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虚構 その3

配達先のインターホンを押すと微細なノイズとともに、受取人であるその相手がどういう容貌であるか私には何も分からないまま「あ、玄関先に置いといて下さい」とだけ告げられ、ガチャンと通話を断ち切る音がエントランスに響いた。
午前中だけで既に10件以上は同じような感じだがさすがにもう慣れてきた。世界中で起こった感染症の流行以降主流になった配送物の受け取り方だ。

…アレントは、70年近くも前に自身が打ち立てたその著書を通じて「自らも」現れて"公的領域に現れる"というその意義を政治概念を持って語りはじめたが、今の私はまさに孤立という状態を抱えたまま一度たりとも公的領域に現れることすら許されていないという感覚が、借り物の言葉を伴って意識の内側で拡大してゆく。…

私は東日本のある地方で看護師をしている母親の下に生まれた。かなり後になって聞いた話では、父親は僕の妊娠を知った時期に突然蒸発してしまったらしい。

一番古い記憶は3歳になったあたりではじめて向かう保育所の門扉をくぐると二度と母親には会えないという感覚が洪水のように襲ってきて泣き叫んだ時で、笑顔で手を振る母親の顔と当時はまだ珍しかったであろう若い男の保育士のごつごつした腕と手が僕の肩のあたりに触れていて、母の微笑んだような顔を涙の奥で眺めながら殆どはじめて大人の男の体温を静かに感じ取っていたという情景だ。

小中を地域の公立学校で過ごし高校も県立に進んだ。学校の勉強はそこまで出来の良い方ではなく、何度か赤点ギリギリの答案用紙とともに母親への気まずい気持ちを抱えて帰ることもあった。
高校での部活動はハンドボール部に入った。部活動に明け暮れる中で周りの友人たちやクラスメートが少しずつ将来に向けて進学であったり就職することを具体的に選んでいたが、私は特に何の夢も将来も頭に描けないまま過ごしていた。
何となくこの地元の閉鎖的な環境が嫌だという感覚だけはあったので、高校3年の最後の三者面談の前々日に、はじめて母親に都会に出たいという事と目星を付けたある中堅の運送会社へ就職するため、調査票の準備とともに進路指導の松崎にその会社を紹介してもらうように相談していたことを伝えた。

反対されるかと思ったが、意外とあっさり私の決めたことについて認めてくれた。何となく瞳の奥に寂しさを湛えてはいたが。

もう20年以上も前のことである。

ひたすら労働を続けながらも休日前の終業後には居酒屋やたまにスナックへ行ったり友人の紹介で付き合った人もいたが、"ひとり"だった。
毎日、誰かと誰かが送り合う物の移動の道具として私は働き続けた。

ここまで一瞬であった。

いつ頃か漠然とした寂しさを感じるようになり、あまりお金の掛からない趣味を持とうと色々と模索するなか、いつのまにか休日になると最寄りのターミナル駅前にある大型書店や古書店の集まる街へ出掛けてさまざまな本を買うようになった。

「南農運輸です。荷物をお届けに参りました。」

「あ、はい。はい、そうでしたか。では、午前の配達の最後にもう一度お伺いします。」

「今村くん、お歳暮のノルマ目標より低いじゃないか。」

「はい、申し訳ありません。」

「大変なのはわかるけれど、もうちょっと努力してもらわないと困るよ。」

「目標達成に向けて頑張ります。」

細かな表現は違えど、振り返ると生身の人と交わす言葉は長い間殆ど同じであった。

近くで駐車場のあるコンビニに寄って弁当を買った。食べ終わって少しの間だけ目を瞑って休み、午前の残りの配送物を捌くため駅前の百貨店へ向かう。
荷捌き場を出て、荷台の一番奥側に残している午後の個人宅向けのものを捌いてゆく。

大通りから少し入り組んだ道を左折して3階建てのアパート付近に車を停めた。階段を上がりのインターホンを鳴らす。

「南農運輸です。お荷物を届けに参りました。」

「はーい。」

扉を開けて出てきたのは30くらいだろうか?何かの映画ポスターがプリントされたTシャツを纏いながら疲れを少し涙袋に溜めている様に見えるその子は

「配達お疲れ様です。ありがとうございます!」

と、その疲れを隠すように張りのある声で手短に返した。

ミシン目の付いた箱を手渡す時、あまり室内を見るのは良くないと思いつつも、ふと、鍵の並んだ右壁に貼りついている靴箱の上に「私たちがたがいをなにも知らなかった時」という本が置かれているのが目に入った。ドイツ語的な響きをもつペーター・ハントケという名の印字されたその本に何となく惹かれた。

「こちらこそありがとうございます。では、失礼します。」

このアパートの他の階で不在だった一件を端末で不在票の印字処理をし終えて、私はさっきチラッと目にしてしまった本のタイトルを思い出し自分の携帯を開いて「ハントケ 私たちが互いに」とだけメモに打ち込んだ。

どこかの本屋に置いてあるだろうか?次の休みはこの本を探しに行こうか。

そうなんとなく考えながら、少なくなってきた残りの配送物を届けるため私は暮れかかり街灯が点きはじめた大通りへと車のハンドルを右に回していった。

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つづくぅ? ちょっと短いね。

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