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「助けて」といえた日


「本当にどうしようもない相手っているんだよ。もう自分たちの足で歩き始めるんだから、もう気にしないでいいんだよ。」


高校の同級生と久しぶりに再会し、ちょっとしたお茶会のはずが話が盛り上がってお泊り会に発展。何の気なしに私が言った言葉に友人たちが返してくれた言葉がこれだった。


普通だと思って生活してきた環境が、ちょっとおかしいのかもしれないと思い始めたのは高校3年生の時。決定的に実感したのは大学3年生の時。小学生のときもつらかったけれどあのときはいろんな意味で必死だったし、中学のときは部活が全てだったから家にいなかったし、高校1,2年生も部活でほぼ家にいなかった。その状況に私は救われていたんだと知る。



高校3年生・大学3年生の時、何があったかはこの記事に書きました。私の大事な転換点です。よかったら読んでみてください。




家族には支えてもらっていたし、私が在学中にしたやんちゃの泥を一緒にかぶってくれたこともあった。自分一人ではどうにもできないことばかりだったから批判することも、悪く言う気もなかった。

実際、私はこの環境がこうは育たなかったし、今で会えている人にも出会えていない。今得ている知識もスキルも感覚も想いもなかったはずだから。

幸せな時間は間違いなくあった。大好きな空間で、大切に思っていることは何も変わらない。変わることもない。


でも。


じゃあ私はなんで今、家に帰りたくないと泣いているんだろう。

今までにあったこの記事に書いたようなことを、同級生たちに話したんだろう。


同級生の友人たちを信用していたのもあった。自分が感じる違和感が日に日に大きくなっていっていたこともあった。いろんな形で自分の過去について話す機会があって伝え慣れ始めていたこともあった。

でも一番は、私が相手を頼り相談するということを覚えたということだったと思う。


聞いてほしかった。周りにとってこれは普通なのか聞きたかった。機嫌が悪くなったら最後、自室まで追いかけてきて手をあげられるのはあることなのかと聞きたかった。機嫌が悪くなった時に口から出る言葉は、本当に私に向けて発せられるべき言葉なのか他の人に判断してほしかった。

友人から返ってきた言葉や、お泊りをさせていただいた友人のご家族の話を聞いていたら、もう本当に、家に帰りたくなくなっていた。泊まるからと連絡を入れたときの電話の奥で響くある人の声を聴いた瞬間私は顔を歪めた。


大好きだけど。大好きだけれども。



もう私は崩壊する寸前だった。



いつまで顔色を窺えば、いつまで私のやりたいことを抑え込めば、いつまで苦しいと誰にも言えないまま、この状況を過ごせばいいのだろう。

おかしいと思いたかった、でもおかしいと意識してしまえば私の心はもう持たない。おかしくないと錯覚して心を保つしかなかった。逃げ出せるなら逃げだしたかった。大好きであろうと関係なかった。育ててもらった恩も、迷惑かけたお詫びも、忘れたわけじゃない。ここまでの生活を送らせてもらったことは恵まれていたし、感謝しかないことも変わらない。でも。


助けて、ほしかった。 この状況をおかしいと言ってほしかった。


認めるしかなかった。自分はつらいのだと。言葉にするしかなかった。誰かに伝えるために。認めなければずっと笑っていられた、でも今までそうやって何回わたしを殺してきたのだろう。認めれば今まで殺してきたわたしを直視することになる。ボロボロになった私なんて見たくなんかなかったけど、


「みんななら、聞いてくれるはず。」


そう思えたのだった。そして返ってきた言葉が、


「本当にどうしようもない相手っているんだよ。もう自分たちの足で歩き始めるんだから、もう気にしないでいいんだよ。」


冒頭で紹介した、この言葉だった。



それでいいんだと実感するまでに、数分かかった。

やっと理解できたとき、私はくしゃくしゃに笑っていた。



夜寝るまでたわいもない話がずっと続いた。私の「助けて」話を話していたのはもう何時間前なのか分からないくらいに。幸せだった。本当に楽しかった。

自分が傷ついていると認め助けを求められる相手がいること、相談にのってもらえることが、どれだけ嬉しいことか気付けた。



私も苦しいといってよかったんだと、気付けた日だった。




2020.12.28 【「助けて」といえた日 】

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