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虚構 その9

「長瀬さん、今日は早番だよね?」

「そうですよ!」

「僕も今日は早めに切り上げられそうなんだけれど…良かったらこの後…呑みに行かない?」

今日はめずらしく福山さんから"呑み"に誘われた。

"いいですよっ!"と、ふたつ返事をしてからカードキーを裏口のリーダーにかざし友ヶ丘駅の方へと並んで歩く。

今日一日の仕事を終えた人や買い物客たちで賑わうロータリーあたりを歩きながら、誰であるかは伏せて、この前"珈論琲亞"でふと考えていたアイミーの事についてすこし話していた。

「そういう子がいるんだね」

「で、どういう風にアドバイスしてあげたらいいか悩んじゃって。」

福山さんは、すこし間をおいてから

「そういえば、お店スナックでも良いかな?」

「はいっ。良いですよ!」

友ヶ丘駅の改札を抜け、西京線に乗って2駅先の烏橋駅に降り立った。
駅前の東口のすぐ横にある踏切を渡ると"烏橋横丁"と掲げられた先に赤い提灯を下げた居酒屋やピカピカと明滅のする立て看板を店先に置いている"呑み屋"で形づくられた街が眼前に広がっていた。


路地をすこし入ると
道端に置かれた紫色の照明看板にデカデカと


「オカマがマスターの店」


と白抜きで書かれているスナックの前に着いた。
…すごいインパクトのあるお店の名前だな…


福山さんは、"営業中"という札の掛けられた木製の扉を開ける。

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「いらっしゃい。あら、今日はお連れの方がいるのね。こんばんは」

「こんばんは」

そう挨拶をすると、50代くらいで化粧は殆どしていないけれど短か目に切った髪を青?水色?橙色?…光のあたり加減で七色のようにもみえる色に染めている何となくクールで綺麗な"ママ"がカウンターから挨拶をしてくれた。

「この人、同じ職場の後輩で長瀬さんという方なんです。」

福山さんは、わたしを"ママ"に紹介しながらラミネートが施されたメニュー表を開いて、わたしに何にするのか聞いてから注文した。

しばらくすると"ママ"が、福山さんとわたしの前にあるコースターにグラスを置いてくれて、すこし口を付けてから、福山さんと"さっきの話"を続けた。

わたしは、福山さんが一瞬席を立ってお手洗いに行った時、ふと"ママ"に気になっていたことを聞いてみた。

「ママさん、何年くらいこのお店されているんですか?」

「そうねぇー、かれこれ30年近くかしら?」

「"平成"丸々くらいですね!長くお店されているんですね〜!」

「そりゃ、もうアタシだって綺麗に装おうが歳は"トシ"よ」

綺麗な目尻を細くさせてそう言いながら"ママ"は静かに笑っていた。

…"わたしも"お酒を呑んでいよういまいが、肝心なことを話したい時には、いつもすこし"まわり道"してしまう…

「そういえば、お店の名前、とてもインパクトありますね!」

「いいでしょ!!これはねぇ、実はね」



実は、アタシがこの店を開いてからすぐに常連になってくれた方がいて
…出禁にしてやろうかと思うくらいアタシや他のお客さんに悪態をつく時も、ある人だったけれど…
ある日その人はグラスに口もつけず唐突に

「及ちゃん、あんたはオカマだろうと何だろうが、"何"て周りから言われようが関係なく素敵だよ! ずぅーと、長くこの店続けてくれよな」

そういう意味の言葉をアタシに放ってきた。

開店した当時は、まだまだLGBTQという言葉すらも世に現れてなく、ニューハーフやオネエであったり、オカマっという形容が浸透していた。

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「でね、アタシは、何か、この人は"アタシ"を肯定してくれているな、と思ってね」

「目の前に存在するヒト、として?」

「そうよ、その通り。その人はアタシにも悪態つくし言い合いになりそうだったこともあったけれど、何らかの形容という"メガネ"を瞳に掛けずに、その人は、アタシを受け止めてくれている気がしたの。存在するありのままで受け入れてくれるというか、ね!」
「それでね、アタシ、途中でこの店を敢えて"オカマが"って名前付け直したの」

「由来教えていただいて嬉しいです!何だか、ほんとに素敵なエピソードですね」

短か目に切った髪を右手で左側にかき分けながら、優しい瞳でわたしを見つめていた。

「だからね、長瀬ちゃん。まずは、その子のこと、ありのままを受け入れることね」

常連さんから"及ちゃん"と呼ばれているママは、そう言いながらわたしにカウンター越しにある冊子を差し出してきてくれた。

"NPO法人 ほしかわ虹色の街"

主に、星川市内で性自認に関連した勉強会や10代向けのカウンセリング活動などをする団体が発行している冊子だった。

「これ良かったら"長瀬ちゃん"にあげる。
その子の一年一年に向き合うのとともに、勉強会に行ってみたりして色々考えてみるのも良いかもね!」

ママさんは、そういいながら他の常連さんから「及ちゃん、ジンのソーダ。」
と、注文を受けてカウンターの奥の方へ戻って行った。

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長瀬さんと僕は、及川さんの店から烏橋駅へと並んで歩いている。

「福山さん、今日もとても楽しかったです!」

「いいえ、こちらこそ突然誘ったのにありがとう」

「"及ちゃん"、素敵な人ですね」

「及川さん、本当にいい人だよねぇ〜」

長瀬さんも及川さんの事を好いていて嬉しくなった。

「福山さんお手洗い行ってる間に、及ちゃんさんからあの子の事、まずはありのままを受け入れることねって言ってもらって、すこし肩の力が解されました」

「そうなんだ。あの人らしい素敵なアドバイスだね〜。及川さんと長瀬さんふたりで話せていたみたいで良かったよ」

長瀬さんは、優しく目を細め微笑みながら頷いていた。

すこしして烏橋駅に着き、改札で長瀬さんを見送った。

岩倉行きの電車に乗り込むと対面の座席に母親と4歳くらいの男の子が座っている。
"どんぐりころころ"をふたり一緒に口ずさみながら、誰かからもらったのか、それとも自分で公園か何処かで拾ったであろう小さなどんぐりを、その子は握ったり大切そうに眺めたりしていた。

次の駅を出発した時の起動加速度が大きくて、男の子は膝に置いてた小さなリュックを床に落としてしまった。
それと同時に男の子は反射的に右手に握っていたどんぐりを手からこぼしてしまった。

「あ、どんぐりどっか行っちゃったぁ」

僕は、咄嗟によろめきながら立ち上がって慣性の法則に従って進行方向とは逆に向かってころころと転がるどんぐりを追いかける。

何人かの乗客の脚と脚の間を超えて誰も座っていない座席の端あたりまで転がっていってるそれを受け止めた。

その男の子と同じ様に帽子を被ってツヤツヤとした表面の輝く、小さくて可愛らしい薄茶色をしたどんぐりだ。

恐らく赤ら顔になっている僕は少しはにかみながらキャッチしたどんぐりをその子の小さな右手に手渡すと、ほんの一瞬だけ不思議そうに僕を見つめていた。

母親から
「ヨウちゃん、お兄さんにありがとうございますは?」
と促されると、その子は人見知りをする目線になって押し黙りながら、まだ小さな手脚を使ってちょこんと座席に座り直した。
母親は、僕に小さく会釈しながら"ありがとうございます。"と言っていた。


最寄駅を降りて目線を上へ向けると、通りに佇む街灯たちがまるで月に向かってフリースローを投げ続けているように映る。

「…ありのままを受け入れることね…」

「…わたしがすぐに応えてあげられなかっただけなのに、相手が受験生であることに甘えて、というか言い訳に利用してしまって…」

「…本資料で表現した"対応困難児"のデータは"仮名"で作成して記録し、万一何らかの問題等が発生した場合は…」

「…水平線の遥か彼方へ太陽が沈むときに放つ、淡くて柔らかい光に包まれた一本の木が、静かに真ん中で佇んでいる風景…」

「…精神的疾患を抱えてる青少年を、我々素人である館員たちが判断するのは危険だと…」

…何が対応困難児だ…何が判断するのは危険なんだ…その子のこと、ありのままを受け入れて…一本の木が、静かに真ん中で…

僕は混濁した思考の中から、以前長瀬さんが話してくれたヤング・コーナーに来る男の子が画集を広げて見せてくれたという"太陽がゆっくり沈む時に放つ、淡くて柔らかい光に包まれた一本の木"が、何故か立ち昇ってきた。

そうか、
あの印象派の画家展で一際目を惹いた
"夕暮れにひとりで静かに佇む広葉樹"
が描かれた作品は…
存在するということは絶対的な孤独であるという事と同時に、それを見つめている誰かが同じように存在しているという事…
そして、ある生命体が"ここに"存在しているということを"絵画"として描くことによって証明して、その画家も描くことによって観た者とは直接言葉を交わせないが、"会話"のはじまりになる言葉を僕たちに投げかけていたのか。

あの絵を描いた画家は何という名前だったんだろうか?

既に"宿酔"のような僕はひとりで家までの道を歩いた。

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つづくぅ〜?



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