見知らぬ番号から電話がかかってきたら、母が危篤だった
10月13日。
昼過ぎに、見知らぬ電話番号から電話がかかってきた。
0XXだったので、覚悟をして電話に出た。
XX市役所からだった。10年ほど絶縁していた母が
昨日(10/12)、病院に緊急搬送されて生命が危ないと
説明を受けた。
母が危篤
一体、なにが起きているのかわからない状況のまま、
教えられた病院に電話を掛けた。
看護師の第一声は忘れもしない。
「見つかった! 」だ。
私は逃げも隠れもしていない。しかし、看護師からの
見つかったという言葉の真意はすぐわかることになる。
「身寄りがない人が搬送されて、親族を探していた。
骨、持って帰れますか」
危篤のはずが、骨。母の状態は生を飛び越え、
死にひた走っていた。
主治医にはすぐに連絡が取れず、すこし経ってから
腎臓内科の医師から病状の説明があった。
急性肝硬変。ほとんどの臓器が炎症を起こしていて
腹水も溜っている。足も壊死の状態でむくんでいる。
多臓器不全を起こしていて、いつ急変してもおかしくない。
肝硬変。一般的にはアルコールを飲む人が罹る
イメージだ。母は飲酒も喫煙もしない。
本当に搬送されたのは母なのだろうか。
母の搬送拒否
医師からの説明が続く。
一昨日(10/11)に母が具合が悪そうなのを見かねて、
近所の人が一度救急車を呼ぶも、母が搬送拒否。
搬送拒否で良いという承諾書にサインしているという。
翌日(10/12)、体調が悪化し救急車で搬送。
その時までは意識があり、自分の意思で延命治療も、
高額医療?も拒否するとサインしたそう。
もう、生きるつもりないじゃん。
心のどこかで、見知らぬ番号から連絡があったら、
その時と覚悟はしていたけれど。
どうしてXX市に住んでいたのか。
どこに住んでいるのかは謎のままだった。
医師の説明は、「いつ急変してもわからない」の
一点張りだったので悩んだが、病院に向かった。
搬送された病院は、最寄駅からもまた
バスに乗らねばならず、家から2時間以上かかった。
到着した時にはすでに面会時間を過ぎた18時半だったが
15分だけ面会できた。到着すると、病院からは亡くなる前から
ずっと葬儀の話をされた。
ナースステーションから一番遠い部屋だった。
以前、重篤患者ほどナースステーションに近いと
聞いたことがあったので、「実は大丈夫なのでは」と
淡い期待を抱きながら「イケモリミヨコ(仮名)」と
書いてある部屋に入った。
一番奥の部屋だった理由は、のちにわかることとなった。
管だらけの母
そこには、管だらけになってベッドに横たわる
母の姿があった。
「えっ、これミヨコさんなの? 」
部屋中、ホルター心電図の異音が
ピーピー響き渡っていた。
部屋に入るなり、すぐに母の手に目をやった。
「洗い物をしないから手が綺麗」といって、
いつも手を自慢していた母。
子どもの頃、ハンドクリームを塗ったばかりの手で
おにぎりを握って、私に食べさせた母。
口の中にクリームの油分が広がっていったのを
唾液で飲み込んだ。私にとっての母の味は
ハンドクリームだ。
10年ぶりにみた母の手は、母の願い通り
しわの目立たない白魚のような手だった。
両手の甲には釣り針のような大きい針が刺さっていて
皮膚が隆起していた。
管で排尿されていて、袋の中はどす黒い色だった。
口には呼吸器がはめられて、餌を求める魚のように
「ううっはー、ううっはー」
と繰り返しながら口を開けていた。
左目は閉じたままだった。
これが、人間なのか……。
瞳も動かないし、反応もなかった。
「みよこさん」と呼びかけたし手も握った。
もう冷たかった。
確実に死が近づいてるのがわかった。
『奇跡体験!アンビリバボー』みたいに、
病人の意識が戻ったり、突然、話し出したりも
瞳が動いたりするような奇跡なんて起きなかった。
でも口を開けて息を吸うとき、
一度だけ大きく開けた。
多分、笑ったんだと思う。
私のこと、わかってくれたって思いたい。
いや、そんな思いが覆るようなことがこの後続くとは
思いもよらなかった。
帰宅後、色々な不安と現実が押し寄せてきた。
ありがとうございます。著書を出版できるよう、資料購入などに使わせて頂きます。