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思考を0から1にした瞬間

ゼロで生まれた私なのに この瞬間から今もなお付き合いが長いこの感情。
「自信の心と向き合う」「相手の気持ちや言葉に心から向き合う」の2種。
でも20歳になった時に思考が変わった。
以前より増してこの感情に対して純粋に真っ直ぐに向き合いたくなった。
散々考えたって時間さえあれば
この感情にとことん時間をかけて向き合ってしまうのが私の思考なんだ。

思考を肌で感じ身近に残しておきたいと思い立ち カメラを握った。
「思考を0から1にした瞬間」、「相手の人情味に触れた瞬間」
カメラと共に夢中に必死に日々を駆け抜け、溢れに溢れた瞬間。
試行錯誤を重ねながら、自身と深く深く 一瞬と向き合いながら
カメラが写しだす残像と、言葉を紡いで残していく過程が得る
あのワクワク感が愛おしくて愛おしくてたまらなかったのです。
環境が変化してもその想いは変わることなく
写真を言葉を通した自己や他人への探究心は深まるばかりです。
人と違う個性を持った私が車椅子に座った座高から見る世界を
自身の目線から写し出し、本当に話したい時だけ言葉を綴ります。
興味を持って目に留めてくださった皆さんに心からの感謝を...

Profile

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1996年生まれ。20歳を迎えた春にDJI Osmoシリーズを使用して
当たり前などない日常や思考や感情を撮り始め、
Instagram をはじめとするSNSに存在意義を残しながら発信。

* 人間の説明

お母さんのお腹から出てきて 何も分からぬうちからずっと聞かされていた
“貴女自身が分かる時がくる“ “人とは違う個性はさぞ素晴らしい さぞ美しい“
この言葉を私が見れない景色の中で聞かされていたどうでしたか?って。
きっと眠る前であろう時間帯に
何度も何度も読み聞かせる本のように繰り返し繰り返し。
この世のどこにもない物語。私の人生を。
個性そのものを愛せる 気持ちでいつもいられたら
誰かを傷つける言葉もこの世にはなかっただろうなあ。
“障がいを持っているから出来ない”だとか
“不自由を抱えて生まれて可哀想ね”だとか
並べはじめたらキリがないほど
見た目と上目の判断だけの差別で溢れている。

それもこの時代の変化とお金では絶対に買えることのない
人情味溢れた優しさと愛が価値となり、左右されていて。
少しずつではあるけれど、日常的にも... 社会的にも...。
障がい者が求める“手助け”って救助者が声に出して
求める支援説明をして相手にきちんと理解して貰えば
誰しもが支援を出来ると思うし、今後の時代に求められる。
これってどんなことにも繋がっているし、変化していて
障がい者=助けを求めているだけの生き方じゃない
障がい者自身も自分自身が出来る事・出来ない事見極めて
自分が持っている力、出来ることを個性にしていきながら
日々支えてくれている人々、同遇者、見知らぬ人達までを
行動では難しいかもしれないけど目に見えること肌で感じられることで
健常者を支えることももしかしたらあるんだよ。って伝えておきたい。
大切な人や、ものや時間。それらはいつしか失ってしまう。
まさに今私を含む人類が過ごしている
この時間、この瞬間、一寸先だったりって、
もしかしたらすんばらしいものではないかと予想している。
きっと今ってすんばらしい。
初めて何かを体験した時の初々しい感情。
なんの穢れも知らない純粋な心、
あとから振り返って気づくもう戻れないあの時、
私たちは日々気づかないうちに失っているものがたくさんある。
大切な人の有り難みとか、もちろん失って気づくものだってある。
どちらにしろ人間は失っていく生き物なんだと思う。

Port folio 

noteでいくつかをまとめています。

Instagram 

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Camera equipment 

stabilizer
*Osmo mobile
*Osmo pocket


Digital camera
*Nikon Z 5
Lenses
(NIKKOR Z 24 - 50mm f / 4 - 6.3)

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ここまで読んで頂きありがとうございました。
今後も興味を持ち目を留めて読んでくださっての
ご縁で繋がれた皆さんの日々が幸せであるように
心から願っております、また会える日まで。

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