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追悼 半藤一利さん(RKBラジオ)

櫻井浩二インサイト』 2月2日(火)放送

櫻井浩二:毎週火曜日の「インサイトコラム」は、RKB報道局・神戸金史(かんべ・かねぶみ)の「勘弁ならねえ!」です。 今朝は、先月12日に亡くなりました、ノンフィクション作家・半藤一利(はんどう・かずとし)さんのお話、インタビューされているんですね?!
神戸:そうです。RKBラジオで、インタビューしたんですよ。東京報道部にいた時にお訪ねして、ご自宅でお話をうかがいました。
 その時の一言を聴いていただきましょう。

神戸:私が読んで一番、すごく腑に落ちたのは、『昭和史』でしたね。
半藤:はい。
神戸:ベストセラーになった本です。毎日出版文化賞の特別賞を受賞されていますが、RKB報道部の若い記者が、あまり歴史を知らなかったりすることがあるので、「ぜひこの本を読んでから取材に行こうね」と、よく使っている本なんです。
半藤:ああ、そうですか(笑) どうもありがとうございます。

神戸:半藤さん、びっくりされていましたけど(笑)。私、ここに『昭和史』を持ってきましたけど、読んでほしくて。分かりやすいんですよね、半藤さんの本て。
 昨日、毎日新聞の夕刊には、保阪正康さんというノンフィクション作家の方が、追悼文を書いておられました。半藤さんには、「事実を尊ぶ実証主義」と、「権力と一線を引く市民の目」の二本柱が必ずあった、という風に書いてあるんですね。本当にそうだと思います。
そして、保阪さんは友達の半藤さんについて、この2本の柱に、梁(はり)が入っている。。「ヒューマニズム」「インテリジェンス」「ポピュリズム」の3本の梁が入っている、と。
 ポピュリズムとは、「大衆に媚びる」という意味ではなくて、「分かりやすく説明する」ということです。
櫻井:そういうポピュリズムですね、ははー。
神戸:はい、わかりやすく説明する。「時には話し言葉で史実を解明するのは、(略)とにかくわかりやすく語ろうという姿勢の表れだと言っても良いであろう。」と書いておられました。
 まさにその通りで、私の手元にある『歴史に何を学ぶのか』という本も、ずっとしゃべり言葉で、「私が生まれたところは、勝っつぁん(勝海舟ですね)と同じく、隅田川の向こう側です」なんて、こんな書き方で書いているんですよね。
田中みずき:へえー。

半藤一利さんの書にある2本柱
事実を尊ぶ実証主義
権力と一線を引く市民の目

2本の柱を結ぶ、3つの梁(はり)
ヒューマニズム
インテリジェンス
ポピュリズム

毎日新聞2月1日夕刊
「寄稿 半藤一利さんを悼む 戦争への怒りが生んだ歴史観」
より


神戸
:こんなことも半藤さんおっしゃっておられたので、ちょっと聴いてみてください。

神戸:私の学生時代からの印象ですと、「文藝春秋」っていう、いわゆる保守勢力によく読まれている雑誌の編集長経験者でもあり、戦争のことについてもお詳しいと。いわゆる”反動”勢力の方だと…
半藤:ははは。
神戸:……と思っていた時期があったんですが、やっぱり事実がどこにあるのか、世の中に左右されずに調べていく。批判されたとしても、何が正しいことだったのか、本当だったのかを知りたいというのが先だった訳ですよね。
半藤:それがまず先でしたね。「言われていることと、ずいぶん違うじゃないか」っていうことが、本当にたくさんありましたから。これはどうしても知りたいな、と。私が生きてきた時代なんですよね。子供ですけども。
 終戦が15歳で、中学3年生ですか。この戦争は「こういう戦争だ!」と思い込まされていましたから、それがいかに嘘であったか、を知りたいと思いましたから。

神戸:半藤さんはやっぱり、戦争の体験を幼いころにされて、東京大空襲でも命からがら生き延びた、という経験がある訳ですよね。そのあとに大人たちが、「神風だー!」「神の国だ」「鬼畜米英!」と叫んでいたのに、突然「これから民主主義だ」と言い出した。これに「驚いた」と、子供ながら。「世の中に“絶対”って、ないんだな」と。
 「絶対に勝つんだ!」と言っていたのに、手のひらを返したように、大人が生き始めた。これを見て、戦争は「何なんだこれは」と思ったことが原点になっていますね。
 そして、文藝春秋の編集者となって、いろんな人たちからお話を聞いていく中で、まだ生きておられた戦争の当事者、軍隊にいた人たちの証言を集めていく。こういう中から、知らないことがいっぱい出てきたわけです。もう過去のことだから、あまり採り上げない。「もう嫌だ、あの時代のことは」という時代に、丁寧に戦争のことを記録していったということが半藤さんの一番の成果だ、と私は思います。
 私も歴史学のことについてお聞きしてみたので、その時の言葉をお聴きになってみてください。

神戸:歴史学とジャーナリズムって、すごく共通する点があると思うんです。亡くなった方の声を、未来に届けるのが歴史学だと思うし、ジャーナリズムは生きている方の声を中心にして、誰かに届ける。
 そこで一番大事なのは公正さじゃないかといつも思っていて、それを仕事にできることはとても素晴らしいことだな、とも思っているんです。
半藤:私も、文藝春秋の編集者をやっているころは、ほんとにこの職業はいい職業だと思いました。
 できるだけ公正に、公正にということを自分の頭に入れておくと、「やっぱりちょっと違うんじゃねえかな」「もう一人の人に話を聞きに行けばもっとわかるんじゃないか」と思って、自分でできるだけ足を伸ばしていくことはできますよね、やっている間は。
 そういう意味では、「ジャーナリズムは何だろうな」と思ったら、結局私たちは「現代史を書いているのだな」と思いますね。
 私は別に学者じゃございませんで「探偵」ですから探って歩いでいるだけなんですが、歴史は過去の事実を探しているんですが、現代に通じる、現代とお同じことを探しているんですね。それは、何でかって言うと、歴史は勝手に作られるものではなくて、人間が作っていくんですよ。
 歴史は人間が作っていくから、太平洋戦争に何で日本が突入していったか、と。太平洋戦争というのは、アメリカが断然、日本の十倍以上の国力を持っている、それからイギリスもオランダも足し算すれば、日本の十数倍になってしまう。それを相手にして戦争すれば、勝てるはずねえじゃねえかと思うのが、ごくごく常識なんですよね。
神戸:その判断が、できなかったわけですよね。
半藤:できないんですね。なぜかと言うと、自分たちで、自分たちを思い込ませるからですね。「日露戦争だって、10倍の国力を持っているロシアと闘って、勝ったじゃねえか、数の問題じゃない、精神力の問題だ」なんていうあり得ない話を、あり得るがごとく信じちゃうんですね、人間てのは。それで戦争に突入してっちゃうんですから、おんなじことなんですよ。私たちもやっぱり同じように、自分の中に、想像、架空、希望的観測に基づくところのある判断をするんですね。
神戸:どうしても、ですね。
半藤:歴史ってのは、よく考えてみれば、人間学なんですよ。
神戸:人間学。
半藤:人間てのはそんなにね、10年前にも20年前にも、あるいは「明治150年」て言いますから150年前でも、そんなに変わってません。おんなじように勝手に自分で思い込みするし、勝手に判断をするし。錯誤をしてもわからないし、大失敗しても反省することはまずない、と。

櫻井:ほんとその通りですよね、変わってないですよね。今、より顕著に表れている気がしますね、人間。
田中:歴史は繰り返してしまうんですよね。
神戸:半藤さんは、リアリティある歴史をずっと書いてきているんです。つい戦前のことを言うと、「日本が汚されている」という風に考えて、戦前のことを美化する方向に行ってしまう人が今、すごく増えているんですが、半藤さんはそういうことをすごく嫌っていました。
 公正に歴史を見て、誠実にその当時生きていた人々の息遣いを感じようとされてきたんだと思うんですよ。
 そういう中で感じてきたことが、「歴史というのは人間学である」ということ。同じように思い込みをするし、間違うし、間違っても反省しないんだと。このあたりが非常にリアリティを持って迫ってくるのが、半藤歴史学だと思います。
櫻井:これ、何年前ですか、録ったのは?
神戸:2年前です
櫻井:2年前ですか、ものすごく納得するお話ばかりでしたね、今のを聴いてて。

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神戸:私は、この人の本を読んで、非常に影響を受けています。それは、「納得がいく」というか、「自分が知りたい歴史」「読みたい歴史」ではなくて、これがこうだったんですよという提示の仕方をされて、それが分かりやすく来る。その言葉遣いに、説得力を感じたわけです。
 つい、自分が「こうあってほしい」「日本はこうであってほしいんだ」「侵略なんかしていないんだ」、そう思いたいがために、そういう言葉を集めてしまう人が多い中で、丁寧に歴史を学んできた方だな、と思いました。
田中:客観的な視点ですね。
神戸:そして、最初で最後の絵本、『焼けあとのちかい』という本を大月書店から出版されているんですけれども…
田中:絵本?
神戸:絵本です。
 そこでは、「絶対という言葉は使わない」とずっと言ってきましたが、最後に一言だけ、「絶対に戦争は始めてはいけない」ということを伝えたい、と書いておられました。
田中:重い言葉ですね。
神戸:立派な方だと思います。ぜひ読んでいただきたいと思います。
櫻井:神戸金史の「勘弁ならねえ!」でした。


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