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一番の味方になりたい。

もし今の世界が自分が望む通りになるとしたら、あなたはどんな人と過ごしたいですか?
家族、仲のいい友人、大切なパートナー、自分ひとり、、、いろんな答えがあると思いますが、積極的に「自分を攻撃する人」と答える人は少ないと思います。

叶うなら、幸せに生きられる世界に生きたい。好きな人たちと過ごしたい。でも、そうもいかないのが現実です。出会いたくなくても、「嫌だな」と感じる人や出来事には出会ってしまいます。

変えられない運命も、ある。

今までそう思って過ごしてきました。
でも、今から書くことを通して、「自分の人生は自分でつくれるのかもしれない」と思うようになってきました。

私の今闘っている話を、少しだけ残しておきます。

限界に近く日々

いきなりですが、私は当時限界を迎えていました。
とあることがきっかけで、男の人の突発的な大きな声を聞いたり、男女問わず誰かが怒りを表現している場面を見たりすると、手が震え、言葉が出なくなり、時には涙が出てきてしまうことが増えていました。

もちろん、そのような場面は日常のどこでも起こり得ます。
電車、道端、お仕事、家庭…
通勤途中の電車で喧嘩をしている人たちを見て、その後の仕事に支障が出てしまうなど、割と発作的なものが出ると治るまでに長い時間を要します。

もともと大きな声(特に太い低めの声や、突然聞こえる大きな笑い声)は苦手だったのですが、発作が出始めてからは自分自身を落ち着かせることができなくなり、「なんで…」「こんなことで泣くなんて」と自分を責めることが多くなっていました。

その現状を見たパートナーが今のクリニックを進めてくれ、クリニックに通うことになりました。はじめは主に主治医との面談から始まり、カウンセラーから生活指導を受けるところから始まりました。

診断

通院しはじめて2ヶ月ほどは特に診断もなく、私自身気持ちを落ち着かせるために通院しました。できるだけ早く、日常生活に支障が出ないようにしたいという気持ちでいっぱいでした。

少し余談ですが、通院する過程の中で知った、HSPという特性を知ってからは、少し自分を責めなくなってきた気がします。
自分に怒りを向けられていなくても自分のことのように感じてしまったり、とにかく周囲の感情に敏感だったりするのはこの特性が関係していたのだ、と納得していました。(HSPについては以下のnoteをご覧ください)

とはいえ、HSPを知ったからといって発作がよくなるわけではありませんでした。あまりにも苦しすぎて、「もう生きていたくない」と思ってしまうほどに苦しくなっていたのを覚えています。

すぐに泣く。苦しくなる。言葉が出てこなくなる。手が冷たくなって、震えて、冷や汗が出てくる。
こんなことはしょっちゅうでした。

そして、さらに症状は悪化していきました。
あ、なんか私やばいかも」と思い始めたのは、
眠れなくなってきたことと、「過去」がふと湧き出てくるようになってからです。

夜眠ろうとすると、なんだかモヤモヤして眠れなくなり、だんだん「いなくなってしまいたい」という気持ちが出てきて涙が出て尚更眠れず、明け方にも目が覚めます。
そして、日常の誰かの怒りに触れる瞬間に、時には夢の中にまで、私が体験したいじめや暴力を受けた過去が湧いて出てくるのです(家庭内ではありません。省きます)。

今までも何度かありましたが、そんなことが2〜3日に一度は起こるようになり、主治医やカウンセラーに相談をしました。

様々な検査を受け、診断されたのが
PTSD(心的外傷後ストレス障害)でした。詳しくはこちらのリンクをご覧ください。

トラウマという言葉は知っていましたが、PTSDという病名はあまり知りませんでした。
これまでの発作はPTSDの症状だということがわかり、「あ、これが症状か」と客観的に見ることで、私の場合は多少気持ちが楽になった気がします。

葛藤とコロナウイルス

そこからは治療に向けての準備が始まりました。
説明を受け、私が治療法として選んだのはPEと呼ばれる「持続エクスポージャー療法」です。
カウンセラーと一緒に安全が確保された状況でトラウマを思い出すというもので、想像エクスポージャー(トラウマに立ち戻って話す)と現実エクスポージャー(現実で避けている状況を段階を踏んで体験する)に分かれます。

トラウマについて、表面的に重い空気にならない程度に話したことはありましたが、真面目に話したことはありませんでした。
話した時に自分がどうなるのかが分からず、言葉に出して話せるのか、全く分からず不安が募る日々でした。

いざ治療スタートとなる時に、コロナの影響で外出が難しい状況に陥りました。特に自宅には高齢の祖父母がいるので、なかなか難しい状況です。いったん治療のスタートを延期することになりました。
自粛期間、外に出ないので刺激を受けることがありません。
そのため、「あれ、私大丈夫なんじゃん?治療いらないのでは?」と思いはじめました。比較的発作も出ず、眠れるようにもなっていたからです。

それも束の間、5月ごろからお仕事などの関係で少しずつ外に出ざるを得なくなってきてからが、私にとっての地獄の日々でした。

別に怒った人を見てもいないし、つらいこともないはずなのにやたら疲れて涙もろくなりました。悪夢は見るし、何度も起きるし、不安も強くなっていきました。

「治療しなくても大丈夫なんじゃないか」という、治療への不安から来る思いから、「やっぱり治療が必要だ」と決心するまでに、だいぶ長い時間を要しました。

再開と経過

クリニックに再度通い始め、週に1回のペースで治療を行うことが決まりました。

2回目までは発作が起きたときの呼吸法や、現実エクスポージャーでどの回避行動を取り扱うかを決めるイントロダクション。
3回目から、いよいよ想像エクスポージャーが始まりました。

これがめちゃめちゃきついです。
トラウマのある一部分を切り取り、「トラウマの始めと終わり」を決め、それを不安度(SUDS)が一定落ち着くまで繰り返し話します(例が出せず申し訳ないです)。私は初回は40分ほど、テープを巻き戻すように何度も話しました。

最初は不安が強く、途中で言葉が止まったり、当時のことが思い出せなかったりします。でも、不思議と話していくうちに鮮明になり、そのとき感じていた感覚や感情、周りの音なども思い出していきました。

そして、今は4回目の治療を終え、日付変わって今日が5回目の治療です。
同じ場面をずっと話し続けるわけではなく、徐々により怖いトラウマを扱っていくので、正直不安です。

並行して、日常の中で現実エクスポージャーも行っています。
はじめはトラウマになった出来事を引き起こした人物に似ている人を検索するなど、トラウマの距離と比較的遠いところから体験しているところです。

ここまで治療を行ってみて、変わったことは

①自分をコントロールする手段を思いつくようになった
アイマスクをつけると眠りやすい、死にたいと思った時はとりあえず水を飲んで呼吸する、疲れそうな時は早めに休む…などを発見しました。
②悪夢を見る回数が減ってきた
割とスムーズに眠れるようになったからか、悪夢を見る回数が減って、いい夢を見るようになりました!
③自分自身の感情爆発が減った
泣く、怒る、不安になるなどの感情の起伏が緩やかになった気がします。それに伴って、ふとした時にいきなり感情が爆発することも減ってきました。

こんな感じで、少しずついい変化がみられています。
「あれもう治療いらない?」って思ってしまうこともあるくらいですが、いい「傾向」なだけだというのもなんとなくわかっています。これもまた次のトラウマを扱う不安からきているのでしょう…。

なんでこのnoteを書いたのか

PTSDについて、治療について、経過について書きました。ここまですごく長いのに、読んでくださった方、ありがとうございます。

なんでこのnoteを書いたのかを最後に。
もちろんPTSDを知ってもらえたらとか、見守ってほしいとかいう気持ちもあるのですが、それよりももっと、
私が私を認めてあげたかったからです。

ずっと自分を責めてきました。
過去の出来事でいつまでもくよくよしてしまう自分。怖がって何もできなくなる自分。すぐに泣いてしまう自分。死にたいと感じている自分。
なんで自分はこうなんだろう、生きなきゃ、と自分の声を否定してきました。

でも本当は、自分が一番の味方でありたいんです。
大丈夫だよ、あなたは生きているし生きてきたんだよ、と声をかけられるようになりたいんです。
そしてそれは、今まで難しいと思っていたことでした。
今では少し、自分に期待ができています。

運命はきっとあるけれど、その運命を変えられる手立ては自分でつくれるはず。
逃げられなかった過去もあるけれど、過去は変わらないけれど、その過去に少しずつ向き合って、「これも自分なんだ」と認めてあげることはできるはず。

治療が終わったら、頑張ったね、って一番自分を褒めたいです。
あ、でもやっぱり、お疲れさまって一言もらえたら嬉しいです。

P.S.
自分自身が自分の味方になりたいなと思っている人に、こんなかたちで味方になろうとしている人がいることが届きますように。

-夜中に一気に書いたので、朝起きてから振り返ってみてからの追記-

自分本意で書いたnoteを読んでくださり、思っている以上にメッセージをいただいたのでここにも残しておきます。

実はこのように文章にしようと思えるまでに、半年以上の時間がかかっています。
いつもの私なら、わりとオープンなのでぱっと書けるタイプですが、今回に限ってはそうではなかったことを思い出しました。

私の中ではそのくらい大きな体験です。他にもたくさんの方がこのPTSDに苦しんでいます。意外と身近にいるかもしれません。

あくまで私の場合ですが、PTSDの方に出会ったら、注意していただけると良いかも?と思うことを書きます。覚えていていただけたら嬉しいです。

・PTSDは見た目からは発作が起こらない限りわからないものです。多分発作が起きても、ギリギリわからないことも多いと思います。だからこそ、いつもと違うなと思ったら、ゆっくり呼吸をさせ、飲み物を飲ませるなどして、本人に「大丈夫」であることを伝えてください。
またその方が周りに公開していなければ、周りに言う必要はありません。自然に休憩を取るなどして、それとなく落ち着ける時間を与えてください。
・過去に抱える苦しさは、人によって重さが違います。比べられるものでもないと思います。「そんなことで?」「そんなのすぐ忘れるよ」と思われるのが怖く、PTSDであることを打ち明けられていない人もいるはずです。
どうか、その人が感じている苦しさを否定しないでください。その人が診断を受けるにもたくさんの勇気と時間がかかっています。そして、無理にその苦しさを理解しようとしなくても大丈夫です。周りも一緒にしんどくなると、当事者は余計に悩んでしまいます。
・トラウマは安易に話せるものでもないと思っています。私自身、発作が出ると怖いのでクリニックでしか想像エクスポージャーは行いません。
私のように、トラウマを表面的になら話せる人もいると思います。ただ、治療が始まってからはかなり敏感になっているので、その表面的な部分さえ話すのがつらい場合もあります。
当事者のペースで、話したいと思った時に話せるような環境を整えてもらえると、そしてこころに余裕がある時に聞いてもらえるととってもありがたいです。

クリニックからもらった資料を読みながら書いたつもりですが、あくまでも私が感じていることに基づいて書きました。
人により「できればこうしてほしい」というのは違うと思います。一参考にしていただけたらうれしいです。

やっと書けたことで、PTSDである自分を抱きしめることができた気がします。

お付き合いいただき、本当にありがとうございました!

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