メリークリスマス。
私がここにいたら家の安寧が崩れるから。
そういって部屋を出た。
クリスマスの楽しいひと時のはずだった。毎年毎年楽しみにしている、大好きな家族のひと時のはずだった。
入れ替わりでその人が来れば私は黙る。どうしようもない圧があって私はその場から退避する。今日くらい、食事後の時間にゆったりとおしゃべりしながら一緒にテレビを見たかった。
まるで幼いときに合った仲間外れと同じようだった。ボスの子が部屋に入ってくれば、周りの子は黙り、標的になっている子は獅子が覚醒する前にその場を去るかのような。
その人の目線は私を刺した。
私が何かその人の行動に対して言葉を発すれば、
「 … は ? 」
という目線が飛んできた。無言で、口は直線に結んだまま目だけを見開いて。
……”その目線” が、人の心を簡単に破壊することを、相手は知っているのかな。
その目線は私がつらくて登校拒否を本気で訴えようとしたときのボスの子のさげすむ目線とほぼ同じだった。自分と同じ「人間」だと認識している相手には決して使えない目線。
勘違いならどれだけ、私の思い違い思い上がりならどれだけ、よかったか。
その日、私がその人と会話することはなかった。その人の問いかけに私が返してもあの「目線」しか返ってくることはなく、別の人が瞬時に復唱した言葉を拾っていた。私が復唱する形になったときはご丁寧に私の方にだけあの「目線」が返ってきた。それか、なにも返ってこなかった。
前々からウマが合わない部分はあった。でもそれが最近になって明らかに顕著になった。昨日は私が耐えきれなくて自室に消えた。今朝言葉を交すこともなかった。
みんなで用意したご飯をワイワイしながら食べて、プレゼント交換をして、ケーキを食べて談笑する。終わったらゆったりテレビを見たり片付けの準備をしたりする。そういう感じだった。大好きだった。あの空間が大好きだった。
身内も大好きだ。本当の意味で嫌いになることはない、私は嫌いになり切れないということはもう自分でもわかってる。
何度だって期待して、何度も何度も泣いて、それでも私は諦められないということを自分でも理解しているから、こうなることは予想されていたことで乗り越えるしかない、諦められないなら耐えるしかないと分かっていても。
肉親から向けられる明らかな軽蔑の目線に、傷つかないことなんてなかった。
不安になって周りに聞いた。私まずいこと言った?と。気に障ること言った?と。帰ってきた言葉は「相性が悪いんだよ」。それじゃどう直したらいいの。直せるなら直すよ、でも当の本人からは「それさえも分からないの」だけ。この部分ですか、それともこの部分でしたか、と聞いてもため息の返事しか返ってこない。どうしたら分かり合えるの、何を汲み取れば正解なの。その答えはいつか教えてもらえるの。
明日になれば私はいつも通りの笑顔で家族の前に出ていく。noteを書きながら文章を打ち込みながら涙が流れ落ち続けてる今の状況を家族が知ることはない。なんなら私も、傷跡だけ心に刻み込まれてこれらの記憶はパッと忘れるから。ふとある時に思い出して夜部屋の片隅で静かに泣くのは小学校のときの定番だったから。
だから、書いておかなきゃ。
私が忘れてしまわないように。
これだけのことがあっても最終的には笑えるのだと笑い飛ばすためにも。
向き合い続けた結果お互いに幸せな結果が待っていたよと未来の私が言えるためにも。
振り返った私が、このまま向き合うことは「これ本当は私がやるべきことではないかもしれない」と気付くための何かのフックにするためにも。
この家にとらわれていたらいけないと、経済的自立を叶える前の弱気になる私を鼓舞するためにも。
それでも私は世界一幸せな女性になったんだと証明するためにも。
書いて、書きながら泣き疲れて意識切れて寝て、周りの人たちが起こしてくれて書き上げた、クリスマスの夜にあげる予定だったnoteがあったことを残しておきます。
20.12.25~26 【メリークリスマス。】
P.S. 突然なる邪魔者さんが入ってきて話しながらタイトル打ってたら【メリーくろすマス】になってて笑った。私はこっちの方が好きです。だって意味 わからないでしょ(笑) せっかく、キメようとしてたのに。笑
ありがとう。なぜか私の布団占拠して勝手に寝てる突然の訪問者さんへ。