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綴る

 大好きな本に囲まれる毎日を過ごせる私は運がいい。

「この間、問い合わせていた本、貸してください」

 カウンターに身を乗り出してきたのは、2年の深町美月だ。私は、棚から本をを取り出した。美月は、辺りをキョロキョロと見渡している。探しているのは、きっと3年の畑上陸だろう。美月は、畑上がいないことが分かると、少し悲しい顔をした。

「私、この本、ずっと探してて。まさか高校の図書館にあるなんて思わなかった」

 美月の言うとおり、ここの図書館は大きくない。本の購入は、学生のアンケートと図書館スタッフの推薦で、月に数冊ほど新刊が入る程度だ。

「この本、面白いですか」

「そうね、面白いというか。この本は、自分に正直になれる本よ」

 美月に本を手渡すと、悲しい顔は一瞬だけ笑顔になった。

「1週間後、返しますね」

 そういうと、美月は窓際の席に座って本を読み始めた。

「この間、問い合わせがあった本か。題名が分からないって、2年の深町だっけ?よく分かったな。パンケーキが出てくる本ってだけで」

 原拓海が本の整理を終えて、声をかけてきた。

「私、昔読んだことがあるんです。ちょうどあの子と同じくらいの時に」

「へぇ。思い出の本みたいなもの?」

「えぇ。まぁ、そうですね。深町さん見ていると、まるで昔の自分を見ているようで」

「昔の自分か」

 私は、照れ笑いをする。

「あの本の主人公は、奥さんとすごく仲が良くて、喧嘩なんて一度もしたことがなかったはずなのに、ある日、本当に些細なことで喧嘩になるんです」

「まさか、パンケーキ?」

「えぇ。パンケーキを奥さんが焼いてくれたのに、主人公はお腹がいっぱいだから食べないって。人生で初めての夫婦喧嘩をしてしまって。すぐに謝るつもりだったんですが、奥さんは死んでしまった。主人公はとっても悔んで、その日から奥さんに宛てた手紙を毎日書くんです。なんだか、とても切ないんですけど、すごく愛されていたんだなって。普通に過ごす日常が、本当はすごく幸せなことなんだなって、改めてあの本読んだらそういうこと考えさせられちゃって」

 あまり会話を好まない私も、本のこととなると、ついつい話すぎてしまうようだ。原も、そんな私の話を、優しい表情で聞いてくれていた。

「それに…」

「それに?」

「まだ学生だった頃、あの本に手紙が挟まっているのを見つけたんです。多分、誰かに宛てた書き損じだと思うんですけど。素直な君でいて下さい。たった一行の文だったんですけど、とても素敵だと思って、私もつい書き足したんです。いつまでもそのままの君でいてって。そしたらいつしか、色々な人が次々にその紙に素敵な言葉を書いていって」

「へぇ」

「私、その本を、間を開けて何回も借りて。その度に、いろんな言葉が増えていて、なんだか知らない人たちとその本を通して、交換日記してるみたいに思えて、楽しくなっちゃって」

「交換日記か、懐かしいな」

「何だか、不思議ですよね。今の時代、メールとか電話とかすぐに繋がってしまうんですけど、やっぱり手紙ってなんだか新鮮で」

「そうだな。もしかして、あの本にも?」

 私は、原の言葉を笑ってごまかした。きっと、あの本を紹介したのは畑上だろう。

 ー勇気を出して。

 私の一言は、美月に届くだろうか。

 美月は、畑上が来るのを見つけると、少し頬を赤くしながら遠くから彼を見つめている。二人の間には、爽やかな風がゆっくりと流れていくようだった。

 

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