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誰かの温もりが欲しいのにそれが誰でも 良くなくて特定のあなたの温もりでないと 結局は奥底からの温もりを感じられない。

(前置き)君は私に出会い 私は君に出会い
秋を迎えそれは秋らしい秋だった。

もう薄々気づいていると思う。私は本当に話したいことを話そうとしてしまう時
少々長くなってしまう時であり、決まって定期的に来る虚無を乗り越えたあとで
ここ最近はというといろいろあったが、簡潔に述べるとうーん そうだなあ・・・
楽曲世界の意味を知ろうとするたんびに感情移入をしては号泣するほどである。
今思い返すとめっちゃくっちゃ面白い。23年間で一番涙脆い1週間であったなあ。
時の流れが早すぎて私はすっかり忘れていた。「秋は虚無」だということを。
少し遡ったある日。自粛期間の停滞する日々に退屈し一冊の本に目を向ける。
その一冊が発売されたのは2015年の“トアルハルノヒ”の出来事になるんだが、
「今日までの世界を脱ぐのだ」と
RADWIMPS 野田 洋次郎が綴った時空を超えた記録。待望の書き下ろし初書籍。
カリスマ的人気を誇るロックバンド
RADWIMPSの全ての楽曲の作詞作曲などを担当し手掛ける彼が深い思索の末に
辿り着いた恋愛観や死生感、音楽論、世界中で起こっている様々に対する考察等
胸の内を赤裸々にさらけ出している。
伝記 “ラリルレ論”は私の心の支えでありながら、人生にさえも様々な場面場面で
彩りを与えてくれてまるで教科書の様。
私自身が向き合わなければならない宿命に疲れたとき敏感な心に向き合う瞬間に
脳内と胸の内が限界を越える前に彼の言葉から、
この一冊の一文から「大丈夫」などの確かなものが欲しいがために何度も何度も..
無我夢中で読み込み印字が読めなくなるほどに。
久々の閲覧になるのにもかかわらず、何度見ても何度読んでも新鮮なままであり
何も変わらなかった。「うお、なんか良いじゃん」という気分でるんるんした。
好きな言葉を身体のいたる所にまで染み渡らせるって楽しいし、
好きな言葉に対する感情ってなんだかとても素敵だ なによりも綺麗で愛おしい。

当たり前の日常が思うようにいかなくなった瞬間に今を過ごしているのが現実で
人と相対しているからこそ触れることができたはずの
人情味ある言葉の数々だったりだとか、熱を帯びる肌の愛情表現だったりとかが
簡単には容易にはできない“世“になってしまっていて
その影響力が及ぼすものなのかは分からないところではあったりするんだけども
人間らしい人間で居られなくなってしまう不思議な時間を過ごした時があった。
そんな矢先に秋を迎えて「ああ、今年も半月で終わるんだ」と思い我にかえり、
ほおぽって置いた携帯画面に目を向けて確認すると一件の通知を知らせ瞬いた。
「 RADWIMPS 15th Anniversary Special Concert 」開催 決定 とのことだ。

もう二度と想像することはできない。

私の耳に聴こえてくる音は初めて聴いた頃と何も変わらず色褪せていなかった。
一番好きな楽曲は?などという質問には容易に答えることができるけれども...、
選んだその楽曲が一番好きだと思う理由は?と聞かれると考え込んでしまう。
私は速攻で「オーダーメイド」が一番好きと答えるが、
明確な理由を用意することはできない。いやできないとは思いたくないけれど、
小さい頃からずっと「なんとなく」が好きなのだから。なんとなくで。それは
つまり直感に近いもの。それは実はその人の個性を創造する要素の一つである。
話を戻す。これは外見というより中身(内面)の話になりキッカケにすぎない。
私が私を孤独にさせるとき 私はあなたを深く知りたいと思う。
私と出会った時に彼は私のことを何者なのか知らなかった。当然私も同じ状況で
彼と出会った時に私は彼のことを何者なのか知らなかった。でも知ること怖い。
いつも耳にする声と彼の名前だけは存じ上げていたから名前だけを頼りにしては
気になっている彼が何者であるのかを知ろうとしたんだろう。私なりに調べて。
本当に微々たるものではあったけど調べてみて得た親近感がとても嬉しかった。
側から見れば私が得た親近感っていうものはこれっぽっちのものと言うだろう。
彼が創造していく世界で紡ぎ出されていく言葉の数々に魅了されていく自身の
心に出会えた時に聴いていた一つの楽曲こそが「オーダーメイド」であって、
初めてこの楽曲を全部聴き終えた頃には自分の体内からこれまでに感じたこと
ない「安堵感」というものが自然と涙と一緒になってぐわあああっと溢れ出して
言葉の一つ一つにまるで自分自身の人生が重なったかの様に聴こえるからなのか
身近にいないはずの 野田 洋次郎さん に見透かされているの?と
元々言葉などに敏感になってしまう自身の性格に何かを問われている気がしては
正解を求めて 不思議な気持ちになったけどほんの少し自由に近づけた気がした。
彼にはとても奥深い人間味や人情味が溢れていると私は感じてそう思っている、
言葉に重みがあって、揺るぐことのない真のある世界観が生きていて
「人間」という生き物を様々な角度、視点から描いてくださっていて
愛や希望、恋も理想も。闇、怒り。までを。
そして何かを“大切にしよう”、“大切にしなきゃな”と思わせてくれる。
ここまで人間だったり心情を理解しているのに
かと思えば空や月、海、山、街の壁や道、もしかしたら空気までにも
人情を与えて真っ直ぐに寄り添っているのだから
あらゆる場所に自分の”眼”を持っているのかもしれない・・・。、
そんな風に自分を「オーダーメイド」したのかもしれない・・・。

望み通り全てが 叶えられているでしょう?
だから涙に暮れる その顔をちゃんと見せてよ
さぁ 誇らしげに見せてよ


オーダメイドの歌詞にこんな一節がある。▲ (上記に記載あり)

私が私を孤独にさせるとき 私はあなたに深く触れたいと思う。
「私は普通でない人間」(個性的でマイノリティーのある人間)である身が、
「本当の私ってなんなの?」とか、「やりたいことってなんなの?」とかって
聴いている側から考えさせられ、考えさせてもらうことの行為が
彼が創造していく世界で生きていけているんだなあ。と思うことができるから...
この歌詞にいつしか私は心地良さを感じ、好きだなあと感じる。
好きで、好きでどうしようもなくたまらないなぁと感じるんだ。
とっても愛おしくて、他の人に伝えて共有をしたくなる。でも
独り占めしたくなる。相反するようで、矛盾しない。幸せだなあと心から思う。
「君がいないと生きていけない」私がそう言うたびにあなたは
私がいなくてもあなたはきっと 生きていけてしまうんだろうなて感じてしまう。
私たち人間は頭の中で想像をし、イメージを構想することが可能だ。
今となっては分かることも増えて、まだ見たこともない姿や仕草などの全てを
彼が創造していく世界で紡ぎ出されてく言葉の数々から想像することができる。
それはなぜか、こうとも考えられるのではないのか。
これは音楽でありながら音楽ではないからだ。私たち自身のことだからだ。
音楽という場所をただ単に利用して
音楽を超えて、私たち自身の話であるからだ。その答えは自分の眼で探すんだ。
出会ったあの日から11年が経ち、私たちはまさに"変わってしまった今日"を
お互いの腕で抱きしめ合うこともできないまま"忘れてしまえる"手前にいる。
そんな矢先に「 RADWIMPS 15th Anniversary Special Concert 」の決定で
これまでに”RADWIPS” “野田 洋次郎” ファンでいることをひた隠していたが
このままずっとこの先独り占めしてはいけないんだろうという気持ちになった。

私の眼に彼が映る ただ それだけでいいような
彼を彼たらしめる すべてを 私の手にしたいような

私が創り上げてきた彼との「大切さ」教えてくれたこの距離とは別れたくない、
けど心の奥底にはいつか彼に会ってこれまでの感謝を伝えたいとの思いがある。
そんな葛藤を胸に抱きながら一大決心をし抽選エントリーに初めて手を伸ばす。
RADWIMPSといえば今では日本国民のほとんどが認知しているバンドであって
そんな彼らのライブに参戦できるとなればとっても貴重な体験となるだろう...。
でも11年もの間ファンであることをひた隠しにして彼が創造する世界観や言葉を
耳だけに聴かせて独り占めして現場にすら足を運ばずにいた今日までを考えると
今回のタイミングで突然会いに行くという行動をとることは正直恐れ多かった。

そんな中、私がRADWIMPSのライブに「当選」したのです、、、!!!!!!

初めて抽選エントリーで応募したのにも関わらず「当選」してしまうだなんて
私自身驚きと嬉しさが隠せなくって思考混乱、心ここに在らず状態から抜けず笑
そんなこんなで今回のnoteでは、記念すべき瞬間に第一目撃人者となれたので...
ずっと会いたいと思っていた野田 洋次郎さんと顔を合わし肌で感じたことなどの
私なりの感想と感謝の想いなども含め、ここに紡ぎ残しておきたいと思います。

RADWIMPS
「15th Anniversary Special Concert 」の基本情報

今年の11月23日にRADWIMPSは”結成15周年”を無事に迎えることができました。
その祝福(祝祭)として行われたライブこそが
3日間を通しての大規模な “ 15th Anniversary Special Concert  “ となりました。

「15th Anniversary Special Concert 」の基本情報
日時:2020.11.21 (Sat) ※公開ゲネプロ公演
2020.11.22 (Sun) / 2020.11.23 (Mon / Holiday)
※ OPEN 18:00 START 19:00 (JST)
at YOKOHAMA ARENA
 ▼ Online Live Streaming ▼
◎ ABEMA TV ◎ U-NEXT ◎ Streaming+ ◎ PIA LIVE STREAM 

そしてなにより思うことが、コロナウイルスの影響によって今年のライブ開催は
とても大きな打撃を受けて、彼らが予定していたライブも未だ延期となっている
中での開催になるということでこの事実が彼らにとって彼らのファンにとっても
とても喜ばしく感慨深いことだと私は感じ捉えしみじみ幸せを噛み締めました。

今回のライブ開催へと至った想いを、野田 洋次郎さんも言葉にしてくれていて
オフィシャルサイトやSNS等に綴られてあるので是非とも見ておいて欲しい。

私は11月21日の公開ゲネプロ公演に赴き、その後 配信のアーカイブチケット
(11月23日公演分)を購入し期限が迫るまで、何度も何度も拝聴しました。
11年もファンを続けてきて念願叶って、愛おしい彼とはじめましてができて
こんなにも溢れた想いを言葉にして残しておきたくなったライブは初めてだ。

彼らの新世界への第一歩は「ライブ」という概念を超えて一つのアートであり
人々の生き様と歩みを共に讃え合い創造していく人生そのものの物語だった。”

思った以上に前置きというお話が長くなってしまいました もう少々の独り言を。

(本題)約1年ぶりのライブは道中から夢見心地

横浜アリーナに向かう道中は私からすれば、よく行っていた会場でもあったので
慣れた足取りでその現場に向かうが・・・ なんか現実ではないような気がした。
コロナウイルスが流行していく最中、RADのツアーもその他のライブやフェスも
軒並み中止の発表を幾度となく目にし耳にして落胆していく日々が続いたのだ。
私の身体には音楽という音楽が染みついていて
毎年決まったアーティストさん達の何十ものライブに足を運ぶほどにライブが、
生の音楽が心から大好きなので人生の一部を失ったような気がして窮屈だった。
その停滞の幕開けにふさわしく最も求めていたRADWIMPSのライブが観れる。
昨日とはまるで違う世界に・・・、未来を見据えることができるような世界にと
そんなふわふわうかうかした気持ちを抱きながら会場へと足を踏み入れたんだ。

体験をすること 私自身の身体で体験をすること

静寂に包まれる会場。前もって知らされていた鑑賞マナーによっての静けさだ。
開幕時間が訪れる前に入り口付近で洋次郎さんから一声があり感覚を取り戻す。
「 一緒に明日明後日のステージの仕上げをしてください。
   皆さんもこちらのファミリー側に立って頂いてそれではゲネプロ始めます。」
で客入れの状態にしてBGMかけてアナウンス入りオールスタンバイ確認が取れて
カウント入り10秒前から皆んなで手拍子一緒にカウントをとって開幕しました。

「 15th Anniversary Special Concert 厳選 個人的洋次郎さんハイライト! !  」
(厳選と言うだけあり私自身が心撃たれた瞬間の残像を残すので所々は割愛 笑)

◎ M 1 : タユタ
静かな始まりにふさわしい1曲目は、タユタ。
“ この地球は今日も僕をまわすよ 振り落とされないようにしがみつくけど “
今まで僕らはこの1年、地球環境が作り出す、未曾有の目に見えない存在に
振り回されてきた。でもそれでも、ここで生きなきゃいけないからこそ
振り落とされないようにしがみついては、なんとか皆んなと言葉以上に
繋がれる方法を模索して今日にたどり着いた。
「 今日は僕たちのつくる光や希望を観ていて。 」
そんな思いを感じることのできるスタートだった。
◎ M 2:グランドエスケープ
洋次郎さんの力強くも優しいピアノの和音で始まるこの曲。
「えっ・・・今この瞬間って時空をも超えて宇宙の中にいる?」と
本気で思えるほど綺麗な演出は、映画「天気の子」の劇中を彷彿させるよう。
洋次郎さんに差す一筋の光の中、今日のライブの本質に触れていく。
“「せーの」で大地を蹴って ここではない星へ行こう “
バンドの音と共に盛り上がるこの部分で、観客席の皆んなから徐々に徐々に、
手拍子が聞こえてきたのだ。本当に、徐々に徐々に。
少しずつではあるが会場が一つになっているような・・・そんな気がしたんだ。
“「せーの」で大地を蹴って ここではない星へ行こう “
二度目のこの部分のその瞬間、マイクをスタンドから取り、ピアノステージから
軽やかに降りた洋次郎さんの姿を観て、
その「思い」を強く感じて胸が熱くなって、ほんの少しだけ軽く目頭を抑えた。

夢に僕らで帆を張って 来るべき日のために夜を超え
いざ期待だけ満タンで あとはどうにかなるさと肩を組んだ
怖くないわけない でも止まんない
ピンチの先回りしたって 僕らじゃしょうがない
僕らの恋が言う 声が言う 「行け」と言う “

この楽曲は別にこの状況になってから作られたものではなかった。
けれど、だけど、・・・
この制限される社会の中で人と相対してライブをするのは怖いよ。
だけど僕らは自分たちの心に従って、皆んなの愛に従って
「今日を迎えてやるよ、だから観ててよ、一緒に創っていこうよ」って
言われる気がして、これまでに感じてきた窮屈が取っ払えた瞬間であった。

公開ゲネプロ公演はリハーサルに当たる為に淡々とパフォーマンスをしていき、
気になる箇所があれば中断し、確認し、修正を入れながらの動きとなるために
MCというMCはほとんど行われなかった為、配信のアーカイブで観たものから。

◎ M 3 : DARMA GRAND PRIX
ポジティブな心の動きとしての闘争心や反骨精神に火をつけるようにして、
エッジの効いたカッティングギターと洋次郎さんの気だるげな歌声が絡み合う。
(MC)
洋次郎さんがすべてのオーディエンスに向かってこのように語りかけていく。

なんか、一年ちょっとぶりのライブでやっとこうして面と向かって会えて、
その喜びと共におっきな声を出して愛し合って確認し合って叫び合っての
そういうことができないのは、本当にもどかしい気持ちでいっぱいです。 “

だけどこれは第一歩として、僕らが一緒にこの音楽を共有する空間が今日持てた
っていうことを何よりの誇りに思いたいと思うし、
これをひとつのステップとして、未来に向かってなんかさらにさらに前に向かう
ひとつのきっかけになったらいいなと今日思っていますよろしくお願いします。”

RADのライブは本当にお客さんのあなたの、あなたたちのその声が本当に俺は
世界で一番だと思っていて、それがRADのライブの半分くらいを占めていると
思うからそれがない分もどかしさがいっぱいあるけど、普段じゃできないような
ライブを今日は表現したいと思うので、今日はひとつよろしくお願いします。”

コロナでできないこととか、やれないことがいっぱいあって、もどかしさで
いっぱいですけどもなんかそこで後ろばっか向いているとコロナの思う壺で
本当に腹が立って仕方がないからコロナがイラッとするくらいムカつくぐらい
今日は思う存分皆んなで楽しみましょう。ひとつよろしくお願いします。”

◎ M 6 : シュプレヒコール
広いステージ全体を駆使して歌詞がメンバーの足元に縦横無尽に描かれていく
CGアニメーションの演出となっていて刺激的に思えた。
これは配信と生とでは違った見え方となるんだろうな。と感慨深く感じたのは、
“オンラインに対応したパフォーマンス“の醍醐味にふさわしい光景だったから。

たまたま空いた穴に僕たちは 天文学的方程式で
産み堕とされたそれだけなんだ 本当にただそれだけなんだ “

どうせ奇跡で産み堕とすなら ちゃんと最後まで起こしてよ “

この地球に産まれて、それだけで奇跡と呼ばれるのに
この地球では争いや天変地異が自分の意思とは関係なく起こっていく。
映し出される歌詞や、戦争や世界を連想させる映像と一緒に聴くことで
人間が宇宙からしたらどれだけちっぽけな存在であるかということ。
そしてコロナとそれらによる様々な負の感情を生み出したこの世界と神様に、
ちっぽけな我々人間が「それでも僕らはここにいるんだ」と訴えかけるような、
そんな思いを・・・、力強い強さを・・・、私は感じた。

いよいよすべて はじめましてです。 自分の家で皆んな迷子です。”

この歌詞の部分からステージが突然、真っ赤に染まった。
上から見下ろすその赤は、
すごく強くて痛々しい、血色のようにも見えたんだった。
私たち人間の体内には、
たくさんの赤色が巡っている。私は少なくともそう思う。
人体をつくりあげた染色体。
人間を生かす為に巡る血液。
二人の愛を育む心の色まで。
◎ M 7 : NEVER EVER ENDER 

昨日までの世界は脱ぎ捨てて いざ僕は大海へ旅に出る “

このライブ会場への道中にふと思ったこと
「昨日とはまるで違う世界に来て、未来を見据えることができるような」と
そんな不思議な思いを抱いていたのだが
ここの歌詞を聴いた瞬間にシンクロして抱いていた不思議が明確になった。
洋次郎さんは全方向の客席に移動しながらもオーディエンスを気にかけて
昨日までの“ライブができない“、“生の音が音楽が聴けない“世界線からRADは
私を脱してくれた。
洋次郎さんは全方向の客席に移動しながらもオーディエンスを気にかけて
こちらに指を差しながら歌ってくれた。その想いちゃんと受け取りました。

Only if we unite our stories yours and mine. “

Why don’t we make our own eternity? “

ここの yours and mine で洋次郎さんがこちらに指差してくれるのが好き。
「君たちと、僕たちでつくる物語だよ」
言ってくれているかのようにお互いの眼と眼が合って心の底から思ったこと
「RADWIMPSってロックバンドなんてもんを好きになってよかった」だった。
 会場が一体となってシンガロングするであろうところは、音源の中に入っている我々Wimperの声(?)を流してくれたので私の脳裏に焼き付いて忘れることのない思い出のカケラの一つとなった。
“ 「wow wow wow...」、「心の中で歌ってください」 “
そう言った洋次郎さんの顔は本当に心から“楽しい“を噛み締めていて、
それに応えるように私たちは全力で手拍子を送った。
この日は皆んなで「声」合わせて歌うよりずっと「心」がこもっていた
そんな気がして、私は好きだった。
◉ M 8 :おしゃかさま(前半戦 この曲が1番のハイライト)
RADの中で個人的に1番大好きなアルバム「アルトコロニーの定理」に収録される
この曲はRADのライブっていえばの定番らしい“ おしゃかさま “
この楽曲は今まで「耳に聴かせることが一番多かった」ようなそんな気がする。
この世界と生命の実相を浮き彫りにし、彼が作り出していく“独特の世界観”に
引き込まれ、魅了され、彼が放つ“言葉の一つ一つ“を信じて自分のものにした。
だからこそ「ライブになったらどんな演出でこの楽曲が生きるんだろう?」と
気にはなってはいたもんだから、今回 聴くことができて本当に嬉しかった。!!
肝心の演出がまあ圧倒的で身体という身体のいたる所まで音を染み渡らさせた。
初めて観るはずなのにライブアレンジが多い印象を持った。
この曲では、桑原vs武田 ー 森vs繪野 ー 桑原&繪野vs武田&森とソロバトルが
次々に展開されてく中、間に立つ洋次郎さんが両陣軍を指揮者のように振る舞い
激しくなるにつれ、指先だけでなく体も激しく動かしながらの演奏になってく。
これこそが “野田 洋次郎“ 彼一人でしか操ることのできない独特の身振り手振り
この仕草といい、、、表情といい、、、めっちゃくっちゃ好きでしたああっ!!
2サビになる頃にはあんまりにも魅了されてしまって息を呑んでしまっていた笑
あのなんとも言えない目つきも
偶然なのか、意図的なのか、それは彼にしか分からないところではあるけれども
片腕だけ腕まくりしているのは
さすがに反則です。お主も罪な男やのう洋次郎さん。すっきゃ、だいすっきゃ。
◎ M 9 : G行為

まだまだできるんだ 俺にゃまだまだ力あるんだ
こんなもんじゃないんだ 元来の俺の力を発揮したならば
その気になったらばドカンと デカイことすぐさまでもできんの “

おしゃかさまに魅了された余韻を引きずりながら観ることとなったこの楽曲は、
強調している上記の歌詞のように
洋次郎さんには恐るべき力が隠されていて衝撃の連続で魅せるステージだった。暗いステージに明かりが灯ったと思ったら、そこには数人のダンサーさん達が。
怪しく踊り狂うダンサー達に囲まれて歩み進む
洋次郎さんはやっぱり、この世界をつくり支配してく”神様”のようだったんだ。
ダンサー達に追いかけられたり、逆に追いかけたり。
その動きひとつひとつが全体としてまとまっていて、洋次郎さん自身の動きは
ダンスをしているわけではないのに、皆んなと共に踊っているみたいだった。
本当に衝撃的だった。もうこれはライブの概念を超えているなと大いに感じた。
私的にグッと来た場面は、洋次郎さんがステージ中央にちょこんと座る中で
英語の歌詞を歌っていて、その周りをダンサー達が囲い踊っているところ・・。
ちょっとダークな雰囲気に、グッと来てしまったのだった。

後半戦のスタートRADWIMPSは、
会場内に作られたアンティーク調の特設セットに移動して柔らかく美しい音色で
「お風呂上がりの」と「やどかり」を披露しメインステージへと生還を果たす。
オーディエンスは聴覚も視覚も、そして心も満たされるような瞬間を過ごした。

(MC)

皆さん楽しんでますか? (オーディエンスからの拍手)”

よかったよかった〜。あ〜嬉しいなあ。なんか伝わります。
言葉がなくても。嬉しいです。ありがとう。“
(ちょっと喋っても大丈夫ですか?)

きっと全ての世界に生きる人、全てにとって今年は違う年だったと思います。
僕らも初のヨーロッパ、北米、アジア、日本もそうですけど、
くまなく回るワールドツアーがあって、1年半、2年くらい準備をしてきて
それがなくなってしまって、本当に人生に何回あっただろうか、
もしかしたら初めてかなあというくらいの大きな失望を味わいました。
きっと皆さんにとってもそうだったと思います。“

なんかでもこのコロナっていうのが、そのタイミングだったのか
どうかはわからないけど なんかどっか世の中もなんかギスギスしてるなあって
いう思いがずっと僕の中にはあって、言葉だったり、人の態度だったり、
ネットの世界で幅を利かせる思いだったり、なんだか突飛でエッジが効いてて、
人が目を背けられないぐらいの威力のある、なんかそういうずるい言葉だったり
思いみたいなものがなんか蔓延ってて 人の気持ちをどんどん窮屈にしていってるような気が僕はしています。

悲しいかなあ、事故や災いや病気じゃなくても、
自分の命を絶ってしまう人が増えてきて、
きっとこれからもこの流れは加速すると偉い人たちは言ってたりして、
そんなの絶対やだなと思いながらも現実として増えている現状もあったりして、
なんかどこまでも敏感なそういう魂だったり、傷つきやすかったり、
人の言葉を、1を、10にも20にも30にも受け取ってしまうような、
そういう繊細な魂というか優しい心が、どうか どうか、この世界に
ずっと生き続けられるような世界であって欲しいなと心から願っています僕は。“

ずっと10年前、15年前くらいから僕は思っていたんですけど、
やっぱ世界は優しい人でできていると思ってます。
ケーキが残り2個しかないところで3人いて、
絶対俺は食べるっていう人が3人いたらそこはもう戦争が起きるわけで、
「いいよ、これ食べていいよじゃあ2人」っていうその優しい人がいるおかげで
この世界は成り立ってるなと僕はずっと思っていて、なんかそんな優しい人が
これからも生き続けられるような世界であって欲しいなと心から願っています。
そしてそれはきっと今を生きる僕たちが、一個一個そういう空気を、
そんな世界を作っていけると思っています。
そんな優しい魂で溢れることを、綺麗事と言われようがなんと言われようが
僕は信じているし、皆さんと作っていきたいです。よろしくお願いします。“

じゃあそんな、出来損ないかもしれない、僕ら人間の歌を歌わせてください。
「棒人間」という曲です。
◉ M 13 :棒人間 (後半戦 M13〜M14までの楽曲が1番のハイライト)
そんなふうに重く、しかし大切な言葉に続いて披露された棒人間。
洋次郎さんのピアノを取り囲むように立っていたダンサー陣の影法師が
一人でに踊り回るという不思議な映像演出が用いられる。
それは気持ちだけは激しい感情や移りゆく熱い思いがあるのにもかかわらず
上手く体で表現できない不器用なヒトを表しているかのよう。
自分の顔を手で覆い、空を見上げる。
そしてラストのサビでは何か、大切なことに気づいたかのような目線で立つ彼ら
最後は頭上にあるカメラに向かい優しく手を伸ばし曲を終えた。
◉ M 14 : 螢 (後半戦 M13〜M14までの楽曲が1番のハイライト)
ここだけは本当に綺麗だった。ここだけは綺麗だったと心から思う。
私は涙を流すつもりもなかったのに、感動の涙を流した。
ステージ上でダンサー陣が手にするペンライトの光が螢のように舞い、
また吊り下げられた無数のLEDがコンピューター制御によって宙空に
模様を描き出すドットイメージの演出もとても美しかった。
「光って消える ただそれだけと知りながら 光る僕は綺麗でしょう」をはじめ、
ヒトボシの「どうせ消えてく 僕らなんだ」、
やどかりの「結局最後は 消えてしまうのに」とか
「幾つものなにかを遺して僕は消えゆくけども」、
バグッバイの
「僕が生まれてくる前と 僕が消えたあととなんか違っててほしい」とか、
RADが変わったとなどと言われても、その歌詞たちには類似性を感じるし
「僕らは消える、でも...」という洋次郎さんの価値観に一貫性があることは
誰にも否定はできない。私的には彼が感じたことを紡ぎ出して伝えてきてくれる
“大事なこと“ や “大切なこと“ は何も変わっていないし、何にも変えられない。
RADに、洋次郎さんに、出会った11年前からその同じ「でも...」に救われてる。
あの日の「螢」はあんまりにも綺麗すぎて、私には優しすぎた。
吹く風が舞う螢が空気が全て計算されたかのように完璧だった。
ここだけは本当に綺麗で・・・愛おしむ、という感情を
大切にしていたんだ、大切にしすぎたんだ、と 心がいつもより暖かかったんだ。
◎ M 20 : バグッバイ
アンコール前最後の楽曲は、「バグッバイ」。私自身昔から大好きな楽曲。

僕がいなくても 地球は回るのに
地球がいないと 僕は生きれない “

僕のいた朝と 僕のいない朝は
どっか違っててほしい 少しだけでもいいから
僕が生まれてくる前と 僕が消えたあとと
なんか違っててほしい 世界は違っててほしい “

私たちは宇宙からしたら一人一人、すごく小さな星で
宇宙の中の、地球という星の中の、
たくさんいる人類の中の、ひとりだけど 僕が生きた意味を残したくて
必死になって言葉を紡いで、行動して、
迷って、行き着いて“これでいいのか”って生きてみている。
「迷ってもいいから“自分自身を見失わないで”」って
いつもそう伝えてくれて、不確かを明確にしてくれる楽曲。
このタイミングで聴くことができたからこそ
思うことがたくさん... たくさんあった。
◎ M 21 : いいんですか
公開ゲネプロ公演のラストを飾った「いいんですか」

「心の中で一緒に歌いましょう」「本当にありがとう」“

皆んなでハンドクラップをしながら歌う曲の定番、「いいんですか」。
ダンサー達がバンドやメンバーを囲うように
円になって踊っていたんだけどその様子がいいんですよ!!
私たちオーディエンスとも
大きなハンドクラップの動作で最後の、最後の、最後まで
愛を確かめ合って、満面の笑みが会場中に溢れんばかりで
それはとても奥ゆかしく愛おしかった。
(MC)

その時々の空気に、人に、反応しながら音楽を作っていき
この世界にまだない新しいメッセージを残していきたいと思っていて
そんな中でもいろんな世代の人々がRADWIMPSを通ってきてくれて
嬉しくて仕方がない。
この先もRADWIMPSってものをひとつよろしくお願いします。“

次会う時まで、次会う時まで、必ず生き抜いて、生き抜いて、
どんなにもしんどいことがあるかもしれないですけど
必ずまた再会して、でっかい声で叫び合いましょう。“

そして、僕たちが「この日まで頑張ってこれたんだ」ってことを
お互い確認し合って、称え合って、そしてその喜びを噛み締め会いましょう。
その日まで必ず、生きて、生きて生きて、生き抜いてください。
よろしくお願いします。また必ずや会いましょう。次までの約束!!!!!。
その時まで元気でいてください。本当にありがとうございました。“
洋次郎さんのそんな言葉で締められたライブの後、
◎ エンドロール : 夢番地 
アーティストとしてこのコロナを体感して経験して感じたことって
きっと私たちが想像する以上にあって
RADWIMPSはどんな状況下に置かれたって立ち止まらずに歩み続け
音楽で私たちに言葉を、音を、伝え続けてくれるんだ。と強く思った。
観客席から立ち上がる人は多くなくて、皆んなでこのエンドロールを見守った。
RADWIMPSファンに、音楽業界に、そして世界に刻んだこの歴史を
最後まで見届けようとする人たちがたくさんいて
大きな、これ以上ないくらいの大きな拍手で、会場が包まれて無事に終演した。

変わり果てた新世界でRADWIMPSが
私たちに見せてくれたものとは

この世界は変わり果ててしまったと思う。一つの新しいウイルスによって。
新しい生活が私の目の前に現れて、新しい生活が私の身体に入ってきたんだ。
私は新しい生活を見つめ 自分の身体を優しく押して 新しい世界に眼を向けた。
未来を見据えることができるかな。

私たちが常識だと当たり前だと「思い込んでいた」ものは全て幻想であったりで
私たちが自分の手で作り上げてきただけのものだったと気づかされた。
信憑性のない情報に左右されるがまま、
SNSに投げ出されたたくさんの「悲痛」、「苦痛」を目にし続けては、
それにモザイクを掛けられるだけのエンターテイメントがなくなって、
心は病んで、みんなが皆んな平等に、悲しかった。
でも、この世界で起こることに、目に見えない災害に悲しんでいても、
世界は変わらない。
自粛をし続けたって、何一つも前には進まない。
「どうして」って考えて頭を抱え悩んでいるだけでは何も得ることはない。
そんなことを言われたって、
「僕なんかが世の中のためにできることなんてないよ」とそう思うのならば、
自分のためにできることをしていこう。自分の心が喜ぶ情報を自分で選んで。
「自分自身や、周りにいる誰か一人にでもいい、優しさを“そっと”与えて」。
君一人がほんの少しでも明るい気持ちになれれば
世界は必ずしも良くなるし、
良くしよう、新しく作り替えようって思うことができるから。やるだけやろう。
だって今までの常識だって
僕たちが自分たちで作り上げてきたものなんだから。って彼らが教えてくれた。
「新しい世界を一緒に見ていこう」、「新しい世界を一緒に創っていこう」が
全世界全ての人類にRADWIMPS からのこの想いが十分に伝わっていっては、
優しさの魂が横浜アリーナから、世界中に広がって。
「世界は優しい人々で溢れていて」、「地球上は全部愛でできているんだ」って
気づくことができたら地球に住む皆んな、そう皆んなが幸せになれるはずであり
伝播していく「優しさ」を皆んなで共有して生きていけたらいいな。なんて...、
そんなことを感じながら、洋次郎さんとはじめましてができた喜びを噛み締めて
満点の空に浮かび輝く三日月を見上げながら帰宅路を歩いた夜は素敵でした。終

いつも側に寄り添い支えてくれてありがとう。
私の人生を共に歩んでくれていてありがとう。
またいつか、交わし合った約束を果たせる日を夢見て。
あの場所にいたみんなに、心からありがとう。 


大好きなRADWIMPS、15周年本当におめでとうございます。

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