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1人のゲームプランナーが生まれた経緯と、VRChatに救われた話

1、はじめに

Noteでは初めまして。DRIVE.と申します。

普段は作編曲や墨絵制作、デザインを行うマルチクリエイターとしてネット上で活動しながら、ゲーム会社でプランナーとして1年半ほど勤務しています。現在は個人開発で1つフリーゲームをリリースしようと日々奮闘中です。

今回、この記事では私が今年の6月19日のゲームプランナー講演でもお話した「ゲームプランナーになった経緯」と「VRChatに救われた話」についてまとめています。

小学校の頃から今までの経緯について書いているので、かなりの文章量となっております。ですが、出来る限り分かりやすく読めるようにしておりますので、何かの参考になれば幸いです。

2、「ゲームプランナー」という職業を知る

まず、私がゲームプランナーという職業を知ったきっかけは、おおよそ小学生低学年の時に「星のカービィ」がとても好きだったところからです。

星のカービィがどのくらい好きかというと、小学校の頃は毎日カービィの絵を描いていたぐらいで、実は今でも布団の周りがカービィのぬいぐるみで埋め尽くされているほどです。だって可愛いじゃないですか。

そんなことは置いておいて。
既にパソコンを親の管理の元でかなり触っていた時期に、『そういえば、星のカービィって誰が作ったんだろう?』と、ふと疑問に思い始めました。任天堂という会社名は知っていたのですが、開発者までは分からなかったので、すぐに調べてみることにしました。

調べてみた結果、今ではもう「大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL」のディレクターとして皆様もご存知でしょう。
桜井政博」さんが、星のカービィの生みの親でした。

この方がHAL研究所というゲーム開発会社の中で、ゲームプランナーおよびディレクターとして活躍したというのを見て、初めて「ゲームプランナー」という職業を知りました。

子どもの頃だったので、『夢のある職業だなぁ、いつかなれたら良いなぁ。』と頭の片隅に置いておきながら、小学校の卒業文集に、なりたい職業ランキングの第3位ぐらいに書いていたのを覚えています。
第1位は「歯医者さん」でした。これについては何故なのか覚えていません。何ででしょうね。

ちなみに、桜井さんが出版している『桜井政博のゲームについて思うこと』シリーズの書籍を何十回も読んでいては凄く現場で働くときに活用できているので、ゲームクリエイターを目指す方には是非オススメしたいです。桜井さんのお話の仕方も学べます。

今があるのは、「星のカービィ」という素晴らしいゲームが原点となったおかげです。

3、本格的に創作活動を始める

中学生になって、陸上部に所属していたのですが、本格的に作編曲や墨絵制作などの創作活動を始めたきっかけがありました。
それは『SOUND VOLTEX』というアーケード音楽ゲームとの出会いからでした。

その前に、ニコニコ動画でbeatmania IIDXのトッププレイヤーである「DOLCE.」さんの動画を見て、beatmania IIDXの家庭用を購入してやり込んでいたこともあり、ゲームセンターへと足を運んでいました。これもまた原点の一つだったので、今の名義「DRIVE.」にピリオドが付いているのはこれが理由です。

そしてある日、新機種として『SOUND VOLTEX』が稼働開始していました。

プレイしてみると、「つまみを回す」「エフェクトを楽曲にリアルタイムで掛ける」というのがとても新感覚で面白く、すぐにハマってしまったわけです。

そしてある時、黒魔さんの「Space Diver Tama」という楽曲に出会います。
SOUND VOLTEX FLOOR』という公募企画で収録されたもので、実際にプレイした時にとてつもなく感動する楽曲でした。
黒魔さんがあの「中二の俺がスーパーマリオブラザーズを頑張って耳コピしてみた」の作者であることも知っていたので、凄まじい成長ぶりに感銘を受けました。

これをきっかけに、『SOUND VOLTEX FLOOR』にて自分の楽曲・イラストが採用されて実機でプレイできるようになりたい、と思い始めるようになり…
本格的に創作活動を始めるようになりました。

これがもう8年前の出来事です。時の流れは早いですね。

4、創作のルーツ

実は創作活動およびゲームプランナーになるにあたって、最初は何を参考にして作品を作ったりしたかというと、「東方Project」が全てです。

小学生の時から、『ネクロファンタジア』という楽曲を聞いたのをきっかけに、ずっと東方Projectの楽曲を聞いていました。八雲紫というキャラクターが好きなのも、これが発端ですね。

高校生になった辺りで、イラストレーション部に所属しながら
墨絵制作を東方Projectのワンドロ企画(一時間で決められたキャラクターを描くもの)で続け、毎日黙々と描いていました。

そこである日、自分が住んでいる地域で東方Projectの同人イベント「東方神居祭」が開催されていることを知ります。とても気になったので見に行ってみると、広い会場や他の方々の創作を見て圧倒されたのを覚えています。

『墨絵で一度、同人イベントに出展してみよう』

という気持ちが湧き、初めての同人イベント出展に挑戦しました。
最初は緊張しかありませんでしたが、いざ出展してみると、墨絵の感想を沢山いただいては頒布物が完売になり、同時開催されているイラストコンテストにも出品してみると…何と“最優秀賞”をいただきました。

それがこのイラストです。

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https://www.pixiv.net/artworks/54662976 「橙」

こちらもワンドロ作品の一つでした。実際に、表彰時にステージの上に立ち、作品の紹介を行いました。初めての出展がとても楽しく、これが無ければ墨絵制作を続けていなかったかもしれないぐらいです。

この出来事をきっかけに、東方Projectの同人イベントに出展し続けるようになり、楽曲に関してもアレンジに挑戦したりと、創作活動の中心が丸ごとこのコンテンツになりました。

このタイミングで、何度かアレンジCDにてご縁があったadaptorさんのサークル「Glassy:oceaN」にも加入し、更に東方Projectを中心とした創作活動に拍車がかかるようになりました。

いくつか私のオリジナル楽曲を聞いた方は分かるかと思いますが、
東方Projectの楽曲をずっと聞いていたり、アレンジしていた影響で、メロディーが和風寄りの印象になっています。

また、ゲーム企画を考える練習をした時も、「弾幕シューティングゲーム」という『コンセプト』からその後に「何をプレイヤーにさせたいか」「世界観はこんな感じにしようか」など、原作ゲームを分析して勉強したのを覚えています。

創作のルーツは全て「東方Project」から。いつか東方例大祭にも出展したいですね。

5、「プロフェッショナル」になる決意

高校生活終盤となり大学受験を控える中、自分の中に何か引っ掛かりがあるような気がする時期がありました。

デザイン系の大学に行こうと決めていましたが、その大学のカリキュラム内容を見ると、主に造形、彫刻が中心となっており、自分の“本当にやりたいこと”と違う…と思いました。

“本当にやりたいこと”は、今でも志している
マルチクリエイターとなって活躍していく人になる」の一択でした。

その引っ掛かりがあったせいか、センター試験でトラブルがあり失敗してしまいます。どうしようか、と家族に相談を続けている間に、更に本当にやりたいことについて、真剣に考える時間があり、そこで1つ気付きを得ました。

その頃は、既に自身の1st楽曲アルバムをリリースしており、
何度か創作企画を開催していたり、様々なところに作品を提供したり…活動の幅を広げていました。京都のシンガーソングライターの方に墨絵でCDジャケットイラストを提供し、それが全国リリースされる貴重な体験もしていました。

全てを、好きだからこそ、やりたいからこそ作っていると分析で気が付きます。

自分は企画から、1から作ることが好きなんだ

本当にやりたいことの本質に気付き、これが出来る職業があるのだろうか、と考えたところで「ゲームプランナー」という、憧れの職業を思い出しました。

それから、家族を再度相談し、ゲームクリエイターを目指すために2年制の専門学校に入学することを決めました。

自分の本当にやりたいことを実現させるために、決意する

いくつもの悩みがありましたが、今まで創作活動を惜しみなく続けてきた自分には出来る。という自信がありました。前向きに考えると同時に、今まで以上の努力をする覚悟を決め、「プロフェッショナル」になる決意をしました。

何が起こるか分からない道のりに行くことを承諾してくれた両親には、感謝しきれないです。

6、走り続けた2年間、大災害と達成

専門学校の専攻について、どこに入学するか選んでいた時、「今自分には、ゲームクリエイターを目指す上で何が出来ないか、何が足りないか」を分析しました。

作編曲、墨絵制作、デザインはこの時点でいくつか行っていましたが…
本格的に“デジタルイラスト”を制作したことがない。制作できないことに焦点を当てました。

ゲームプランナーは、自分の知っている分野を広げるほど有利だということから、弱点を埋めるべく、“デジタルイラスト”を制作できるようにするためにイラストレーション専攻に入学することを決めました。

入学してからは、今までの学校授業とは全く違う「実技・実技・実技」の演習の毎日でした。かなりの作業量でしたが、今まで作品を作り続けてきた人としては「楽しい」という感情の方が大きく、ひたすら真面目に取り組んでいました。
同じようにゲームクリエイターになることを志すクラスメイトと話すことも楽しく、新しい刺激の多い学校生活を送っていました。

しかしながら、実力が全ての分野になるため、
2年間、目標を持って惜しみなく努力する姿勢を保たなければならない世界でした。

私は並行して、授業料や自分の生活費を少しでも賄うために
コンビニバイトも週3回で勤務していたので、忙しい毎日が続きました。
それでも『誰よりも努力してやる』という姿勢を崩さず、走り続けました。

イラストレーション専攻の生徒だったため、“ゲーム制作についての授業は一切ありません”。
なので私は、授業でデジタルイラストが制作できない弱点を埋めつつも、
他専攻のゲーム制作について授業を行っている講師の先生に直接お話を伺い、ゲームの企画書添削、現場での動き、最近のゲームの流行や傾向を教えていただきました。

授業が無いなら、自分から意欲的に動いて『作れば良い』。
大変ではありましたが、ゲームプランナーになるためならばと考える前に行動していました。

就職活動中は、色々な悩みとプレッシャーを抱えながら
住まいとは離れた関東・関西圏のゲーム会社を何社か受けに行っていましたが…2日後に関西圏のゲーム会社面接を控えていた時、1つの大災害が起こりました。

北海道胆振東部地震』です。

深夜に20秒以上も続く大きな揺れと、停電の発生。ガスと水道の停止。

信じられない出来事でした。
地震が起きた後、家族の安否確認をしてからすぐにバイト先のコンビニに走り、既に食料と資源を求めて多くの方が並んでいたので、1日中対応の助けに入っていました。

もちろん、その後はライフライン停止の影響で交通も全面ストップし、
飛行機も全て欠航となったので、関西圏のゲーム会社面接は中止となりました。このタイミングでゲーム会社も選考を今年度は中止する、と判断したそうです。

人生においてかなり重要な時期に、こんなにも大きな災害を体験するとは思いませんでした。怪我もなく、何とか無事に元の生活に戻れたことが幸いでした。

就職活動を再開するも、関東・関西圏のゲーム会社は全て面接の段階で落ちました。やはり難しい道のりだったかと思いましたが、地元のゲーム会社から専門学校に直接求人情報が来ていました。
関東・関西圏の本場に行く前に、地元で下積みしていくと良いかもしれない」と感じ、興味を持っていた地元のゲーム会社を、1社受けることにしました。

夏頃に書類選考および面接を行い、自分が今まで制作してきた創作物を見せ、ありったけの“本当にやりたいこと”の熱意を伝えました。

結果、遂にゲームプランナーとして採用されることになりました。
今までの積み重ねが報われ、達成した瞬間。オーバーなリアクションはせずに、只々ホッとしていました。もしかしたら、あの大地震が無ければ…行き先が変わっていたのかもしれませんね。

7、卒業制作「Cuent0:ExistenciA」

専門学校2年生の夏頃に通常の授業を終えて、今までの集大成となる「卒業制作」を企画する時期になりました。

専門学校に入学した時点でやりたいと考えていた、『イラスト・楽曲・デザイン・映像を全部自分で制作するゲーム企画』をやることに決めました。
企画内容からして、もはや異常な作業量をこなさなければならないことは目に見えていましたが、人生でここまでの大作を作る機会は絶対に無い、逃してはいけないと思い、決行しました。

まずは作業量の細かい洗い出しと、コンセプトについて突き詰める点から。
作業量を整理してみると、少し夜遅くまで作業することにはなりますが、計画的に進行すれば問題は無いと判断できたので、
モチベーションを保つために、コンセプトは「自分の頭の中になるファンタジー世界をアウトプットする」。

つまり、自由に楽しくファンタジー世界を再構築することにしました。

元々、自分が頭の中で思い描いていた企画「FORTUM Project」という、楽曲「Direct One.」や「Creigis」、「X RaVEN」「MagentAls」の題材としているファンタジー世界がありました。ですが、どうしても昔ながらの世界のままでは飽きる感情が出たり、マンネリ化したりするのでは、という考えが強かったので、1つ“パラレルワールド”を作ると楽しいのではないかと思い付きました。

そこから世界観の設定について作り込み、キャラクターの設定、シナリオ、楽曲のイメージ作成……これらの大枠ができたところで、卒業制作担当講師の先生の指導の元、デジタルイラストの制作に取り掛かりました。

デジタルイラストでは、自分の好みを貫いていた「Granblue Fantasy」の画風を習得したいと思い、そのゲームの資料集を見ては描き方について毎日研究しました。これが次々と新しい発見があり、研究者のようにとても楽しく独り言を喋りながら描いていたのを覚えています。

傍から見ると、変わり者のように見えますね。いえ、変わり者でないと全ての分野を自分で制作するという考えに行き着きません。
良い変わり者”という風な位置付け…であると思いたいです。

また、上達する近道として、技術を盗むように担当講師の先生からアドバイスを沢山貰うことが重要だと思い、何度も学校やメール等でやり取りしていました。

「ここはこうしたら良いと思うのですが、先生はどう思いますか?」
「これの表現方法が分からないので、自分で調べて研究してみました。先生からもアドバイスをお願いします」

と、“何についてアドバイスしたら良いか”を明確にした上で相談していました。フィードバックがやりやすくなりますし、それを分析して応用することも効率的にできます。これが一番効率良く上達できる方法でした。

さて、デジタルイラストが大方完成し、デザインについても形になってきたところで、楽曲を本格的に仕上げ、PV映像を制作していくフェイズに移ります。

楽曲は今まで通り、PV用の壮大な三拍子曲をDAW「FL Studio」を使用して制作しました。こちらに関しては困ることなく、スムーズに制作できました。

PV映像は「Aviutl」と「Adobe After Effects」を併用して制作しました。
ほぼAviutlで作り、Adobe After Effectsでエフェクトを後付けした、という感じです。
一番困ったのが、PV用のSEだけを作り忘れてしまっていて、最終的にフリー素材を使ったところですね。できればSEまで全て自分で制作したかったですが、作曲とは違う面でのサウンドデザインとなるので、限界があったかもしれません。

また、映像中のナレーションに関しては外注形式で、楽曲アルバムの方で何度かご一緒したLideaさんにお願いしました。

そして、全体を通して足りない部分が無いかどうかを確認し、印刷。
企画書・資料集も作り…こうして完成したのが、「Cuent0:ExistenciA(クエント エクシステンシア)」です。

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https://youtu.be/Vwq5OjleViE 「PV映像」
https://www.pixiv.net/artworks/72949799 「企画書・資料集」

作り切りました。

その後の卒業制作の最終審査でのプレゼンでは、今までその専門学校では無かった、プレゼン終了時に拍手喝采が起こるという出来事が起きました。講師の先生から「担当していて一番楽しかった」というお言葉までいただき、私はその場で何回も頭を下げていました。

無事に「優秀賞」も受賞することができ、自分のやりたいことを精一杯成し遂げられて感無量でした。

専門学校に行って一番感じたこととして、
やはりゲームプランナーを目指す上では“環境”がとても大事です。

思い立ったら即行動に移すこと、そして綿密な企画・計画を作り、実行できる環境があると、とても成長が実感しやすいです。また、同じ目標を志す仲間と一緒にいることも、目標に向かうことを全力で補助してくれる講師の先生方がいることも、行動がしやすい一面でした。
専門学校の2年間は、充実した学校生活になったと思っています。

8、感じた分厚い壁と、精神病の発症

ここまで順調に頑張ってこれた、と思っていたのですが…実は卒業制作を進める上で、私は1つ“やってはいけないこと”をしました。

【五日間徹夜をする】という、無理をしてしまったのです。

人間は一定の線引きを超えてしまうと、自覚できなくなる部分があります。
卒業制作自体はとても楽しんで進めていましたが、身体・精神的な疲れについては全く考えておらず、より「完璧」を目指すために、寝る時間まで惜しんで作業していました。

このときは、コンビニバイトも今まで通り並行して勤務していたので、更に精神面で疲労しきっていたと思います。

卒業制作を終え、展示会も問題無く終了したタイミングで、突然身体の調子がおかしくなり、思うように身体を動かせない症状が現れ、1日入院することになりました。

その後無事に退院はしましたが、以前のような創作活動のエネルギーが“ゼロ”になったような、すっかり感情に“”が空いてしまったかのような、無気力状態になってしまいました。

そして、突如として感情のコントロールが効かなくなりました。
この時に一番感じていたのは「劣等感」そのもので、専門学校当時は1つの目標だった『SOUND VOLTEX FLOOR』での採用、他公募での採用がまだ叶っていなかった時期でした。

6年以上頑張っていても、これが叶っていない。既に周りには先を追い越されている、馬鹿にされているような感覚に襲われ、実際に悪口を1つも言われていないのに、言われたような感情になってしまうのです。

自身の創作活動が、そのレベルまで達していないことのギャップ、プレッシャー、分厚い壁を感じてしまったところで、私は“感情自体を喪失”しました。創作活動には一切手もつかず、笑うことも泣くこともできなくなりました。

両親も私のこの異変に気づき、精神科へ行って診断してもらったところ、
双極性障害 II型』と診断されました。

無理をしたことで身体から精神の安定が一気に崩れてしまい、自分のやりたいことが出来なくなってしまいました。

医師の方と相談し、薬を使用しての長期間治療を行うことになり、ストレッサーだったコンビニバイトはすぐに退職。創作活動の方も、夏頃までの依頼予定からは一度ストップすることを決めました。

やってはいけないこと”をすると、後々自分に倍以上になって帰ってくることを思い知らされました。皆さんも無理は絶対にしないように、気を付けてくださいね。

9、「VRChat」との出会い

創作活動を徐々に縮小しながら、2019年の春にゲーム会社へ入社しました。
入社先はゲーム会社ながらも、今の風潮とは真反対でとてつもなくホワイトな企業でした。精神病の治療や状況を考慮するとすぐに提案され、とても働きやすい環境に整えて下さったため、凄く助かっていました。

それから少し経った夏頃、友人からとあるゲームをオススメされます。それが「VRChat」でした。

ちょっとだけTwitterで様子を見ており、「ソーシャルVR」の位置付けとなるゲームだったので興味は持っていました。
VR機器は所持していなかったので、とりあえずデスクトップでVRChatの世界に突入します。

『別世界』でした。
アバターになりきってロールプレイを楽しむ方々、クリエイターとしてVR空間で活動する方、パフォーマンスをする方…
もちろん、その場の雰囲気でワイワイ雑談もできる。それも、クリエイターの方となら、作曲やイラスト、ゲーム制作についてお話できる。自分にはとても合っているゲームだと思いました。

恐らく理由としては、子どもの頃に新聞紙の剣を何本も自作して、ゲームの主人公になりきって戦うシミュレーションをするのを何度もやっていたからだと思います。

それから頭の中でゲームのムービーシーンの台詞を考えたり、ステータスを考えたり。とにかくゲームが好きな方なら、分かるかと…分かりませんか?

それは置いといて、その後はデスクトップで数十時間やり込み、知り合いの方からVR機器を貸してくれる機会があったので、
Windows Mixed Reality」で、VRモードで初めて突入します。

『別世界』でした(二度目)。
まるでそこに存在している人と話すような感覚。立体的に見えると同時に、色々な仮想空間の景色がとても綺麗に見える。
VR体験自体も初めてだったので、新しい刺激の他ありませんでした。

夏が過ぎ、創作活動を2020年になるまで一度休止する期間に入ってから、精神病の治療および必要な休養を取りつつ、好きなことをゆっくりやろうと思いました。ここから、VRChatにのめり込みながら、好きなゲームをやり進めるようになります。

10、「創作」の楽しみを思い出す

VRChatでの色々な方々との交流があり、徐々に表に出せなかった感情が出るようになり始めた秋頃。

アバター「シャーロ」を初期から使っていましたが、新しいアバターが欲しいと思い、“のらきゃっと”さんを通じて知っていた『ますきゃっと』アバターを購入しました。購入して、すぐに自分好みの改変を行いました。早いですね。

これが、今のフードを被った白と赤紫のますきゃっと『アリア』の姿です。
丁度、購入日から数日後にますきゃっとアバターを使用する方々が集まる集会もVRChat上で開催予定だったため、参加しました。
集会の内容はとても楽しく、新しくフレンドになった方々も多くいました。
ますきゃっとアバターには、どこか惹かれるものがあると私も思った空間でしたね。

そして、VRChatにて私は、とあるワールドに足を運びました。tiwaさんが制作した『はじまりの村』です。このワールドがPublic化され始めたばかりのときに、友人がそのワールドにいたため、joinしてみました。

そこにはロールプレイを楽しんでいる方々が沢山いました。
RPGゲームのNPCとして振る舞う“しろたけ”さんを中心に、何やら見たことあるキャラクターになりきって振る舞う方も…少しカオスな状況もありましたが、凄く楽しい空間でした。

また、自分が使用しているますきゃっとと色合いが何もかも同一だった、『ネガキャット』というアバターを使用する“glenlok”さんと偶然出会ったり、その後も皆さんと一緒に釣りや収穫を模したクエストをこなすロールプレイをしたり…とにかく充実した時間でした。

それから、そこで出会った方々で何度か集まり、ロールプレイをしながらワールドを巡っていたところ、しろたけさんを中心とした1つの集まりが生まれます。

それが『VRChatRPG』でした。
私は、以前出会ってからコンビっぽく一緒に振る舞っていたglenlokさんと、敵幹部役として位置付けられました。

VRChatRPGで、多くの方々と一緒に1つのゲームの創り上げるように、
RPGゲームの物語やシーンをVRChat上でスクリーンショットを撮り、実現するのがとても楽しく、自分のますきゃっとアバター『アリア』の設定も細かく決めていきました。

それに併せて「イラストやデザイン、楽曲まで創り出したい」と思い始めたところで気付きます。

『自分のやりたいように、好きなように作品を作るのが一番良い』という、
専門学校時代では、目標を目指すために急いでいて、忘れていたことを思い出しました。

自分から発していく創作活動に、プレッシャーを感じる必要は無いこと。
作るペースも自由だということ。何よりも楽しむのが一番大切なこと。
また、親しい人にお声がけいただき、一人で何でも出来るようになるために走り続ける必要はなく、他人を頼って良いということも思い出しました。

VRChatで色々な方々と話すことで感情を取り戻し、
VRChatRPGをきっかけにして創作活動の意欲も取り戻し始めました。

その後も、何度か悩んで落ち込むことがありましたが、
VRChatで出会った方々のお声がけ、そして元々私の創作活動を応援して下さっていた沢山の方々のおかげで前向きになることができ、作編曲・イラスト制作等の創作活動を2020年から、本格的に再開することを決心することができました。

VRChatを通じて、悩みを話したり、物事について話したりできることがとても重要で「支え」が必要不可欠だということを知りました。

VRChatに出会っていなければ、ここまで回復せずに活動を再開することも無かったでしょう。皆さん、本当にありがとうございます。

11、現在に至るまで

実は、創作活動を再開する前の2019年の夏頃に、“2つ”大きな出来事が起こりました。

・音楽ゲーム「Dynamix」への楽曲採用(発表ツイート)
https://twitter.com/rkDRIVE/status/1149931921071206401?s=20

・音楽ゲーム『SOUND VOLTEX』へのイラスト採用(発表ツイート)
https://twitter.com/rkDRIVE/status/1243025697255247873?s=20

どちらも、丁度活動を休止し始めた辺りの頃に採用されました。
「Dynamix」については、楽曲応募数800以上の中で、Top30に入るという結果が出ており、最初は信じられない状態でした。とても嬉しく、光栄な出来事でした。

1つの夢だった『SOUND VOLTEX』への採用は、楽曲ではなくイラスト(アピールカードという、プレイヤーアイコンとして装着できるようなもの)で成し遂げることができ、嬉しいこと他ないのですが…

その採用通知が来たタイミングは、病院で親知らずを全て抜歯した後に
抜歯後の傷をとても痛がりながら、料金支払の順を待合室で待っていたときだったのでメールを見たものの、全くもってリアクション出来ない状況でした。

真顔で少し周りをキョロキョロしてしまうぐらい動揺はしましたが…タイミングが悪くてどうしよう、となりました。
これは帰宅した後に、しっかりとガッツポーズしました。できれば通知が来た瞬間にやりたかったですね。親知らずは全部抜きましたが、一生許しません。

ともかく、これらの出来事もあって、活動休止からスムーズに再開まで持ってこれたのかもしれませんね。

2020年になって活動再開してから、所属している「Sound Creator Force」でのイベント、「ユニ音フェスティバル」開催に向けてのデザイン担当や、
バーチャルマーケット3と4への出展、Septemさん制作の音楽ゲーム「Resonark」への楽曲提供など、VRChat上でもクリエイターとしての活動を一気に広げるようになりました。

そのおかげで、より多くの方々と交流しながら、楽しく創作活動を続けることができています。現在は『双極性障害 II型』の症状が軽く再発しており、少しペースを下げておりますが…
回復したら、引き続き「VRChatRPG」でも『アリア』役として創作の手助けを行ったり、イベントへの参加を積極的に行ったりしていきたいと考えております。

そして、今後の第一の目標は『SOUND VOLTEXへの“楽曲”採用』です。個人開発のフリーゲームのリリースもありますが、それよりもこの夢を叶えたいと思っています。

12、目標と結果の分析、応用の循環、そして支え 

ゲームプランナーになった経緯、そしてVRChatに心を救われた話を書きましたが、これまでの経験を通して、自分が導き出せる「伸び悩んでいる、困っている、迷っている時に脱却する方法」があります。これをまとめとして記載します。

まず、『目標を立てるところ』から始めます。これが無ければ行動は出来ないかと思います。とはいえ、無理な目標を立てることはいけませんので、一番身近にある小さなことでも良いです。

そして、『結果が出たら、何故そうなっているのか、何故そうなったのかを分析』します。何か行動を起こした後、もしくは“行動を起こすことができていない状況”でも同様です。
結果や状況の理由・原因は絶対に存在するものなので、それが何なのかを調べてみましょう。

それができたら、『次の目標を立てるために応用』します。理由・原因が分かれば、それを解決するために動くことができるので、これで伸び悩んでいる、困っている、迷っていることから脱却できることに、近づくことができます。

例として、私が仮に1つ楽曲を作ったと考えます。
その楽曲の目標は、楽曲公募に採用されること。ですが、結果は公募に落選してしまいます。何故そうなったのでしょうか?

・その楽曲公募をやっているゲームの『コンセプト』に沿っていなかった。
・計画を綿密に立てずに、聞きやすい音に仕上げていなかった。
・楽曲の展開やクオリティが足りなかった。

調べてみると、こんなことが考えられます。なので、次に楽曲公募に出す楽曲を作るときは、この2つを解決するために…

・『コンセプト』をしっかり調べておき、楽曲にも反映する
・楽曲を作る予定をしっかり立てる
・楽曲の展開についてパターンを知るために、沢山の楽曲を聞く。

という動きが出来ます。
これで、公募に採用される可能性が少しでも高くなることに間違いは無いと思います。

私が専門学校やゲーム会社でモノを作るときに必ず意識していたことで、これをやらなければ明確な目標も立てられず、作ったモノの作り込みが出来ない、という状態に陥ってしまうことが多いです。

また、理由・原因を解決しようとしても、1人ではどうしても解決できないことは沢山あると思います。そんな時は遠慮なく、『他人に、色々な人に頼ってみましょう』。

例に挙げた状況なら、同じく作編曲しているクリエイターの方にアドバイスを貰う、楽曲制作の技術について教えてもらう、ということができます。

その時は、頼る相手に必ず「理由・原因」を明確に伝えることが重要です。
できれば、それに付随して「自分からの解決方法の提案」もすると更にやりやすいです。

伝えることで、相手がどうアドバイスして良いかが分かりやすくなるので、スムーズに解決まで持っていけることが殆どです。

そして「自分からの解決方法の提案」は、相手が考える時間の削減にもなります。それに対してコメントすること、肯定することも可能だからです。専門学校の卒業制作で、担当講師の先生へフィードバックを求めたときが、同じ例ですね。

1、『目標を立てる』
2、『結果の原因・理由を調べて分析する』
3、『次の目標を立てるために応用する』
4、『解決できなければ、他人に頼ってみる』

これらを繰り返しやってみると、いつか正解に近づき、見えてくるのではないかと考えています。目標と結果の分析、応用の循環、そして頼る。支えを、頼ると言い換えていますが、実践してみると良いでしょう。

何かの参考になれば幸いです。

13、最後のお礼

最後に、ここまで読んで下さりありがとうございました。今までの活動にあたり、支えになって下さった皆さんには、本当に感謝しています。

このまとめを通して、あなたの支えになれましたら、また、面白いと思わせることができましたら、それはとても嬉しく思います。

以上、「ゲームプランナーになった経緯」と「VRChatに救われた話」についてのまとめでした。(13000文字という長文になってしまいましたが…)

これからも私DRIVE.を、よろしくお願い致します。

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『きっと私達は2人であり、1つだ』

Game Planner <DRIVE. and Ariah>

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