自分の作品がつまらないのだが

ダウナ〜な時期ですね。年末に向けてどんどん忙しくなっていくこの感じ、好きじゃあないですよ。

どうもリユです。

すっかり更新頻度が落ち込んでいる「なごばし」とその上をいくnoteですが、そんな状況でも読んでくれる人がいることに感謝でしかないです。

さて、今回もまたまたTwitterで言うと問題が起こりそうなのでnoteにまとめる話題です。

最近、自分の漫画がつまらないと感じる

見出しの通りです。僕は普段、Twitterを拠点にクルマに乗る少女たちの日常漫画『なごばし』を連載していますが、昔の作品を読み返していて面白いことに気づいてしまいました。

「直近3ヶ月くらいの漫画つまらない!」

と言うことに。

「えぇ・・・」と思った読者のみなさま。ご安心ください。あなたがつまらないと感じたかも知れない話が逆に作者のお気に入りだったこともあります。

「なぜこんなに面白いのに伸びない!!!」と枕を濡らしたリユです。

話を戻しますと、なぜつまらないのかと言う原因がここ最近わかりました。

ズバリ、水増しです。

水増し
水をまぜて見掛けの量を増すこと。転じて、乏しい実質を、見掛けだけそれ以上に思わせるようにすること。数量を実際の量や規定の量よりも増やすこと。
出典:weblio

最近、何か昔の作品と決定的に違うと思う部分がこれです。とにかく水増し感がすごいのです。昔の「なごばし」はあまり世間体とか評価とか気にしないで書いていたんですが、これがまぁ人間ダメなもんです。

周りの目とか気にし始めると、なんっか上手くいったやつとか評判良かったネタを何番煎じかして、ページ数も適当に引き伸ばしてPVだけ稼ごうとする魂胆が生まれます。よくないですねぇ。

成功体験が逆に足かせになる時

2019年というのは、夢見リユと言う、お絵描きマンが絵師を名乗り始めたキッカケの年とも言えます。と言うのも、ちゃんと絵に値段をつけて売った経験をしたから。そして、その経験の大元にあるのは、いくつかのバズツイートです。

フォロワー5000人を超えたのも2019年でした。初めてのコミケゲスト参加など、自分が今までやってこなかったことに少しずつチャレンジした年が2019。

そして2020年は、この年の成功体験が自らの足を大きく引っ張っていることに気づきました。

2019年はこれで上手くいったと言うような、チャレンジではなく、守りの体制が出来上がったのです。

理由は簡単。

フォロワーが減るのが怖いから

ビビリはだいたいロクな結果を産みません。正確に言うと、ビビリなのに虚勢を張った時、人間は概ねゴミになります。

そう、ゴミです。

既得権益にしがみつく老害を「ああはなるまい」と散々糾弾し、軽蔑し、いずれは彼らから生きる尊厳まで奪ってやろうと誓った中二病全開の僕も、一つの成功体験でグラッとしてしまったのです。

浅はか。浅はか極まりなくて浅漬けになったわね

成功体験にはそれを支える失敗体験が必要

一発屋は一発当てただけでも値千金ですが、自分の場合は少し違います。

僕はずっと安全策で地道にフォロワーと読者を増やしてきましたが、2019年ばかりは違いました。たまたまツイートを見てくれた読者と交流する機会が増え、周りにいた人たちが増え、何か天狗になっていた。

そして、知らぬうちに守りに入っていた。

その理由は全て「プライド」と言うつまらないもので大体の説明がつきます。「俺は凄い絵師なんや」「炎上するところは見せられない」「カッコつけてないと後ろ指さされる」と言う被害妄想から、希釈して水増ししたコマで割っただけの落書きを量産していたのでしょう。

なんか見たことある漫画のネタか、高校時代の自分の思ったことを写し書きした物に、誰も惹かれない。ライブ感が足りないのです。

そして、そう言う殻を破るために、今自分に必要なのは失敗経験なんだろうなと思います。

失敗というのはネガティブなものですが、ある種最強の武器にもなりえます。失敗経験というのは、それでも今日笑っているという、未来と過去と今が不変ではないということの証明になるのです。そして、逆に成功したときに天狗にならない人はそうしたことから学んでいるんじゃないかと疑っています。

つまり、失敗という支えがあって、初めて成功という巨大な実績を支えることができるんじゃないかと思っています。

成功だけの人間が、逆に失敗した時に折れてしまうのはこういうところにも原因があるのかもしれないですね。

自分はずっとぬるま湯で安全な橋を渡っていましたが、そろそろ一度、地獄に堕ちた方がいいんじゃないかと考えることがあります。

失敗できるのも才能

しかし、失敗は難しい。特に、自分のような石橋を叩く以前に渡らない、近寄らないタイプに関しては。

失敗というのは結局何かしらのアクションを起こさない限り絶対に起きません。何もしなかった結果訪れたトラブルは失敗じゃなくて事故です。勿論、自己都合の事故なので保険はおりません。自費精算です。

なので、アクションを起こすモチベーション、ないしはエネルギーが必要。欲しいのです。

自分は圧倒的にアクションを起こさない人間ですが、その一番の理由にあげられるのは、失敗することではなく、失敗によって自分というプライドが崩れ去っていく事を、想像しただけで夜も眠れないからです(なのでこの記事も不安に駆られながら深夜に書いてます)

いや、本当に病院に行くべきなのかなというレベルの強迫観念によく襲われますが、これで本当に病気だったらどうしようと思うと病院にもいけないのですが、、、

ともかく、今後失敗を恐れないと言うか、失敗することで大きな何かを失うんじゃないかと言う恐怖に打ち勝つのがマストなのではないかと思っています。

面白い作品にするための一歩

とりあえず、これではラチがあかないので、まとめに入ります。

これから、僕の漫画を面白くするために何が必要かと思ったんですが、と言うか、失敗体験がないのが明白なんですが、僕にとって失敗とはなんだろうかと思ったら、失敗じゃなくて、批判なんですよね。

気持ちの良い言葉だけしか耳を傾けていないし、作品の都合上、意外とアンチが少ないんです。なので、このnoteを読んでくれたあなた。是非ともDMでアンチコメントよろしくお願いします。

いや、と言うよりは自分から動くべきなので、そろそろこの作品もどこか出すべきところに出して然るべき評価というものをしっかり点数や市場の数字として見える化した方がいいのだろうなと。

薄々気づいていることをしっかり見えるようにしなければ、この問題は解決しないんでしょうね。

嗚呼、noteを書いていたら夜が明けてしまった。朝焼けドライブなんかも数年行ってないし、これからドライブでもしてこようかしら。

追伸

作品のクオリティと効率という話が前回の話題であったが、今回はその延長の話しだったような気がする。

過去に上手く行ったパターンを踏襲するのは効率的、且つ成功率が高い。特に業務上では事故は最も避けるべき物だからだ。こうなってしまう事には頷けるが、作品を取り扱う作者にとっては、過去の自分のネタをパクるという行為は最大の愚行ではないだろうか。

作業を遂行する人間に発生する責任はその作業に対してだけだが、趣味や夢というのは自分が資本であり顧客であり経営者だ。責任は全て自分に降りかかり、また支払先も自分という事になる。

結果が全てという結論に至った前回だが、今回は逆に結果が出ない理由として、「過度の効率主義による水増し感」「強すぎる思い入れ、作品への親バカムーブメント」という二つの例を取り上げたが、要するにどちらかに傾き過ぎてはいけないのではないかと言うことがわかる。

最近、ニュースなどを見ていても思うが、世論やメディアというのは極論を行ったり来たりすることで新しいトレンドを追いかけているように見せかけているのでは?と思えてならない。だから10年おきに流行りが一周回ったりするのだ。

極端なものに人は安心できない。永住の地というのは自分が探し求めてようやくたどり着くバランスの上に成り立つのではないだろうか。そして、その形は、人から見て不恰好でアンバランスなものでも、自分の中でバランスが取れていることが大切だ。

私がこの記事で強くそう思ったのはそういうところである。極端で大きな言葉を使って思考を放棄するのは容易なことだ。しかし、その放棄した思考の行き着く先に、本来求めるものがある。

思考し続ける体力。これを持続させることが、この記事を読んで率直に感じた私の意見だ、

近道はないが遠回りもない。時間は一定速度でしか進まないのだから密度をあげるかどうかというだけの話のような気がする。

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