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虚構 その8
わたしは、早番を終えて駅前の商店街をあるいた。
商店街と大通りの交差点を右に曲がると、真鍮の把手に手をかけて木製のガラス扉を押していた。
アイロンの掛けられたパリッとした白いシャツと黒いエプロンに身を包んだマスターは今日も水出しのドリッパーから、ゆっくりと視線をこちらに向けて
「いらっしゃい」
「こんばんは。」
「お決まりになったら、お声掛けてください」
とだけ言葉をわたしに言って、常連のお客さんの注文したコーヒーを血管が浮き出て皺の深く刻まれた手で運んでいった。
この前、福山さんに連れて来てもらってから、もう3回は"ここに"来ている。
彼と話していたことを心の中で展開しながら、わたしは今日一日を振り返っていた。
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長机の上には、館長決裁の済んだ起案書から抜粋された資料が各出席者の前に配布されている。
僕は、それに目を落としつつ発言するひとりひとりの言葉に耳を傾けている。
「正直に申し上げますと、我々カウンター業務に携わる側としては、すべての青少年と公平にコミュニケーションを図ることはかなり困難だというのが現場の声です。」
ウッド・ブラインドの隙間から西日が木洩れ日のようこの会議室の長机に降り注いでいる。
「やはり何らかの問題であったり精神的疾患を抱えてる可能性のある青少年を、我々素人である館員たちが判断するのは危険であり、それに困難だと思われます。まずは判断基準を精査したいです。」
「私も、当館にカウンセリング・ルームを設置することは、予算の兼ね合いの面からも難しいと考えられます。」
五十嵐主事をはじめ現場で対応する数人の館員たちの発言が済むと中岡主査が話しを続ける。
「五十嵐主事は、カウンターに長時間滞在する"対応困難児"に対して時間を計測し、一律に設定した時間を超えた場合には座席に戻るなどカウンターから離れるように誘導するという代替案を提示されていましたが、具体的な対応方法をどう考えているでしょうか?」
五十嵐主事は、あらためて手元の資料をもとに現場から案出されたいくつかの対応方法について細かな説明をした。
今度は、枚岡館長が険しい瞳を細縁の眼鏡の中で光らせながら五十嵐主事に問いかける。
「仮にだ、そのような青少年の資料を作成し管理するとしても、個人情報保護の観点から慎重に取り扱うことが最も優先されるべきだと考えるが、その対策はどうかね?」
「私は本資料において表現した"対応困難児"のデータを、あくまで"仮名"で作成して記録し、万一何らかの問題等が発生した場合はその記録データとともに別の公的機関と連携を図る業務フローを作り上げることが、館員の負担軽減につながるかと存じます。」
その後も「対応困難児」への対応方法についての検討が続いたが、今日一日でまとまるはずもなく、会議を終えてブラインドを上げると窓外に並ぶプラナタスたちがすっかり日の落ちた舗道の中で沈黙したように佇んでいた。
これは、どういうことだろうか。
対応困難児…とても聞き入れられない表現だ。
館員の業務負担の軽減や他の青少年の利用者との公平性を考えると確かに今日検討を重ねた解決案は手取り早い方法だとは思う。
ただ、面倒ごとはどこかの誰かに押し付けたいという暗黙の空気が会議室に広がっていたのも事実であった。
頭の片隅では、甘い考えであることも理解しようと努めていたが、
…やはり最大限大人という立場から権威的な形をとって子どもたちに大人の都合で作り上げた秩序を押し付けてしまうことになるのではないか?…
という問いが意識の中でぐるぐると渦を巻いている。
あまりにも出口の見えない難しい問いを抱えながら、僕はデスクの上で山積みなっている別の起案書を広げ読み込みはじめた。
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わたしが退勤するとき例の会議を終えた福山さんは、何となく一重瞼に憂鬱な重さを載せた顔つきでバックヤードのデスクに座っていた。
「おつかれさまです。またお茶でもしましょうね」
「ありがとう。また連絡するよ」
すこし挨拶は交わしたけれど、思案げな表情からも気落ちしている雰囲気は伝わった。
福山さんは、そうわたしに返すとふたたび若草色の稟議書を開いていた。
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わたしはヤング・コーナーのカウンターに座った。
壁掛け時計の分針は午後5時半を指している。
「"ガーセ"、ちょっと聞いてよ!」
「どうしたの?」
アイミーは、「ちょっと」と、耳を貸してという仕草を手で作って、わたしの左耳に囁くように言葉を継いだ。
「最近さぁ、めーちゃ気になる人できた!」
「へぇー、いいじゃん!どんな子なの?」
「ほら来てるじゃん!受験勉強しに、スラっとしてていい感じのあの子!最近ね、たまに話すようになってさぁ…何か余計に好きになりそうで」
"アイミー"はあだ名で本名は愛美という名の17歳の高校生で、女の子の身体の構造を持った子だ。
ちなみにアイミーだけは、わたしのことを
ナ・ガ・セのナを取って"ガーセ"と呼んでくれている。
…今、この回想シーンを描写するため後日アイミーに許可をもらって、わたしにだけ"教えてくれていた事"を、みなさんに伝えましたけれど、絶対に他の知らない誰かには言いわないでくださいねっ!!…
かっこいいと言っている"その子"は、アイミーと身体の構造が同じ一つ上の受験生の子だ。
わたしはその子とはほとんどコミュニケーションをとってないが。
「なるほどねぇ〜、アイミー最近よく話してるなぁと思ったけれど、そうだったんだねー」
「そうなの!けどさぁ、大丈夫かな?とか、どう伝えようかなぁとか、
色々考えちゃって…」
「大丈夫かな?もなにも、あの子、今受験生じゃない笑 アイミーの想いを伝えるにしても、あの子の受験が無事に終わるまで、ゆっくり考えた方がいいんじゃないの?」
アイミーは、すこし不満そうに眉を端を下げたけれど、すぐに笑って
「たしかにー笑 なんなら自分も来年受験があるのわっすれてた〜笑」
いつも明るく笑うアイミーに癒されつつも
わたしは、実際相手の子が受験生ということを除外すると、アイミーがどう想いを伝えるのがベストなのかアドバイスできずにいたことも確かだった。
…まるで相手が受験生である事を理由に、時間稼ぎをさせているようで、しかも少しホッとしてしまった自分がいた事も含め深い罪悪感がわたしの心の内側で芽生えた。…
ふと我に返ったら、後ろでトランプカードを貸してもらおうと小学生の子たちが待っていた。
「ほら、アイミー、また今度相談にノるから、そろそろそこ退いてあげてね!後ろで小学生の子たちが待ってるでしょ〜?」
「あ、わりぃーわりぃー、じゃあまた来るねぇ〜」
手を振りながら、颯爽と帰っていった。
壁掛け時計の分針は午後6時20分を指していた。
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僕は、あらかた今月の事業報告書の整理と来月の生涯学習課との打ち合わせ資料作成用のデータを集め終えた。
デスクのデジタル時計は22:41を表示していた。
退勤後に駅の改札を抜けると、今日はなんだか呑みたくなってきて呑み屋の多いふたつ先の烏橋駅に降り立った。
駅前の踏切を東口の方へ渡ると、赤提灯やピカピカと明滅のする看板が立ち並んだ呑み屋街に辿り着く。
すこし入った路地の先にある紫色の看板に
デカデカ
「オカマがマスターの店」
と白抜きされたスナックに入った。
「あらヤダァー、ヨシちゃんじゃないの。
久しぶりねぇ」
「及川さん、お久しぶりです。」
暗く落ち着いた店内に入ると、カウンターにいるここのマスターの及川さんに挨拶した。
及川さんは、今年50歳くらいだろうか?
いまだに年齢不詳であるが、今日も看板と同じような紫色でスリットのあるドレスを纏っている。短か目に切った髪を、スカイブルーに染めているのがクールだ。
友ヶ丘に赴任した際に市役所のある方に最初連れてこられたお店で、以来、時折呑みにゆく大切なお場所になった。
「何ぁによ、ヨシちゃん、そんな深刻そうな顔してぇ。失恋でもしちゃたの?」
「いやいや、及川さん、失恋じゃないよ
いや、むしろそういう話に関しては、はじまりそうなんだ」
すこし笑いながら左側に流したブルーのその前髪越しに、鋭くていて優しい瞳が僕をみた。
「あら、それはいいお酒呑めそうね。なに呑むの?」
ひとまずハイボールを頼んだ。
「ところで、ヨシちゃん、なんか悩み聞いて欲しそうだけど、どうした?」
少しずつカラダ全体に酔いの回るのが、時間差を持って身体で実感し僕は口数が増えてゆく。
「うちの青少年が集まるコーナーで問題がいくつかあるんですよ。」
そういうと、目を静かにこちらに向けて
「ふぅーん。で、例えばどんなの?」
と聞いてきた。
「例えば…たとえば」
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つづく
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