「完璧じゃなきゃ愛されない」「弱みを見せてはいけない」メンタル強そうに見える自立系な人ほど自己肯定感が低く、欠乏を抱えてるという話
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先日、このようなポストをしました。
【Xポスト全文はここから】
心の傷が深い人の特徴は「ちゃんとしなきゃ愛されない」「頑張らなきゃ愛されない」と思い込んでいることです。
表面的にはしっかりしてるように見えても内面には深い傷を抱えてる。
長男長女で幼少期から「頑張りすぎてた」パターンが多い。
弱い自分も頑張れない自分も認めてあげると生きやすくなります。
「ちゃんとしてなくても、頑張らなくても、完璧じゃなくても、私は愛される存在」ということを受け入れるのは非常に難しいことだと思います。
幼少期からの思考習慣が根深いほど、ありのままの自分を愛するのは難しい。
でも、一歩ずつで良いので「自分を緩める」ができると楽になる。
弱い自分も受け入れるのが大切です。
頑張りすぎな人ほど表面的には素晴らしい人に見えるけど、心は鎧でガッチリ覆われている。
パートナーシップで、大切な人に本音をさらけ出すのも難しくなります。
【ポストここまで】
見たことも聞いたこともないff外のアンチ様から「長いので1行にまとめてください」的な真剣なクレームをいただいてしまったポストなのですが、
私のお客さん(ファンの方やフォロワー含む)は、「長文でこそRyutaだよね」ということで喜んでくださるので、私ものびのびとポストしたり、長編noteを書くことができてます。
いつも「ありのままの自分」について発信している、他でもないこの私自身が「ありのままの自分」でいられるのは皆のおかげさまですし、本当にありがてぇ話です。
さて今日のテーマは、皆大好き「自立系女子」「自立系男子」についてです。
本編でも詳しく解説していますが、自立系女子とは「頑張りすぎ」「ちゃんとしすぎ」「完璧主義」「甘えられない頼れない」などの特徴を持った女子のことで、仕事でも人間関係でも親子関係でもパートナーシップでも、かなりの抑圧とストレスと生きにくさを抱えるようになります。
「頑張りすぎ」「甘えられない」ということを違う角度から言い換えると「自己否定」ということにもなります。
自分を否定しているから、自分を責めているから、無価値感が強いから「頑張ってその穴を埋め合わせてる」という風にも言えるでしょう。
「愛されよう」「認められよう」「評価されよう」と不安にも焦りにも似た感情に動かされて頑張っているということですね。
そういった意味では、いわゆる「バリキャリ女子」「ハイスぺ男子」にも自立系の人が大変多いです。子ども時代から「自分の中の物足りない何か」を埋め合わせるために駆け抜けてきて、頑張って頑張って結果的に「優秀な人」になったけど、でも全然幸せになれないという欠乏を抱えているパターンですね。
今日のご相談者さんもまさに絵に描いたようなハイスぺ男性で、ご自身の過剰な自立心と自己肯定感の低さに悩まれていました。
・ありのままの自分を認められている気がしない
・「私は無価値だ」という感覚が強い
・人に甘えるのが苦手
・人を素直に信頼するのが苦手
・人に素を見せるのが苦手
・大切な人を大切にすること、そして大切にされることが怖い
・「頑張りすぎ」「完璧主義」な自立系女子、そして自立系男子
そんな全ての皆さんに送る記事となりました。ぜひ読んでみてください。
それでは、以下より本編です。
1.自立系女子と自立系男子
生きにくさの背景には「自立しすぎ」があるよねということで、もはや恋愛心理界隈の共通語になってしまった感がある「自立系女子」についてよく記事を書いています。
「そんな共通語聞いたこともないがな」という方のために解説しておきますと、自立系女子とはポストでも書いた通り、
ーー「ちゃんとしなきゃ愛されない」「頑張らなきゃ愛されない」と思い込んでいるーー
そんな女子たちのことですね。
あるいはそういう深層部分の「愛されない」という思い込みから、「ちゃんとしなきゃいけない」「頑張らなきゃいけない」「完璧じゃなきゃいけない」「人に弱いところを見せてはいけない」という風に日々張り詰めてしまっていて、それが原因であらゆる生きにくさを抱えている女子のことです。
私のnoteは女性読者が9割を超えていまして、「自立系”女子”」ということで色々な記事を書くことが多いのですが、これは女子だけでなく男子にも共通して言えることです。
男子も、「頑張らなきゃいけない」「完璧じゃなきゃいけない」「恥をかいてはいけない」ということで悪い意味で「自立」しすぎている人はかなり多いですよね。
男女で違いがあるとすれば、「頑張らなきゃいけない」「完璧じゃなきゃいけない」という焦りのような不安のような、そんな心理の背後にあるものです。
女子の場合は書いたように、「頑張らなきゃ愛されない」「完璧じゃなきゃ愛されない」「弱みを見せては愛されない」というように、「愛」が深層心理的なテーマになっていることが多いというか、「愛されない」という恐怖に怯えてることが多いですね。
この愛は、「異性からの愛」であることはもちろん、「家族からの愛」も含みますし、「親からの愛」も含みますし、「親友からの愛」も含みますし、あらゆる深い人間関係において「愛されない」ということを心から怖れるのが女性の一般的な特徴だと言うことができます。
一方で男子の場合は、「頑張らなきゃ認められない」「完璧じゃなきゃ笑われる」「弱みを見せたら評価されない」というように、どちらかと言えば「承認」が深層心理的なテーマになっていることが多いです。
「愛する人に認められたい」「好きな人に尊敬されたい」「仲間の中でも抜きんでたい」という承認欲求は、男性の人生における大きなテーマのひとつです。
「自立系」ということで生きにくさを抱えるのは男女とも同様ですが、その背後、深層にあるものは一般的に「愛」と「承認」というように、異なることも多いのですね。
もちろん以上は一般論の話であって、「愛より承認とか評価の方が大事だぜ!」という風に男性性の強い女性もたくさんいますし、「承認とかより愛が欲しい」という風に女性性優位な男性もいます。
身体的な性別の違いだってもちろん大きいですが、それはあくまで一般的な傾向の話であって、必ずしも「女=愛」「男=承認」というわけではないことには注意が必要です。
とにもかくにも、「頑張らなきゃいけない」「ちゃんとしなきゃいけない」「完璧じゃなきゃいけない」「弱くてはいけない」という過剰な自立性があると、
自分を許せなくなりますし、自己否定が強くなりますし、毎日のしんどさに繋がりますし、仕事でもプライベートでも自分で自分にプレッシャーをかけ続け首を絞めることになりますし、追い追い詳細に書くようにパートナーシップにも困難をもたらします。
いきなりめっちゃレベルの高い話で初めてきた方は混乱してしまうかもしれませんが、
「ちゃんとしなきゃ(過自立)」の背後にあるものが、「愛されたい」「承認されたい」「評価されたい」という観念であることは是非覚えておいてください。難しい話ですが、とてもとても大切なことです。
次章では【どうして自立しすぎてしまうのか】というテーマで、
「頑張らなきゃいけない」「ちゃんとしなきゃいけない」「完璧じゃなきゃいけない」「弱くてはいけない」「甘えてはいけない」…
そんな生きにくさについて、もっと深く見ていきましょう。
2.どうして自立しすぎてしまうのか
では「ちゃんとしなきゃいけない」「完璧な自分でいなきゃダメ」という風な考え方や思い込みを抱いてしまうのはどうしてでしょうか。
思い込みは生まれながらにあるものではなく、何らかの大きな感情が積み重なり、それがきっかけとなって形成されていくものです。
例えば「私は焼き肉が大好き」という思い込みは生まれながらにしてあるものではないですよね。
「焼き肉って美味しい」「特にどこどこの店の上タンがたまらなく旨い」「ユッケ最高」みたいな経験と感情から、「私は焼き肉が大好き」という思い込みが徐々に、あるいは一気に形成されていくわけです。
焼き肉と違い、「ちゃんとしなきゃ愛されない」「頑張らなきゃ認められない」などのその人の人物形成の根幹に関わる思い込みは、早くも幼少期からつくられ始めると言われています。
そして思春期にその思い込みはさらに強化され、成人前後にはかなり完成に近づきます。
そこからはよほど衝撃的で大きな出来事がなければ、自分で強く意図して思い込みを解除~変更していかない限り、一生その「思い込み」のまま過ごす可能性も高いです。
思春期は別名「多感な時期」と言われており、この時期の人間関係や恋愛が、思い込みやその後の人生におよぼす影響はめちゃくちゃデカいです。
「ちゃんとしなきゃ」「完璧じゃなきゃ」という思い込みの例で言えば、例えば例えば思春期の失恋やイジメの経験は代表的だと思います。
私のクライアントさんを含め、思春期につらい失恋を経験している人はけっこうな確率で「恋愛における完璧主義」になりがちです。
例えば思春期に好きな先輩ができて、バレンタインやクリスマス前に自分から好意を伝えたりして、相手がめっちゃ無神経な人で「ごめん、顔が好みじゃない」みたいな振られ方をしたらどうでしょうか。
先輩とは言え、中学生だとか高校生の男なんてただのガキですので、平気でそういうあまりにも失礼で幼いことを言いがちですが、女子サイドでは「先輩とは言ってもただのガキだもんね」「未熟な男の子だもんね」なんて考え方はしません。
そうではなく、「私がブスだから悪いんだ」「私の目が一重だからいけなかったんだ」「私の鼻が低かったから」「私の輪郭が変だから」「私のパーツが整ってなかったから」「私の歯並びが悪かったから」「私が貧乳だから」「私の脚が太かったから」というように、失恋の仕方によっては自分をひどく責めてしまうのが思春期の女子というものです。
一度そのようなトラウマ級の経験で傷ついてしまうと、中学高校を卒業しても、そのネガティブ感情からは卒業することが困難になります。
大人になっても「完璧じゃなきゃ好かれない」「完璧じゃなきゃ愛されない」「顔もスタイルも性格も1ミリも隙があってもいけない」「異性にも同性にも恋愛対象の人にもそうじゃない人にも好かれなきゃいけない」「何もかもちゃんとしてなきゃいけない」という風に堅く重い鎧をまとうことになるでしょう。
そのような逆境的感情をバネにして精一杯努力したりなど、「良い面」ももちろんあるのですが、人生を総合的に考えるならばそういったコンプレックスは明らかに「生きにくさ」の元ですし、根深い完璧主義と自立性により自分自身が苦しむことになります。
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ーー長男長女で幼少期から「頑張りすぎてた」パターンが多い。ーー
ーー幼少期からの思考習慣が根深いほど、ありのままの自分を愛するのは難しい。ーー
思春期の女子の傷についてお話しましたが、もっと深く遠くまでさかのぼり「家庭環境」「親子関係」「きょうだい関係」が過剰な自立性に影響していることも非常に多いです。
ポストでは「長男長女で幼少期から頑張りすぎていた」という例を取り上げてみました。
以下では、長男長女がなんで「自立化」して生きにくくなっていくのかと、
それに加えて「末っ子」「中間子」「ひとりっ子」もまた環境によっては完璧主義的になって傷を抱えるパターンがあることを見ていきましょう。
読み進めていただくことで、思春期の環境だけでなく、幼少期の環境もめちゃくちゃ強く影響していることが分かってもらえると思います。
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下に妹や弟がいる場合、両親は下の子の方を差別して特別に可愛がるというわけではないのですが、どうしてもどう頑張っても下の子の方が手がかかります。
赤ちゃんはすぐに機嫌が悪くなりますし、すぐに泣きますし、色々なお世話をしてあげなくてはならず、親が下の子に付きっきりにならざるを得ないことだって多いでしょう。
親は「長男長女にも注目してあげるべきだし、そうしてあげたい」「構ってあげたい」ということは分かっていつつも、お兄ちゃんお姉ちゃんにかまってあげられないことだってありますし、時には意図せず厳しく当たってしまうことだってあります。
そんな親の心理を理解できるほど成熟していれば(=下の子とかなり歳が離れていれば)問題はないのでしょうが、多くの場合、下の子との年の差は1~3歳程度でしょうから、長子がそんな親の心理を理解することは99%難しいです。
逆に、下の子が生まれる前までは両親は調子にベッタリ付きっきりだったわけですから、「弟や妹のせいでお母さん、お父さんが奪われた」「下の子のせいでかまってもらえなくなった」と、言語化できずとも無意識的に感じてしまうに違いありません。
そんな風に、「お父さん、お母さんを奪われた」と感じた長子は何としてでも両親の注目を自分に取り返そうとします。
それまではしなかった奇行に走ることもありますし、暴力的な言葉や態度をとるようになったりもしますし、悪さをして注目を集めようとすることもありますが、
やっぱり代表的なのは「良い子になることによって」「ちゃんとすることによって」注目を取り戻そうとするケースですよね。
上の子が良い子にしてくれれば、ちゃんとしてくれてれば、大人しくしてくれていれば、両親は大助かりですし、やたらと手間のかかる下の子の面倒に集中することができます。年齢によっては上の子に下の子の面倒を見てもらうことだってできます。
親からしてみれば、長男長女にはそんな「良い子」でいることを望みますし、上の子が良い子であれば「偉いね」「よくできたね」と褒めて認めようとしますし、上の子は親からそんなフィードバックをもらえることでますます「良い子度合い」を高めていくんですね。
もちろん、頑張り屋さんだったり、すごくちゃんとしていたり、幼少時代から礼儀正しかったりするのは大変素晴らしいことではあるのですが、それが過剰だったり、「ありのままの自分」を抑え込んだ結果だったりすると、大人になって以後の「過自立」に繋がっていきます。
「頑張れば愛される」「良い子でいれば褒められる」「ちゃんとしてれば認められる」というのは、
「頑張れなければ愛されない」「良い子じゃなきゃ褒められない」「ちゃんとしてなきゃ認められない」ということと表裏一体です。
「自立系」な人たちは、そのようにして少しずつ「良い子の仮面」「自立の鎧」を形作っていくことがあるのですね。
さらに言うならば、長子だけでなく、ひとりっ子や末っ子でも自立系女子・自立系男子へと成長していく例もかなりあります。
ひとりっ子の場合は両親の愛を一手に引き受けるわけで、長男長女が感じるようなコンプレックスとは一見無縁そうですが、そのぶん「両親からの期待が強くて重い」とも言えます。
2人、3人ときょうだいがいる家庭であれば「あの子は勉強が得意で、あの子は運動が好きで、あの子は感性が豊かで…」という風にそれぞれの子の個性を両親が受け止めやすい傾向があるのですが、ひとりっ子の場合、両親が描く「子の理想像」次第では、子があらゆるものを背負わされてしまう可能性があります。
ざっくり言ってしまえば、親の性格次第では、たったひとりの大切な子に「勉強もできて欲しいし、運動もできて欲しいし、芸術感性もあって欲しいし、対人コミュニケーション能力もあって欲しいし、、、」という風に、両親が理想の全てを押し付けてしまうという事態になってしまいかねないのですね。
そうなれば、子は親を愛していますし全力で親の期待に答えようとしますから、「何もかもできなきゃいけない」「完璧じゃなきゃいけない」「オール・ラウンダーでなきゃいけない」みたいな感じで自立化が進んでいきます。
弟、妹、末っ子もまた、別の角度から「自立化」していくことがあります。
一例としては、お兄ちゃんお姉ちゃんが優秀すぎるせいで自己否定するようになったパターンなどですね。
弟妹は生まれた時からお兄ちゃんお姉ちゃんがいるという環境ですので、長子やひとりっ子と異なり「両親の愛を一手に引き受ける」という経験がありません。
よって、環境によっては常に長男長女と比較され続けるということになります。
親が兄弟姉妹を比較せず伸び伸び育てているパターンであっても、学校に入学すれば話は別になってきて、お兄ちゃんお姉ちゃんが目立つタイプの人であれば「○○くんの弟」「○○ちゃんの妹」というレッテルをいつも背負うことになるでしょう。
そうなれば自然、兄姉に対するコンプレックスは強くなり、「お兄ちゃんに勝たなければいけない」「お姉ちゃんより評価されなければいけない」という思い込みも強くなります。
そのような流れで、末っ子にだって自立化の可能性は大いにあります。
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「思春期の環境と自立」「きょうだい関係を中心とする家庭環境と自立」についてここまで見てきました。
ここからはもっと具体的にメンバーからの相談に回答しつつ、
「自立系」となることでどんな生きにくさを抱えるようになるのか、「自立系」となることでどんな苦しさがあるのか、「自立系」となることでどれだけ深い傷を抱えるようになるのかということについて、
主にパートナーシップの観点から書いていきます。
その上で、生きにくさやパートナーシップの問題を乗り越えて幸せになっていくための考え方を詳しく解説していきましょう…
精神的に「自立マインド」を持つことで、さまざまな良いことや恩恵があるのは言うまでもありません。
例えば今回の相談者さんのように学業で優れた結果を残したり、出世に出世を重ねて盤石の地位を得たり、独立起業して大成功したりなどだってあり得るでしょう。ハイスぺ女子、ハイスぺ男子には自立系な人がとても多いです。
でも、それが行き過ぎてバランスを崩してしまうと「自立系女子」「自立系男子」の特有の悩みを抱えるようになります。
今回の相談者さんは珍しく男性ですが、パートナーシップに悩む自立系女子にもめちゃくちゃ参考になる内容だと思いますので是非以下も読み進めてみてください。
3.自立しすぎている人が悩むパートナーシップ
【ご相談ここから】
送信者:stさん
はじめまして。RKサロンプレミアムメンバーに入らせていただいていますstと申します。40代男性です。
いきなりですが、私はこれまでずっと働き詰めでした。
3人兄弟の長男ということもあり、Ryuta先生の記事によく出てくる「自立系女子」の男性版といった感じだと思います。
母親は自分で言うのも変ですが私を溺愛していて、私の将来を一番に考えてくれるようなタイプでした。
愛してくれた反面で勉強面はとても厳しく、都内一流校に中学受験させるためにと、私を名門の塾に早いうちから通わせていました。
私には弟と妹がいるのですが、私はわんぱく坊主で、真面目だった弟より勉強ができなかったため「○○(弟)と比べてお前は遥かにできが悪い」「○○が長男だったほうが私は気が楽だった」「○○に家をついで欲しい」という言葉を何度も浴びせられました。
当時の私はそれについて「母なりの叱咤激励なんだ」「親が厳しく言うのは普通のことでありがたいこと」と考えていましたが、今振り返って考えればそのあたりから私は深く傷ついていたのだとRyuta先生の記事を読み把握しました。
父親は穏やかなタイプで、放任まではいかず、そして干渉もしすぎず、バランスの良い考え方をする人間だったと思っております。
父も決して完璧な人間ではありませんでしたが、時には私を励まし、時には私に厳しく接してくれました。よって私の傷の大部分は母親からきているのだろうなと思っております。
中学受験に成功し、中高6年間は遊んですごし、自慢のような言い方になることをお許しいただきたいのですがそれほど苦労せず、客観的に見てレベルの高い大学~外資系の大企業に就職し、今では戦略コンサルタントとして独立しています。
以上が私の経歴です。
パートナーシップや婚活について悩み始めたのはここ最近のことです。
Ryuta先生がよくおっしゃる例に漏れず、私も「プライドが高く自己肯定感が低い」というタイプで、婚活をしていてもあまり自分の本心を相手に打ち明けられず、心のどこかで、相手をビジュアルや振る舞いや育ちや性格など、色々な面でジャッジしているような自分がいます。
「打ち明けたところで、どうせ分かってもらえない」という感情もあるような気がします。
婚活では、正直なことを言えばモテると思います。お相手から交際を提案されることもありましたし、下世話な話スペック面は低くないと自負しているからです。
でも、「私はここまで孤独に走り抜けて来たんだ」「ポッと出のあなたに何が分かるんだ」「なぜ私の所得や資産をあなたと共有しなければならないんだ」というような醜い感情もでてきて、もうひとつ真剣交際に踏み切ることができません。
きっと、怖れているのだと思います。
一方で、もう40代のため、Ryuta先生がおっしゃるような「最高の人生のパートナー」が欲しいという思いも強く出てきました。
そんな、どっちつかずな、自分の愚かで脆い心にRyuta先生の各記事が日々突き刺さっております。
私が取るべき選択は「パートナーシップにコミットすること」「もっと自分を解放すること」だということは色々な記事を拝読し、自分のなかで咀嚼できております。
でも、どうやったらその境地に達することができるのかをもっと深く知りたく思います。
お知恵を貸していただけましたら幸いです。
【ご相談ここまで】
stさん、ご送信ありがとうございます!
うーん、経歴からして冒頭から解説してきたような人物像そのままのような方ですね。
「溺愛母×穏やか父」に育てられたということで、おっしゃる通りお母さんの影響はとても大きいのだと思います。
「溺愛してくれるお母さん」は子どものことを自分のことよりも何よりも最優先で考えますし、例えどんな犠牲を払ってでも子どもを幸せにしたいと考えるものですが、
物事の良い面には必ず「反面」がありまして、この場合の反面はお母さんの「過干渉な性格」「過保護な性格」ということになってくるでしょう。
「どうしても子どもを幸せにしたい」「何としてでも子どもを成功させたい」「誰よりも優れた長男になって欲しい」という子への強い思いは時に執着となり、時に子の大きなプレッシャーになります。
stさんも「母からの大きな愛」を受け止めつつ、社会的に素晴らしい成功をおさめられたのだと思いますが、
一方で「ありのままの自分を愛せない」「いつも鎧を被ってしまってる」という自立系チックな状態にあるようですね。
ーー父親は穏やかなタイプで、放任まではいかず、そして干渉もしすぎず、バランスの良い考え方をする人間だったと思っております。ーー
また、stさんほど聡い方がこのような評価を下しているお父さんにつきましては、本当に素晴らしい男性だったのでしょうし、素晴らしい父だったのでしょうし、素晴らしい人だったんだろうなと思います。
お母さんの「溺愛」「過保護」「過干渉」を、お父さんが上手く中和してくれるような、バランスのとれた理想の夫婦関係、そして理想の親子関係だったのでしょう。
一方で、これまた反面もありまして、「人格者であるお父さん」のもとに育った長男は、父への憧れを持つ一方で、「完璧な父」へのコンプレックスを持つ可能性もあります。
有能であり人格者でもある父親の姿を自分に投影し、「自分はこのままではダメだ」「自分は男として劣っている」という劣等感を感じてしまうことも。
無意識的にいつもお父さんの影を追い、無意識的に自分と父親を比較し、無意識的に自分を責めるようになっていないかについては是非、今一度振り返ってみて、注目する必要があるでしょう。
自覚できてない箇所にこそ傷はあるものでして、あるいは、stさんにとっての「ラスボス」はお父さんであるかもしれないということもチラリと意識しておくのが良いかもですね。
ーーパートナーシップや婚活について悩み始めたのはここ最近のことです。ーー
さて、特にパートナーシップ、婚活に悩まれているとのことで、ここからはその部分中心に切り込んでいきたいと思います。
ーー私も「プライドが高く自己肯定感が低い」というタイプで、婚活をしていてもあまり自分の本心を相手に打ち明けられず、心のどこかで、相手をビジュアルや振る舞いや育ちや性格など、色々な面でジャッジしているような自分がいます。ーー
ーー「打ち明けたところで、どうせ分かってもらえない」という感情もあるような気がします。ーー
「プライドが高く自己肯定感が低い」ということにつきましては過去こんな記事も書いたことがあります。
stさんもRKメンバーのみんなも、まだ読んでなければ是非読んでみて欲しいのですが、「自立系女子」「自己肯定感の低さ」「プライドの高さ」を中心テーマに、それらの関わり合いについて詳しく解説しています。
自己肯定感の低さとプライドの高さについては、この記事の序文の解説が我ながらすっごく的を射ているので引用させてください。
【記事の引用ここから】
「自己肯定感の低さ」と「プライドの高さ」は、実は表裏一体の考え方です。
自己肯定感とは、「自分らしさを認めること」「どんな自分もありのまま許可していくこと」「自分を愛すること」「自分軸」を指します。
一方プライドの高さとは、「競争心」「承認欲求」「他者比較」「他人軸」を指します。
これだけでも、自己肯定感が低いということはプライドが高いということであり、プライドが高いということは自己肯定感が低いということがお分かりいただけるのではないでしょうか。
言うまでもなく、「自己肯定感が低くプライドが高い状態」はすごく生きにくいですし、人との比較に苦しめられますし、メンタルしんどい状態が日々続いていくことになります。
周りが敵だらけに見えてしまうことや、誰もそんな風に思ってないのに「自分が責められてる」と感じる機会も多いでしょう。
【引用ここまで】
stさんは「無意識に相手をジャッジしてしまう」「相手に深い部分を打ち明けられない」「打ち明けてもどうせ分かってもらえない」という風に素直な想いを書いてくれましたが(こういうことを相談するのは実はとても大変なことです)、
それはかなーり深めの解釈をすると「ありのままの自分を許せていない」という自己肯定感の低さから来ていると言うことができます。
(めちゃくちゃ厳しくてスミマセン、心に余裕がある時に読み進めてください)
まず、「無意識に相手をジャッジしてしまう」ということについてですが、これは言い換えれば「stさんが無意識にいつも自分自身をジャッジしている」ということに他なりません。
どういうことか詳しく解説しますね。
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