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バースデーは満天の星の下で

 明日で、僕は36歳になる。僕は、誕生日という日が、ずっと嫌いだった。
 
 外は、あいにくの雨で、カーテンを開けると雨空が広がっている。

「雨、あがるかな」

 心配性の妻、楓は、室内に洗濯物を干しながら不安そうな顔をしていた。

「充は?」

「まだ、寝ている」

 もうすぐ夏休みになるというのに、息子の充は、小学5年生になってから、ほとんど学校に行かなくなった。きっと早めの反抗期だろうなどと、自分に言い訳をし、僕は、息子の現状に目を逸らしてきた。

「きっと晴れるはずよ」

 楓は、ベランダのてるてる坊主を指差し、にっこりと笑う。その顔に、ホッとする。親だというのに、息子のことがさっぱりわからない自分は、父親失格なのかもしれない。きっと父も、こんな気持ちを抱きながら子育てをしていたのかと思うと、父の背中が大きく見えたあの頃よりも、大人になったと感じるようでもあり、いつまで経っても、子どものままでいる自分に嫌気がさすようでもあった。

「それ、出しておいたよ」

 楓は、僕のことをよく分かっている。机の上には、押し入れに仕舞ったままにしておいたカメラが置かれていた。父が、若い頃に愛用していたものだ。もう、随分と手にしていない。カメラを手に取ると、それはしっかりと手入れされていた。きっと、楓の気遣いだろう。
 
 大きくなって、自分が父と同じ趣味を持つようになるとは思ってもみなかった。元々、カメラが好きだったのは楓だ。充が生まれ、成長を写真に残したいと楓のカメラを借りたのがきっかけだ。それから、親馬鹿のように充を撮り、カメラの世界にどっぷりとはまってしまった。しかし、つい最近は、自分のカメラでさえ、押し入れの中に眠らせている。充と出かけることも減り、寂しい時間を過ごしていた。

 「充を、自分の生まれた町に、連れて行こうかと思っている」

 そう楓に話したのは、ちょうど1ヶ月前だ。楓は、少し驚いた顔した後、それはいいかもしれないと笑った。実家は、母が、姉と同居するために町を離れてから、しばらくして他人の手に渡った。充も幼稚園に上がる前に連れて行ったきりで、きっと記憶にないだろう。

 何かのきっかけになればいい。僕は、充に星空を見に行かないかと誘った。その時の充は何も答えなかったが、次の日、パソコンで実家のあった町を検索していたらしいと知った。

 星空の町、小さな頃から僕の記憶は、あの時のまま綺麗だ。父は、バイクが大好きな人だった。大きな背中はしっかりと覚えている。いつも、僕の頭を優しく撫でてくれた父の顔は、歳をとるごとにおぼろげになる。無邪気で子どものような人。父は、いつも母に叱られていた。僕は、そんな父が大好きだった。

 夜になると、楓の願い通り、雨はすっかり上がっていた。充は出てくるだろうか、そわそわとした気持ちを押さえるようにして、僕は運転席に乗り込んだ。
 玄関が開くと、楓が夕食の入ったクーラーボックスを手渡してくれた。

「ありがとう」

 楓の後ろから、充が顔を出した。慌てた僕は、出かけるぞ、と声をかけるのが精一杯だった。充は、ろくに返事もせずに助手席に乗り込んだ。

「行ってくる」

 楓の見送りをバックミラーで確認しながら、僕は会話のきっかけを探していた。1時間ほどのドライブ。充と2人で出かけるのは、久しぶりのことだ。

「最近、あなたがいない間、カメラを触ろうとしている時があるの」

 充も、僕と同じようにカメラに興味があるのかもしれない。信号待ちをしている隙を見て、僕は、充に自分のカメラを手渡した。充は、それを興味深く見つめている。触っていいのか、僕の顔色をうかがっているようだった。

「触っていいぞ」

「いいの?」

 充の嬉しそうな声を聞いたことで、僕の緊張もほぐれていく。

 渋滞で予想より遅くなって、ようやく目的地に到着した。僕は、空き地に車を止める。

「ここ?」

 不思議そうに、充が窓の外を覗き込む。僕はすぐに頷くと、荷物と父のカメラを手に車を降りた。小高くなった丘を登っていく。しばらくすると、開けた場所が現れ、僕は充と腰を下ろした。

「見てごらん」

 充は言われるがまま、空を見上げた。木々の間から満天の星が広がり、今にも手が届きそうなくらいだった。

「うわぁ」

 充が声を上げる。僕は、立ち上がり、カメラ機材の設置に取りかかった。充は、待つことが出来ない様子で、すぐにカメラを構えてシャッターを押した。

「あれ?」

 真っ暗な画面を見つめ、充が首を傾げる。

「星空を撮るのは難しいんだ」

 カメラを脚立にセットし、設定を変更する。充もその様子を、目を輝かせて見つめている。

「ほら、押してみて」

 充は、ワクワクした表情をして、シャッターを切る。撮れた写真を見ると、ぶれてはいるが、星らしきものは写っていた。充は、また、わぁーっ、と声を上げた。僕は、何度か試しにシャッターを切り、調整を行なった。

「よし、これで撮ってみろ」

 充は、夢中になってシャッターを切る。楽しそうな笑顔を見るのは、どれくらいぶりだろうか。幼かった頃の僕も、充のような純粋な目をしていたのだろうか。

「あ、12時だ!父さん、おめでとう」

 しばらくして、充の声で腕時計を確認する。時計は、12時を回ってしまった。

 今、僕は、父よりも年上になった。

「どうしたの?泣いているの?」 

 あの時の父は、きっと、まだやりたいことがあったはずだ。僕にも、伝えたいことが山ほどあったに違いない。充の小さな手が、しゃがみ込んだ僕の頭を優しく撫でた。

「ごめんね、父さん。僕、学校に…」

「いいんだ」

 僕は、思わず充を抱きしめた。父は、30年前、僕をこの場所に連れてこようとして死んだ。僕が父の死を知ったのは、病院のベッドの上だった。雨が降ったあの日、父は別の日にしようと僕を説得したが、誕生日だからと駄々をこねた僕をみかねて、夜遅くに連れ出してくれた。

 事故にあったのは、僕のせいじゃない、と母は言った。

 父がこの世を去った年齢を超えた僕は、今、こうして自分の息子とこの場所に立っている。あの時、見るはずだった夜空が目の前に広がっている。僕はしっかりと充の手を握りしめた。

「充、これでも撮ってみるか」

 父のカメラを取り出す。充は、うん、と嬉しそうに返事をした。天国の父に届くだろうか。僕は、夜空に向かってカメラのシャッターを切った。

「真っ暗だね」

「そうだな」

 充は、調整は僕がやるよ、と笑った。


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