【執着の講義-11】執着を手放して心の傷が癒された後では、パートナーシップにはどんな意義があるのでしょうか?
■【初めての方へ】ご挨拶とご案内。
■【お勧め記事】「恋愛こじらせ」「依存こじらせ」について50000字以上で深く解説しました。
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「執着」についてとても良い質問が届いたので、当記事は長らく眠っていた【執着の講義】シリーズとして書きたいと思います。
「執着の講義」は、1〜8まで無料で公開しています!
是非読んでみてください。
それでは早速、質問の方に入りたいと思います!
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【ご相談ここから】
送信者:ゆうさん
Ryutaさんご無沙汰しております。
以前はご回答をありがとうございました。
いただいたアドバイスを下にワークを進めて行き、気がついたら自分の容姿に対する嫌悪感や他者との比較も行わなくなってきました。
そして誰の前でも同じように笑えるようになってきました。これはとても大きな進歩です。それでも時々心が元に戻りそうな時もあります。
そんな時は自分の心の声を聞き、それに向き合い自分の言葉で回答するようにして日々乗り越えています。その節は本当にありがとうございました。
そして今日はまた、教えていただきたい事があってメッセージを送りました。
最初に相談を送らせていただいた、別れてしまった彼に対する執着心の手放しや自分を愛するという事を進めていき、彼に対する好意は変わらず持ち続けているものの最初の頃とは比較にならない程復縁に対する執着心がなくなりました。
なんならいつかもう一度、気持ちを伝えるトライはしてみてその時にうまくいかなかったらそれは彼がその時に出したベストな答えだ、と相手の気持ちに期待しないというか気持ちを操らないというか相手の気持ちを尊重出来るようになりました。
しかし、ここでふと疑問が浮かびました。
こうして相手を尊重する=自分の求めている回答ではない場合もある、
そしてそれを受け入れる=それでいて誰かと親密な関係を結ぶってどうやるの?
そしてそもそもパートナーシップの意義は?という事です。
いくらどんなに自分が思っても相手と気持ちが繋がらない場合も多々あるかと思います。そしてそれは尊重するべき事だという事はわかりました。
逆もしかり、私の気持ちも尊重されるはずだと思いました。その思いがうまく交わらない事が発生する場合も多々あると思います。
これまでの恋愛や結婚生活ではそのような事が生じた場合には9割は私が相手に合わせる事で乗り越えてきました。(残りの一割は自分の気持ちを尊重し、別離に至りました。)
しかし、こうして自分の心を大切にする事を知った今、これまでのように自分を殺して相手に合わせて我慢する事はないと思います。
でもそれってどうやってお互い折り合いを付けていくのだろう…心が全部納得できて同じ方向へ進むなんてあるのだろうか…きっとない気がするのです。
となると誰かと一緒にいる意味って?となってしまいました。
誰かいなくても自分で自分を満たしてあげればそれで良いのではないか?と。
彼の事は変わらず大切な人と脳は認識していますし、また一緒に過ごせる事があったらとても嬉しいと思います。
けれども同じ人間ではないので絶対に合わない部分はあると思うのです。それは相手が別の人でも同じ事です。
彼との秒速とも言える時間の中で感じた幸福感は覚えているのでいつか幸せなパートナーシップを築きたい、と渇望してはいるものの、自分を尊重し、愛する事ができた上での他者とのパートナーシップの築き方、その存在意義がわからなくなってしまいました。
白黒女子な私には本当に難しいです。
こうして自分を大切にする色々な事がわかってきた今だからこそ、恋愛をする意味が知りたくなりました。
Ryutaさん教えてください。
【ご相談ここまで】
ゆうさん、ご無沙汰しております!お元気でしたか?
まず最初に、
ーーいただいたアドバイスを下にワークを進めて行き、気がついたら自分の容姿に対する嫌悪感や他者との比較も行わなくなってきました。ーー
ゆうさんには過去何度か質問にお答えしていて、ゆうさんが質問内で言っている「容姿についての記事」はこちらのことになります。
記事では「容姿至上主義」「外見コンプレックス」とも表現されるルッキズムについて語り、その上で激しいルッキズムから解放されるためのワークをご紹介しました。
強すぎる外見コンプレックスに悩んでいる方はもちろん、外見だけでなくあらゆるコンプレックスに応用可能な記事になっています。
是非読んでみてもらえたら嬉しいです!
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さて、今日のゆうさんの質問はもはや心理学というよりは哲学の領域でして、「人間という存在にとってパートナーシップとは何か、幸せとは何か」という超本質的な話です。
つまり、大変レベルが高い質問でして、RKメンバーじゃない人にとっては「このRyutaとかいう人いったい何言ってるのか分からない…」「そもそもゆうさんの質問がよく分からない…」という感じになってしまうと思われます。
そういう意味で今回はかなり身内向けの記事になりますし、もう開き直って非メンバーを意識せずがっつりRKメンバー向けに書く予定です。むしろメンバーじゃない方で、ゆうさんの質問の意味とか私が言ってることの意味を薄々でも分かる人がいたら、当記事だけでなく私の他の記事も大変面白く読めると思います。
…ので、何が言いたいかと言うとゆうさんの質問にピンとくる方もこない方もRKサロンの参加がオススメです。RKサロンでは当noteの全記事が読み放題になります(宣伝)
ゆうさんの質問にピンとくる方は他の記事もめちゃくちゃ面白く読んでもらえると思いますし、ピンとこない方は他の記事をぐるっと一周まわってからこの記事に戻ってきてもらうことで、ゆうさんの質問の意味や意図もおぼろげながら見えてくるようになると思います。
今回のゆうさんの質問を少しでも理解するには知識とかスキルとかじゃなくて「視野」がキーです。たまに私がXで発信している言葉で言えば「精神的レベル」みたいなやつが近いかもしれません。精神的レベルみたいな単語を変に使うと炎上する繊細な世の中ですが、まぁしょうがない。そうとしか言い表せないものだってあります。
上から目線みたいな表現に聞こえたらスミマセンが、視野は広くて深いほど人生は面白いです。RKサロンで、視野を広げるための勉強してみませんか?
それでは、ゆうさんの質問の方に入っていきましょう。
ーー最初に相談を送らせていただいた、別れてしまった彼に対する執着心の手放しや自分を愛するという事を進めていき、彼に対する好意は変わらず持ち続けているものの最初の頃とは比較にならない程復縁に対する執着心がなくなりました。ーー
執着や自分への愛についてはこの記事で回答しましたよね!
「最初とは比較にならないくらい執着を手放せた」とのことで、素晴らしいです。
きっと、読んで→実践して→読んで→実践して→読んで→実践して…
という思考錯誤を繰り返してくれたんですよね。著者冥利に尽きます。
ーー相手を尊重する=自分の求めている回答ではない場合もある、
そしてそれを受け入れる=それでいて誰かと親密な関係を結ぶってどうやるの?ーー
ーーそしてそもそもパートナーシップの意義は?という事です。ーー
今回のゆうさんの質問は大きく2つあります。
①相手の感情と自分の感情をともに尊重するとき(=執着しないとき)、パートナーシップ(親密な関係)は成立しないのではないか
②パートナーシップの意義は何か
この2点です。
まず②のパートナーシップの意義の方からお答えしていきましょう。そちらをスッキリさせてからの方が、①の回答も腑に落ちやすいと思います。
心が癒された後のパートナーシップの意義とは何か。
これはとっても良い質問です。
執着状態にある時のパートナーシップの意義は簡単に説明できますよね。
例えば「欠乏を埋めるため」「自分の価値を確認したいため」「自分の心のセーフティーネットのため」というのが、執着状態にある人が思う「パートナーの意義」です。こういう心理は以前のゆうさんもRKメンバーのみんなも痛いほど理解できると思います。
自分の欠乏を埋めてもらうのがパートナーの存在意義…というのは過激な表現に見えますが事実ですよね。
例えば、上の3月に相談してくれた記事内でゆうさんは、
ーーいっしょに過ごす中で私の中でどんどん彼に対してエゴが出てしまい、最終的には心にもない言葉を吐いて試し行為をし自ら別れを告げてしまうという自爆行為で幕を閉じてしまったのですが…ーー
と書いてくれましたが、執着状態にある時にはこの「エゴ」という部分がパートナーシップを求める理由になります。心の傷が由来のエゴが強ければ強いほど、「心にもない言葉を吐く」「試し行動をする」「自爆行動をする」という”拗らせ”が表面化してきます。
欠乏が強すぎるあまり、パートナーが「いてくれなきゃいけない」わけです。執着状態の人のパートナーシップへのニーズは、そのように、「心を埋める役割」です。
言い方をかえれば、執着状態にある時には自己価値や自己肯定感を「マイナス→0」に戻していくためにパートナーを欲するということにもなります。
一方で、執着がなくなったのならば、心の傷が癒えてきたならば、自分で自分を大切にできるようになってきたのならば、パートナーの必要性は薄れてくるようにも思われます。パートナーシップの意義というのも半減するように思われます。
なぜなら、ゆうさんも言ってくれてるように自分で自分を満たせるようになりますし、自分で自分を愛せるようになりますし、パートナーに傷や欠乏を埋めてもらわなくても済むようになるからですね。先ほどの表現をもう一度使うと、自分のなかの「マイナス」が弱まってくるゆえに、「マイナス→0」にするためにパートナーがいる必要がなくなるんですね。
執着が薄くなってくると、ある意味「自分で完結した世界」ができあがってくるわけです。
しかしながら、パートナーがいることでより人生が豊かになる、彩りが加えられる、楽しくなる、幸せになるというのもまた事実ではないでしょうか。
誰かと1対1で深いパートナーシップを築くことでしか感じられない感情、味わえない思い、つくれないストーリーがあるというのもまた真理ですよね。
結論を言えば、そんな素敵な感情を味わうこと、ひとりでは感じられない感情を感じること、ひとりでは紡ぎ出せないストーリーを紡ぎ出していくこと、ふたりの歴史をつくっていくことが「パートナーシップの意義」だと私は思います。
ゆうさんがこのように、率直に言ってくれたとおりです。この2行に集約されていると思います。一緒に過ごせたら楽しいし、幸せだからパートナーシップを築くのです。
ーー彼の事は変わらず大切な人と脳は認識していますし、また一緒に過ごせる事があったらとても嬉しいと思います。ーー
そして、この「より大きな幸せをつくりたいからパートナーシップを築く」という考え方は執着ではないことにも注目してください。
これは、執着ではなく「コミットメント」「ビジョン」と表現する方が近いでしょう。
なぜならそこにはパートナーに埋めてもらうべき欠乏や無価値感はありませんし、「こうあるべき論」や「心の傷/マイナス」はありませんし、これは執着手放しと癒しが進んだ後の話だからです。
平たく言えば、「自己完結できるっちゃできるけど、パートナーがいたほうがより一層幸せだよね」という考え方をするわけですね。
つまり、パートナーシップの意義とは、「マイナスを0に戻すこと」ではなく、「プラスをさらに大きなプラスにしていくこと」なんです。
執着を乗り越えた先に自己完結の世界があり、自己完結のさらに上位ステップとしてパートナーシップがあるとも言えるかもしれません。もちろん、パートナーシップをつくるかつくらないかはあくまで人生の選択の話なので、「上位」「下位」みたいな表現はあまり使いたくないのですが、分かりやすく言えばそういうことです。
以上の話をベースに置いておくと、ゆうさんがしてくれた1つめの質問も比較的簡単に解きほぐしていくことができるようになります。
「①相手の感情と自分の感情をともに尊重するとき(=執着しないとき)、パートナーシップ(親密な関係)は成立しないのではないか」
これがひとつめの質問でしたね。
確かに、おっしゃるとおり、自分と相手の価値観が100%全て合うことはありえません。
「ここが合う」という点があるから一緒にいるわけなのですが、例えば一緒に暮らしたり、長く一緒にいれば、必ず「ここが合わない」という点だってでてきます。
そんな風に価値観の相違があった時、執着が手離れた状態で「私はあなたの価値観を尊重する」「私は私の価値観を尊重する」ということをやっていたら、「白黒思考」で考えるとしたら、一見「ではお別れしてそれぞれの道を生きましょうね」という風になっていきそうです。
つまり、「価値観が全て合うなら一緒にいる」「価値観がひとつでも合わないなら別れる」という状況になりそうですよね。
もちろんそれが悪いということではなくて、そういった白黒思考のような考えかたも人生の選択のひとつですから、それはそれでアリだとは思うんです。
でも一方でゆうさんは、そういった価値観の違いを乗り越えることはできるものなのかということを気にされているということですよね。
先程の質問②の回答をベースに、質問①「①相手の感情と自分の感情をともに尊重するとき(=執着しないとき)、パートナーシップ(親密な関係)は成立しないのではないか」の結論を言うと…
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