際ブルー」「マリッジブルー」に陥ってしまいやすくなるでしょう。
ここを癒していくとしたら、「近づいてくる人は私を利用してくるに違いない」という信念の、そのさらに奥にある信念に目を向けていくのが良いでしょう。
すなわち、
・そもそもなんで利用されると感じているのか
・そもそもなんで相手の好意を「過干渉」だと受け取ってしまうのか
・そもそも自分の中にどのような人間関係の前提があるのか
・そもそも自分の中にどのような「自分に対する前提」があるのか
…そんなところを観察していくのが良いと思います。
りりさんの原体験として非常に大きいのは、
ーークラスの中で浮いている子や嫌われている子とばかり、友達になってしまうのです。私が「手伝って」と頼んでいなくても、磁石のように寄ってくるのです。ーー
ーー友達に『クラスの中で浮かないようにするための道具として利用されている』と感じることもありましたーー
この部分かと思います。
・浮いてる子や嫌われる子ばかり引き寄せてしまう
・その子たちは善意でやってるのかもしれないが、りりさんからすれば「その子たちがりりさんを「利用」して居場所を作ろうとしているようにしか思えない
そういうことですよね。そして、似たような体験が高校~大学と繰り返されていった。そしてりりさんの親密回避心理が大きくなっていった。
でもここには、「もっと深い原体験」があったように私には見えるのです。
すなわち、「どうしてそもそも浮いてる子や嫌われてる子が磁石のように寄ってきたからと言って”利用されてる”と思ってしまったのか」という部分にも向き合えると思うんです。
「そりゃ、当時の私がそう感じたんだからそうなんだよ」
「そりゃ、浮いてる子ばっかり磁石みたいに私のところに来れば”利用されてる”って誰でも普通は思うでしょ」
もしかしたらそんな風に思われるかもしれません。
しかし、そんな風に「誰でも普通はこう感じるでしょ」と思ってしまうようなところにこそ根本的な信念が埋まってたりもするものなんです。
こう考えると分かりやすいかもしれません。
今のりりさんは、色々な人生経験と自主的な勉強を経て、職場の人に心を開けるようになったり、友人にありのままの思いを話し頼れるようになりましたよね。今のりりさんは高校時代のりりさんと比べれば多少は…あるいは、随分と生きやすくなったはずなんです。
今のりりさんのマインドが高校時代のりりさんに憑依したとして(ありえませんが、思考実験として考えてみてほしいです)、そんなりりさんは、りりさんを手伝ってくれようとしている「浮いている子」や「周りから嫌われてる子」に対してどう感じるでしょうか。
もしかしたら、今のりりさんは、当時のりりさんよりは「利用されてる!」と感じる度合いは薄いかもしれませんし、もしかしたら何なら普通に「手伝ってくれてありがとう!嬉しい!!」と感謝を感じるかもしれません。
この思考実験を通して何が言いたいかと言うと、「浮いてる子や嫌われてる子が磁石のように寄ってきたからと言って、”利用されてる!”と感じるのは、当たり前のことではない」ということです。
同じりりさんでも、その現象(浮いてる子が磁石のように寄ってくる)から、当時のりりさんが受ける印象と、現在のりりさんが受ける印象はだいぶ違いますよね。おそらく10年後のりりさんが受ける印象だって全然違うでしょう。
つまり、「○○というシチュエーションなら、普通は利用されてるように感じるよね」という前提は成り立たないということなんです。
そしてそれはどういうことか。「○○というシチュエーションにおいて”利用されてる”と感じる」ということは、
もしかしたらその根底に何らかの傷や、さらに根深い信念があるのではないかということです。
つまり、りりさんの「私は利用される存在」という親密回避の心理の原体験は高校時代のものですが、その原体験を生んだ「原体験」はさらに過去にさかのぼるのかもしれないということ。
言い方を変えれば、「○○という信念や傷があるから、人から利用されてるように感じてしまう」
…これの「○○という信念や傷」の部分を突き止めていきたいということですね。
ここまでの話をいったん分かりやすくまとめると、
***
超根本的な信念や傷(これから突き止めて、意識して向き合いたいもの)
↓
「利用された!」という原体験(高校時代から得た根本的な信念)
↓
高校時代~大学時代に原体験が繰り返されることにより親密回避心理の増幅
↓
親密回避心理により人間関係やパートナーシップが困難になる
***
こんな感じになると思います。
最も根本的な部分には、書いてくれているように親同士の不仲に由来する「無力感」があるのかもしれないし、(「無力感」があるから「利用されている」という心理が生まれる)
私は同い年の他の子たちより劣っている存在なんだという「劣等感」があるのかもしれないし、(「劣等感」があるから「利用されている」という心理が生まれる)
私のせいで親や先生、周囲の人に迷惑をかけてしまっているのかもしれないという「罪悪感」があるのかもしれませんし、(「罪悪感」があるから「利用されている」という心理が生まれる)
私は頑張らなければ愛されない存在なんだという、自立系女子的な「孤独感」があるのかもしれません。(「孤独感」があるから「利用されている」という心理が生まれる)
もちろん、これら単体ではなく複合的なものでしょうし、例にあげた根本心理以外にもさまざまな感情が原因となって「私は利用される存在なんだ」という強い思いが生まれたのでしょう。そしてそれが親密回避へと繋がっていくのでしょう。
根底にあるものが何であれ、「利用されている」という心理を生む「何か」にフォーカスすることは、りりさんにとって非常に大切なように思われます。
相談文で十分過去を振り返ってくれていますが、改めて「なぜ利用されていると思うようになってしまったのか」ということをテーマに、過去を掘り出して言語化してみると、りりさんの親密回避への解像度がさらに上がってくると思います。りりさんの親密回避が「得たいの知れないもの」ではなく、「あぁ、これこれこういう信念がコアにあるのだからこういう心理になるのも当たり前だな」というように、手中で処理しやすいものに変わっていくでしょう。
では具体的にどう、りりさんの「コア」に向き合っていくのかと言えば、りりさんがやってくれたように過去に向き合うだけでも相当な効果がありますが(現にりりさんは少しずつ職場の人たちなどに心を開けるようになってきていますもんね)、
傷ついたコアを癒やす最も積極的なアプローチとしては…
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