[小説] 君がいること

日曜の朝、姉貴に叩き起こされた。
「イヤリングがこわれちゃったの、なおらないかしら」
パワーストーンだかなんだが知らんが
ボンドではっつけてあるのが、とれただけだ。
「そんなの、自分でなんとかしろよ」
なんて言うと、余計にややこしくなって気分が悪くなるのでつけてやった。

姉貴は女子会とやらに、出かけていった。
女ってのは、わからねぇ生き物だ。女同士で出かけるのに、念入りにおめかしする。誰に見せるんだ?

日曜の朝9時
家に一人、取り残された俺は、これ幸いと親に使われるのだ。
「おばあちゃんが桃を送ってきたの。お隣に届けてきてちょうだい。」

隣の一家は先月、越してきた。
30代の夫婦と12歳、中学1年生の娘の3人家族。
どういうわけか、俺は毎朝、父親と同じバスになる。
なかなか爽やかな、おやじというには失礼な感じの人だ。
「お嬢さんがいる」という、かあさんからの情報に期待した俺だったが
この父親に、娘は12歳と聞いてから、興味がなくなった。
ガキじゃ、しょうがねぇじゃん。

隣の呼び鈴を鳴らした。
「柚木ですが」

「お待ちください」
と声がして、しばらく待っているとドアが開いた。

え・・・?

Tシャツにデニムのスカート
肩までのサラサラ髪
そして
見覚えのある顔だ。

「先日はありがとうございました」
少女は、ペコリと頭をさげた。

「いや、いや・・あれからは大丈夫?」
「塾、やめたんです。」

そうか、それがいい。
そこで、俺は彼女への非礼を思い出してしまった。

「あ・・ごめん。中学生だった?」
「いいの。よく間違えられるから。」
と、彼女は肩をすくめた。

その自然な様子に、俺は我に返った。
「祖母から桃が届いたので、おすそわけ。お母さんに渡してくれる?」

「ママは今、手が離せなくて、ごめんなさい。渡します。」

『先日』なんて大人びた言葉を使うしっかり者かと思ったら、『ママ』だもんな。やっぱり、中学生だな。

桃を受けとった白い手は、そのまま胴体につながっていて、肩のラインがやけに綺麗だ。デニムのスカートから地面に伸びた脚に、目が行った。
細すぎない滑らかな脚

見た目は、どう見ても10歳くらいだ。
中学生にしては、華奢で幼い。
だから、あのとき「中学受験?」なんて言ってしまったんだ。

しかし
この年でこの色気は、やばいな。
俺はロリータ趣味じゃないからいいが、変な輩は、世の中にうようよいるんだ。

なるほど。
数日前の出来事に、納得がいった。

明日、父親にそれとなく言ってみるか?
いや・・そんなこと言ったら、俺が変態みたいじゃないか。

健康な高校生男子としては、隣の住人に変態とは思われたくない。
そして
決して邪な気持ちからではないと、うまく説明する自信はない。まあ・・塾はやめたらしいから、とりあえず、いいか。

***

「若葉は、今日はおばあちゃんちか?」

ママが夜勤のときは、わたしは塾からおばあちゃんちに帰ることを、内藤先生は知っている。

「車で送ってやるから、待っていなさい。」

前にも言われたことあるけど、そういう特別扱いは、他の子たちにどう思われるかわからないしなぁ。

「いいです。そんなに遠くないですから。」

ほんとはちょっと嬉しかった。
面白くて優しい先生を、わたしは大好きだったから。
パパみたいっていうと、ちょっと失礼かな。先生の方が8つも若いし。

もう1回言ってくれたら、お願いしようかな。他の子たちが帰ったあとなら・・
ゆっくりと、帰る支度をしたけれど
「そうか、じゃあ、気をつけてな」
って言われることは、経験済みだ。

でも、その日は違った。
みんなが教室を出て、わたしが最後に出ようとしたとき
「若葉」と呼び止められた。

「戸締りするから5分待ってくれ。そしたら送るよ。」

やった!

「じゃあ、お願いします。」
その言葉は、先生には嬉しそうに響いたのだと思う。

だから・・・

だから?

玄関で靴を履いて立ち上がると、先生がすぐ後ろにいて、驚いた。

え?

動けなかった。
先生が背中に回した手に力が入ってたからじゃない。
唇が塞がれたからじゃない。
ただ、動けなかった。
見慣れたはずの景色が遠くに感じた。
世界が遠い・・リアルじゃない。

電話が鳴った。
その音で、リアルな世界に戻ってこられた。
息苦しい・・外へ出なければ・・・。

階段を駆け降りたところで、人にぶつかった。
転んだら、立ち上がれなくなった。

「待ちなさい!」
先生が階段を降りてきた。
サイアク・・

「なに、あんた? 妹になんか、用?」

え?
知らない声だ。

内藤先生の声がした。
「君、だれ? この子にお兄さんはいないよ。」

「言いがかりつけんじゃねぇよ!警察、呼ぼうか?」
知らない声は、続けて言った。
「若葉、ほら、立て。帰るぞ。」

顔をあげると
手を出して、笑いかけている人がいた。
反射的にその手をとると、すっと引き上げられて、わたしは、その人と並ぶ形になった。

「振り向かないで。そのまま歩いて。」
その人は、小声で言った。

道を曲がったところで、その人は立ち止まって、手を離した。

「大丈夫?」

手・・離さないで。
膝が崩れて・・抱きとめられた。

「ごめん。大丈夫なわけないか・・怖かったね。」

怖かった・・・
そっか、わたし、怖かったんだ。

どれくらいの時間、じっとしてたのかわからない。
我に返って、相手を見てみると
えーーー!お隣のお兄さんじゃん。
しがみついてた手を離した。

「あ・・・ごめんなさい。」
「いいよー。あいつ、誰?」
のんびりした口調にほっとした。

「塾の先生」
「塾かー。中学受験?えらいね。」

訂正はしなかった。
「えらいね」って言葉が、とても優しかったから。

そのまま、彼はおばあちゃんちまで送ってくれた。
話していてわかったのは、彼はわたしが隣の子だって気づいていないってこと。
それじゃあ、なぜ
若葉・・って、わたしの名前を知ってるんだろう?

***

え?なんで?
おい、なんでここにいるよ。

家のドアの前に、若葉がいた。

「どいてくんない?入れないんだけど・・」
しゃがんでいた若葉は、俺を見上げた。

「ママが・・夜勤なの。怖いの。」

ああ、そういうことね。
「入れよ」
俺は鍵をあけて、そう言った。

かあさんも姉貴も仕事
いつものように、俺しかいないのよ。
けど、しょうがないじゃんねぇ。
怖がってるガキを外に置いておけるわけない。

お?今日の晩飯はシチューか。
食をそそる匂いが、家中に立ち込めていた。
俺はシチューを温め、2人分準備した。

「食えよ」

どうするかなと思ったけど
彼女は素直に食べ始めた。

「ごちそうさまでした。ありがとうございました。」
そう言って立ち去ろうとしたけど、肩が震えてるんだぜ。
まったく!ガキが気ぃ遣うんじゃねぇよ。

「いろよ。家、ひとりじゃつまんねえだろ。」
「いいの?」
「いいよ」
俺もつまんねーしって言いかけてやめた。

「泣いていいよ。怖かったんだろ。」

わんわん泣き出した若葉が落ち着くまで、待った。
「ごべ・・・さい・・あ・・・まと。」
鼻づまりの声に笑えた。
「鼻つまってて、なに言ってるかわかんねーー」
2人で、腹かかえて笑った。

笑うとかわいいじゃん。
泣いててもかわいいけどさ。

「名前、なんていうの?」
これ、答えたくないんだよな。
「香澄・・柚木香澄」
次に来るであろう言葉を遮り、俺は急いで付け加えた。
「かっちゃんでいいよ。みんな、そう呼ぶ。」

彼女は小さな声で言った。
「わたしは、若葉でいい。みんな、そう呼ぶ。」
そして、さらに小さな声で言った。
「今日はありがとう・・かっちゃん」

「今日も、だろ」
と言って笑おうとしたが、すぐに失言だと気がついた。
口を開いてしまった以上、知らないふりは無責任ってもんだよな。

「あれから、どうしてた?お家の人に話したの?」
彼女は首を横に振った。
「塾をやめるって言っただけ」

そこは、小学校から通っていた個人塾で、中学にあがっても、そのまま続けていたのだと、彼女は言った。
親には、中学生向きじゃないと言ったそうだ。

「かっちゃん、お願い!パパに言わないで。」

パパに言うと、きっと大事になる。
どんな噂になるか、わからない。
友達にも知れ渡るかもしれない。

いったい、あいつに何をされたのかはわからない。
あのとき、少なくとも服装に乱れはなかった。
転んだときの擦り傷はあったが、他に怪我もしていなかった。
それでも
12歳の少女が、こんなに怯えるほどのことがあったことは確かで、目の前のこいつは、それを周りに知られたくないのだ。

「なにがあったの?」
喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
知られたくないと、必死で言っていることをわざわざ聞くほど、俺は野暮じゃない。

「わかったよ。安心しな。
若葉はなにしろ『妹』だからな。
ほら、立て。帰るぞ!・・あんのときのあいつの間抜け顔ったらよー。」

そう言うと、彼女は少し笑った。

俺の選択が正しいことなのかはわからない。
あいつは、これからも同じことをするかもしれない。
事を明らかにしたほうが、未然に防げることがあるかもしれないのだ。

けどさ
俺には、これからあいつが何をするかとか、社会のためとかそういうことよりも、目の前のガキを守ってやることのほうが100倍も値打ちのあることなんだ。

構うもんか!
目の前のガキ一人守れなくて、何が社会だってんだ!
俺は、俺が大事だと思うことをするさ。

***

ママが夜勤で、パパはたぶん帰宅は深夜。
塾のない日は、おばあちゃんちにも行かない。

いつものようにTVをつけた。
観たい番組があるわけじゃないけど、シンとしてるよりいいじゃんね。
お笑い芸人が、街頭インタビューをしてた。

「あなたのファーストキッスはいつですか?」

息苦しい・・外へ出なければ・・・。

気がついたら、シチューを食べていた。
ほんのり甘くて美味しい。

顔をあげると、お隣のお兄さんがシチューを食べてた。
「あちち・・」
かなりの猫舌みたい。
のんびり思って・・る・・・場合じゃないじゃん!

わたし、またお世話になってるよぉ!!

帰ろうとしたら
「いろよ」って言った。
「怖かったんだろ」って言った。

胸のところがきゅうってなって、喉の奥が詰まって、涙がぽろぽろ溢れた。
わんわん泣いた。
そして、その後、お腹抱えて笑った。

すごくかっこ悪かったけど、なんだかすっきりした。

お兄さんの名前は香澄という。
綺麗な名前

「かっちゃんでいいよ。みんな、そう呼ぶ」

あ・・いいな。かっちゃんの周りのみんなの仲間に入っちゃった。

かっちゃんは優しい。
こないだのことはパパに言わないと約束してくれた。
何があったか、聞かなかった。

「あ、そうだ。かばんにつけてたストラップ、はずしなよ。」
「え?」
「個人情報ぶらさげてんの、よくないからさ。WA・KA・BA。」

あ・・修学旅行で買ったストラップ
それで、名前がわかったんだ。

「捨てたの、かばんごと。塾の問題集もノートも・・・。」

そのとき着ていた服も、髪をまとめていたシュシュも、気持ち悪くて、みんな捨ててしまった。
けど、自分の身体は捨てられない。
毎日歯磨きしてたら、綺麗になっていくのかな。
今日は寒いな、もうすぐ6月なのに。

「似合ってなかったよ、あの服。」

え?

「センスねーなー、若葉は。」

えーー。なにぃーー?ちょっと、むかつくんだけどぉ!

かっちゃんはゲラゲラ笑ってる。
あれ?あったかくなった。

楽しい気持ちで家に帰った。

「かっちゃん・・・」
つぶやいてみると、ほっこりした。

かっちゃんが好き。

かっちゃんは優しくしてくれる。
わたしのこと、嫌いじゃないみたい。
でも、ほんとのこと、知らないから。

何があったか、聞かなかった。
知ったら、きっと嫌われる。

わたしは、先生を待ってたんだもん。
わたしが誘ったの、わたしが元々そういう子なの。
気持ち悪いのはわたし。
かばんや服を捨てたからって、わたしは変わらない。

誰も知らなくても、わたしが知っている。
悪いのはわたしなんだって。

***

日曜の午後は、大抵暇なので
「フォレスト」へ行く。
貴之の母親がやっている喫茶店だ。

「フォレスト」は、店の半分は雑貨屋になっている。
俺は、雑貨には興味はない。
雑貨が目的でやってくる女の子たちを眺めながら、貴之と一緒にコーヒーをすするのだ。

時々、おばさんの手伝いをする。
新しい品物が入ったときのディスプレイを手伝うと、コーヒー代はただになる。

「今日は、洋服が10点ほど入ったのよ。」

貴之がいなかったので、一人で店の奥に行って箱をあけると、天然素材だかのTシャツが入っていた。

その中の1枚が目にとまった。
若葉に似合うかもしれない。
あいつ、服も全部捨てたって言ったよな。

「かっちゃんなら、仕入れ値で譲ってあげるわよ。」

俺が断るまもなく、おばさんは包み始めた。
まあ、いいか。せっかく包んでくれたんだし。。

こんなもん買って、俺はどうする気なんだ?
っていう、あたりまえのことに気づいたのは、まぬけにも、家の前に着いたときだった。

案の定、昼休みに貴之がやってきた。
「おまえ、彼女できたんだって!なんで黙ってた?」
おばさんから聞いたんだろう。

「そんなんじゃねぇよ」
と、俺が言うと、貴之は黙ったが
(じゃあ、どんなんだよ)
と、目が訴えていた。

「帰りにウチへ寄れよ」

学校内というのは危険だ。女の話となると、地獄耳の奴らがわんさかいるのだ。

俺は思うんだが、広がっちゃまずい話ってのは口止めなんかする必要のない奴にしか、しちゃだめだよな。
貴之はそういう奴だ。

貴之は、黙って俺の話を聴いていた。

「おまえさ、若葉ちゃんに惚れてんじゃん」
「なわけねーだろ!相手は中1、ガキだぜ」

俺がそう言うと、貴之は鼻を鳴らした。ムカつく奴だ。

「中1がガキだって?おまえ、逃げんなよな。自分に正直になれよな。」

貴之の言うことは、時々わかんねぇ。
中1はガキだろう?ガキだから守られてあたりまえなんだ。
俺がいったい、何から逃げてるってんだ?

貴之は、ため息をついた。
「おまえが隣のガキに服買ってやるほど、親切だとは知らなかったな。」

ええっ、そこ?
俺だって、なんで買ったかわからないんだよな。

***

「ねえねえ、昨日の『森の記憶』観た?」

やっぱりだ。
毎週火曜の朝は、ユウリちゃんのドラマ『森の記憶』の話になる。
わたしの返事を待たずに、秋絵は続けた。

「よかったよねぇ・・」

その場にいる誰もが、キラキラしている。
みんな、ユウリちゃんに自分を重ねて、想像にため息をついてる。

「若葉、感動うすっ!」
少し不満げに、秋絵は言ったけど、すぐにニヤニヤ顔になった。
「おぬし、もしかして経験者か?」
「やだなぁ、んなわけないじゃん。」
わたしがそう答えると、麻由香がわたしの頭を撫でながら言った。
「若葉はお子ちゃまだから、ピンとこないのよ~」

わたしは、ひどーいってほっぺたを膨らませてみせたけど、ほんとは泣きたかった。

ユウリちゃんのファーストキスは素敵だった、うっとりした。
でも
わたしはもう・・。

みんなのキラキラが眩しかった。
わたしには、もうキラキラする資格はないんだ。
いつか大好きな人と・・ユウリちゃんみたいに・・
そんな想像をすることもできない。

お腹が痛いと嘘をついて早退した。

帰ったらママがいるな。困ったな。。

ぼんやり歩いていると、すぐ横に車が止まってドアが開いた。
なんだか怖くて、車の方を見ずに走った。

「若葉、待って!」

え?
立ち止まって振り返ると、雅美さんだった。

「若葉にバッタリなんて、ラッキー。乗ってよ。ウチに来てよ。」
雅美さんは、いつもこんな感じ、余計なことは言わない。
「お店、今日はお休みだから貸切りだよー。」

お店に着くと、雅美さんはチョコレートパフェを作ってくれた。

アイスと生クリームとチョコレートが、口の中で溶けていく。
甘くて美味しくて、嬉しくて
あれ?
涙、出てきちゃった。

「辛いときは、甘いものが一番」
雅美さんの目は優しかった。

「雅美さんは、今好きな人いる?」

「いるいるーー。世界一のイケメンと一緒に住んでる。」
きゃははと笑って、すぐ真面目な顔になった。
「ここにもいる、宇宙一の美女。」
そうして、わたしを抱きしめた。

いい匂い。。
わたしはやっぱり、雅美さんが好き。
もちろん、ママも好きだけど。。

チョコレートパフェを食べ終わると、雅美さんは言った。
「好きな人にはね、好きって言えばいいんだよ。その気持ちがほんとなら、それで十分なんだから。」

***

買っちまったもんはしょうがねぇよな。
ウチで晩飯を食ってる若葉に包みを渡した。

「これは?」
何か言いたげなのを遮って、慌てて俺は言った。
「やるよ」
包みを開けてから、一瞬間があって
「かっちゃん、ありがとう!」

なんでくれるのかと不審がるだろうという俺の予測は、大はずれ。
Tシャツ抱きしめて喜ぶ姿に、俺も嬉しくなった。

あ、そうか。嬉しいんだ。買ってよかったんだな。
やっぱり似合うよなぁ。俺、結構センスいいじゃん。

若葉は、まだキャアキャア言ってる。
女がキャアキャア言うのは、姉貴の友達で見慣れている。
そう。。見慣れている。

ん?
女?
じゃねぇだろう。相手はガキだ。

そうか。ガキだからか。姉貴の友達と違って、見飽きない。
むしろ、この様子をそのまま取っておきたい。

って、
おい!俺、どうかしてるぞ。
「逃げんなよな」
貴之の言葉が、頭の中で響いた。

「俺、まずいよな・・」

「なにが?」
と、貴之はのんびり言った。

「なにが・・って、おまえ、若葉に惚れてんじゃまずいだろ。あの塾のおっさんと同じ、変態じゃないか!」

若葉への気持ちに気づいて、俺は落ち込んでいた。
ガキに本気で惚れるなんて、変態にちがいない。

「馬鹿か?おまえ」
そういう貴之の顔は険しかった。
「そのおっさんが、若葉に惚れてる?そんなわけねぇだろうが!」

あまりの勢いに、俺は驚いたが、貴之は、お構いなしで続けて言った。

「惚れた女なら、守ってやりたいもんだろうが!大事にするもんじゃねぇのか!傷つけてどうすんだ?怖がらせてどうすんだ?え?」

貴之は、コーヒーを口に運んだ。
しばらく黙っていたが、気持ちを落ち着けているのが見てとれた。
次に口を開いたときは、穏やかな口調だった。

「おまえは、若葉を守ってやりたいと思うか?」
「あたりまえだろ。もう怖い目に遭わせたくない。」

ああ、そうか。そういうことか。
目の前が明るくなった。
ありがとう、貴之。。

「そうだよな。おまえなら大丈夫だ。」
独り言のようにつぶやくと
貴之は、まっすぐ俺の目を見て、言った。

「若葉はガキじゃねぇ。十分いい女だよ。兄貴の目から見てもさ。。」

え?

「妹なんだ。父親が同じ」

***

びっくりした。
かっちゃんがプレゼントをくれるなんて!

嬉しい!
すっごい嬉しい!!

「明後日誕生日って、なんで知ってるの?あ、パパから聞いた?」
ちょっと間があって、かっちゃんは言った。
「13歳、おめでとう」

翌日、新しいTシャツ姿を見て、ママが言った。

「どうしたの?それ」

かっちゃんにもらったって言わなかった。
ママがまた、大騒ぎしてお隣にお礼に行ったりしたら嫌だったから。
夕飯をご馳走になったときがそうだった。
まあ、そのおかげで、おばさんが、ママが夜勤のときはいらっしゃいって言ってくれたんだけど。

けど、今回は、かっちゃんとわたしのことだから、大人に口を出してほしくなかった。
そんなことされたら、せっかくの嬉しい気持ちが少ししぼんじゃう気がした。

「雅美さんがくれたの。こないだ、学校の帰りにばったり会って、お店でチョコパ奢ってくれた。」

「あら、よかったわね」
と、ママは言った。

雅美さんとママは、気の置ける仲良しだ。
どういう意味かっていうと
ある程度の距離を保っているけれど、信頼し合ってるってこと。

「で、わたしはどんなTシャツを若葉にプレゼントしたのかな」
雅美さんは言った。
「ママから電話あったよ」

やっぱり、ママは電話したか。
そして、雅美さんはやっぱり調子を合わせてくれたんだ。

お隣のお兄さんがくれた。
高校生のお兄さんで、とっても優しい。
ピンチのときに2回も助けてくれた。
ママに言うと、お礼にいっちゃうから嫌なんだと説明した。

「ふたりの秘密かぁ。あ、わたしが聞いたら秘密じゃないなぁ。」

雅美さんののんびりした口調が好き、ほっとする。
だから、聞いてみたくなった。

「雅美さんは、初めてパパとキスしたときどんな感じがした?」

「あらまぁ、ウチのお姫様はもうそんなお年頃なのね」
ふざけた口調でそう言ったけど、どんな質問も、彼女ははぐらかさず答えてくれる。

「身体が熱くなった。とってもドキドキした」
「怖くなかった?」
「怖くないよ。怖いキスなんてないよ」

けど、わたしは怖かった。目の前が真っ暗になるくらい。
雅美さんは知らないんだ、怖いキスだってある。

あ・・なんかへんだ。
涙、出てきた。

「怖いのはね、暴力っていう。キスじゃない。キスは優しいものよ」

そして、急に低い声になった。
「タダじゃおかない。。若葉、そのお兄さんはだめだ」

***

「俺が物心ついたときには、親父とおふくろは離婚してた。若葉は、親父が再婚して生まれたんだ。」

そういえば、貴之の身の上話は聞いたことがない。俺もしたことがないから、お互い様だけどね。お互いに、高校で出会ったときには父親がいなかった。それだけは、わかってた。

「俺が小3から小4くらい、若葉は3歳から5歳まで。。だったかな。ウチで預かってた。祥子さん・・若葉の母親が入院してたからさ。」

それ以来、ずっと交流があるのだと、貴之は言った。

「おふくろはさ、若葉は、貴之とは血のつながった妹なんだよ。貴之の妹ってことは、わたしの娘だ。って言ってさぁ。。まあ、そういうことだ。」

おばさんらしいなぁ。。
そう思うと、笑えてきた。
貴之も笑った。

「俺は、若葉が好きだ」
口に出してみると、とてもすっきりした。

貴之は親指をたててみせた。

***

「かっちゃんは、だめなんかじゃない!」

かっちゃんはいつだって、助けてくれた。出会ったときからそうだった。
勢いで、内藤先生のことを話しちゃったけど、雅美さんは優しかった。

「それは暴力だよ。キスなんかじゃない。」
さっきと同じことを、雅美さんは繰り返した。

「でも、わたしは先生が好きだったの。送ってくれるって嬉しかった。
わたしって、なんてやらしい・・」

雅美さんがわたしの口の前に人差し指をたてたから
わたしは続きを言えなくなった。

「若葉は、そいつとキスしたかったの?」
「わからない。考えたことなかった。けど、好きだったから、そんな気持ちがあったかもしれない。」

雅美さんは、わたしの目を見て言った。
「若葉は貴之が好きだよね。貴之とキスしたいと思う?」

とんでもない!なんでお兄ちゃんとぉーー。
そりゃあ、お兄ちゃんは好きだけどさ、そういうのとは違うじゃない?
あれ?
好きにもいろいろある。。よね。

わたしが混乱している最中に、雅美さんは言った。

「かっちゃんとはどう?」

かっちゃんとキス・・うわっ。
想像したら、身体が熱くなった。どきどきしちゃう。

「若葉はいい子だね」
雅美さんの声は、あったかかった。

***

考えがまとまらなかったり、自分の気持ちがわからなくなったり、どうしても決めなきゃならないことがあるとき、俺は、ここに来る。
だから、今日ここに若葉を誘った。

「×☆△□・・」

騒音がすごくて、何を言ってるかわからない。
耳元で大声を出す。
「きこえないぞー」

若葉も耳元で大声でいった。
「飛行機がおっきいねー!」

はしゃいでる様子がかわいい。

「俺は、言うぞぉ」
そしたら、若葉が
「わたしも、言うぞぉ」

打ち合わせたように、口の動きで合図をし合った。

いっせーのーでぇ

「かっちゃんが好きぃーー!」

抱きしめたくなる衝動と闘うのは、健全な17歳男子としては、なかなかの試練だよな。
なんて思っていると
あはは、ぷんすか怒ってやんの。

飛行機の音がやんだ。次の便までは静かだな。
ちゃんとまっすぐ伝えよう。

「俺は、若葉が好きだ。」

***

あ・・嬉しい。

かっちゃんはまっすぐ、わたしを見ていて、わたしはとても恥ずかしかったけど、目をそらすことができなかった。

かっちゃんの指先が、頬に触れた。
ちょっと震えてる?

「やべぇ。俺、どきどきするわ。」

その言い方がおかしくて、吹き出しちゃった。
そしたら、かっちゃんも笑い出した。とまらなくなってゲラゲラ笑った。

おなか、いたーい!

気がついたら、かっちゃんの腕の中にいた。
やばい。わたしもどきどきする。

かっちゃんが耳元で言った。
「俺は、若葉を大事にする。だから、心配しなくていい。」

***

どきどきする。
惚れてんだから、あたりまえだよな。

そのまんま口にしたら、思いっきり笑いやがった。

笑い転げてる若葉はマジかわいい。

そっと抱き寄せた。
怖くないように、そっと。

大事にしたい。
俺が守ってやりたい。

楽しければ、笑い転げられるように。。
辛ければ、思いきり泣けるように。。

「俺は、若葉を大事にする。だから、心配しなくていい。」

若葉は、俺から離れた。

「かっちゃん・・わたし、内藤先生にキスされた。わたし・・・かっちゃんに大事にしてもらう資格ない。」

ー そのおっさんが、若葉に惚れてる?そんなわけねぇだろうが!

貴之の言葉がこだました。

***

「痛かったな、若葉」
かっちゃんは言った。
「それはキスなんかじゃない。殴られたんだよ、痛いんだから。」

あ。。雅美さんも、そう言った、暴力だって。

「若葉は、俺が怖いか?」

そんなことない。かっちゃんといると安心する。首をぶんぶん横に振った。かっちゃんは、わたしの後ろにまわって、わたしを包んでくれた。

あったかくてほっとした。
なのに、どきどきした。
このどきどきは、嬉しいどきどきだ。

「若葉は、まだ傷が痛いな。けど、こうしてあったまってると、だんだん治ってくだろ」

***

次の飛行機が、滑走路を動き始めた。

若葉が俺を振り向いて、何か言ったが聞こえなかった。
声は聞こえなかったが、息がかかった。
抱きかかえた若葉はやわらかくて、いい匂いがした。

若葉の頬に軽く、キスをした。
一瞬身体が固くなったが、すぐにほどけたのを感じた。

「どきどきするなぁ。。」

今度は、若葉は笑わなかった。
笑う代わりに目を閉じた。

そうっと、ゆっくりキスをした。
それから、二人で飛び立つ飛行機を眺めた。

「×☆△□・・」

「何?」

若葉は耳元で大声で言った。
「身体が熱くなって、どきどきしてる!」

飛行機が飛び立って、また静かになった。

愛しいっていうのは、こういうことかと思う。

大事なことがわかった。
なあ、若葉。わかるかなぁ?

俺とって大事なことは

君がいること

そのまんまの

君がいること


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