私たちにできる、自分の心の救い方
1年に1回の恒例行事を終えてはしゃぎつかれた私は、自分の部屋で大好きな電子漫画を読みながらごろごろしていた。
没頭して読んでいたけど画面の明るさが気になって周りを見てみたら外は真っ暗。電気もつけずにいた部屋は漆黒。暗闇という言葉がこれ以上ないくらいぴったりだった。
等身大のクッションを抱きしめてまどろむ。 ぎゅー、もごもご。
部屋の隅に体を向けていたから私の視界に光は入らない。何も考えず心地よい安心感に包まれる。ずっとずっとそうしていたかった。
時間が気になってちょっと体の態勢をずらしてみると光が差し込んでいた。ほぼ黒しかない中でも濃淡が浮かび上がり、いろんなものの情報が取れるようになった。
光はわずかに開けていた窓から差し込んでいた。暴風がゴオオオという音とともに窓にかかっていたはずのカーテンをめくりあげ、ちらちらと主張しすぎない外の光が部屋の中を照らしていた。
その光景を見つめながらぼんやりと思った。
これ、昔一人暗い部屋の隅で泣いていた時とおんなじなんだ。と。
幼い時片親に叱られては、暗い部屋の隅で一人泣いていた。気づかれないよう声を殺して。うまくいかないときも一人泣いていた。誰にも、言えなかった。
でもそうした部屋の中には必ず外から光が届く。どんなに暗い部屋で一人泣いていたとしても、ガラス越しや窓越しに、主張しすぎない優しい光が届いていた。
その光に私は何度も救われた。
ちゃんと追えばたどり着くのは何でもない電球とか、暮れ切っていない外の灯りとかで、別に私たちの心を直接慰めてくれるものじゃなかった。
それでも、その光は「その先に何かあるかもしれない」と思わせてくれた。自分の心を助けてくれる何かが、あるんじゃないかと思わせてくれた。
等身大クッションを抱きながら今日もその光を追ってみた。
窓からやわらかく入り込んでいた光は、沈み切ったばかりの夕日が残す明るさだった。
漆黒、濃紺、紺、群青、雲がまばらに散る青の空、夕日に照らされ鴨の羽色や柳緑色のような緑色の空の先に、若芽色のような淡い黄緑色のような空が広がっていた。
その美しさに魅惚れた。浄化されたみたいだった。
私たちには日々辛いことも起きるし悲しいことも起きる。いやになって投げ出したくなったり、周りの人を頼れなくて一人で抱え苦しい思いをすることもあると思う。
そんなときは目に入った光をちょっとだけ信じてみてほしい。
追いかけなくていい。別に何か行動を起こさなくてもいい。ただ、「この先に何かあるかもしれない」そう思えるだけで、救われる私たちの何かがある。
信じてもいいな。そう思えたらまた歩き出せるようになるから、今日はしっかりクッション抱きしめて寝ます!!
そうしてゆっくり、前に進んでいこうね。
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