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本当に残念で素晴らしい話4

正解は永遠に見つからないループ

科学的なことや数学的な「解」がはっきりと存在するものは別として、
日々、人が悩んだり迷ったりすること、「私」が「考える」ことに関しては、正解はどこにもない。

一時的に辿り着いた正解らしき何かはあっても、それが正しいという本当の正解はない。
ただ「私」が「考えた答え」でしかない。
他の人にとってはそれが答えではないということが、多々ある。

そして本当に答えが見つかったならば、それ以上に答えのようなものを求めることはしない。

でも人は、いつもいつも何かに悩んだり迷ったりする。

何をしても、一時的なものでしかなくて結局はしっくりいかないのである。

引き寄せが働かないことに本当は気づいている

自分が願って、努力をして結果を引き寄せられたと感じているとしたら、
それは希望していた結果が事実として起きた。ということ。

それは確かに「私」にすれば良い事だし、いけないことでもないし、
起きた事実を純粋に喜べばいいこと。
ただ、あくまでもそれは「自分が引き寄せた」と、「自分の力」だと考えたこと。に過ぎない。

努力の結果や、祈った結果に願いが叶うようなことも確かに起こる。

そして、次の願いは?願いは祈れば全部叶う?
努力や願いだけですべて叶えている人はゼロではないだろうか。

ということは・・

観念だということ。
すべては「起こる」 という事実だけしかなくて、「引き寄せたように感じる」という実体のない曖昧なものに対して「引き寄せ」としているに過ぎない。

人が求めているのは、欲しいものを得た時の充足感。

欲しい物、誰かとの関係性、地位や名誉、お金。etc..
自分の願うものが手に入った時、その時は大きな充足感が湧きおこる。

ただ、ただ、ただ。
それが続くかといったら、続かない。

次から次へと求め始める。

満腹感も同じ。
そのときはお腹いっぱいで、もう食べ物はいらないとすら思うけれど、
結局はまた食べたくなる。

求めていないもの。
例えば空気。空気は求めなくてもそこにある。いつも。
欲することはありえない。
(高地や特別な酸欠状態では別にしても)

いつも満ちあふれているから、誰かが独占する必要もない。

「私」がいつも求めているのは、その空気のようなもの。
絶対的安心。求めなくてもいつもある安心感・充足感。
探さなくても在ること。

絶対的安心感は、「何か」という対象物にはない。
二元の現実で生きている以上、「対象物」に「ある」という感覚が「ない」を生み出してしまう。

永遠に不滅の求めるものは、この現実世界にはないということ。
でも本当は誰の目の前にもある。ただそれは対象物や人ではないというだけで。




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